あべさく編 [2] ※流血シーン注意?

277 : ◆8zwe.JH0k. :2005/10/30(日) 23:56:29

「あべさん…!」
「挨拶もなしに急に居なくなるもんだからさぁ、あははっいやー探しに来てよかったよーホントねぇ」
ひらひらと手を振る阿部は格好付けたように眉を顰め、何とも綺麗な早口でまくし立てる。
「ほら、逃げっから降りといで」
佐久間はその言葉にたちまち笑顔になった。はいっ!と元気よく返事をし、屋根からダイブする。
固い地面に頭から落ちていくような体勢に、二人組はわっ、と短い悲鳴を上げて届かない制止の手を伸ばす。
地面に激突する寸前、佐久間は手を前に突き出す。柔らかな光に照らされ、ふかふかのクッション状になった土は落ちてくる身体の衝撃を優しく吸収する。
屋根の上から二人が見下ろしているのが見えた。え〜、とかすっげえ〜、とか若者らしい率直で素直な感想を述べている。
「うわ、さっくんすげー鼻血…!」
え?と手の甲で鼻の周りを触ってみると生暖かい真っ赤な液体がまとわりついた。阿部が言うには、顔半分がその血で染まってまるでスプラッター映画のようらしい。
近くで風船を割られたような、そんな衝撃が強く、痛みというものはあまり感じなかった。だから大したことはないと思っていたが、阿部の引きぎみな表情を伺う限り今の自分は、よっぽど見るに堪えない酷い顔なんだろうなぁ。と佐久間は思った。
「大丈夫ですよー。ね?ほら、骨は折れてないみたいですし」
「ほ、骨…」
目眩を起こしそうになっている阿部を尻目に、ポケットからウェットティッシュを取り出して顔をごしごしと擦る。
血を拭き取りすっきりした顔を見せてやると、阿部もほっとした表情を浮かべた。
そして気を取り直すようにパンッ、と一度手を叩く。
「よし、じゃ逃げるか。ダッシュね、ダッシュ!かけっこには自信あるよ、俺」
格好付けたように変なところで語尾を上げるのは彼のちょっとした癖だ。そういうときは大抵彼の心は自信に満ちている事が多い。
佐久間は妙な安心感を覚え小さく笑い「そっすね」と返事をすると、つっかけを履き直し阿部の後ろを付いて走っていった。

ぺたん、ぺたんというつっかけ独特の平たい靴音を鳴らしながら、後ろを振り向いた。
思った通り背後からは屋根から下りた男たちが追いかけてくる。
一応昔テニスはやっていたし、体力にも足の速さにも自信はある。運動馬鹿な訳ではないが、久しぶりの本気の走りに、自然と佐久間は口元を緩ませた。
「ついてこれるもんならぁ、ついてこぉーい!」
走りながらくるりと一回転。
「何テンション上がってんの、ほらこっち!」
息を切らした阿部が佐久間の襟首をやや手荒に掴み、狭い路地裏に逃げ込む。ゴミバケツや空き瓶が散乱している所為でスピードが出せないのを佐久間は不満に思った。
何しろ汚い所は大嫌いだった。全力で走るには先程の綺麗な広い道路の方が良かったのだが、何にせよその道路は長く続く一本道だ。万が一こちらが先に疲れるような事があれば捕まってしまう。
そう思えばこういう入り組んだ細い路地は相手を捲くにも有効なのだ。
思った通り向こうも追いかけてくるのに苦戦しているようだ。更に引き離すように足でバケツを倒し、積み重なった木箱…その一番下の段を思いっきりダルマ落としの要領で蹴り飛ばす。バランスを失った木箱の山はガラガラと崩れ落ちた。
中身が入ったままだったビール瓶が幾つもその中から転がり出て、雨あられと降り注ぎ敵の進行を防ぐ。
「危ない危ない危ない〜っ」
勢い余って自分たちの方にまで振ってくるガラスの欠片に、手を引かればたばたと前に突き進む。
ガシャン、バリン、と近くに雷が落ちたときにも似た感覚が鼓膜を襲う。佐久間と阿部が通った跡は汚い埃がそこら中に充満した。
煙の向こうから追ってくる声は、もう聞こえない。
「………、やりいっ!」
後ろを振り返りながら尚も走り続け、二人でハイタッチを決めた。



そして、またまた所変わって、ここは東京の某スタジオ。
こちらでも、入り組んだこの建物の曲がりくねった廊下を五月蠅くばたばたと走り回る大人二人が居た。
向かいから歩いてくるスタッフを身体を捻って避ける。階段を下り、ロビーの柱の影に隠れて神妙な顔つきで周りをキョロキョロと見渡す。
靴音がすると身体を翻して一目散に階段上へ駆け上った。一気に四階までたどり着き、胸を押さえて一つ大きな深呼吸をする。
そしてやはり険しく目を細め、慎重に辺りを見回す。誰もいないことを確認すると駆け足で廊下を走り出す。

「…ってお前何付いてきてんだよ!」
慌てたように叫ぶアフロの男・トータルテンボス藤田は、向こうへ行け!と自分の隣を同じように走る相方の大村の肩を軽く叩いた。
「は?違うって、俺が行く所にお前が来てんだろ?」
藤田の手を振り払いながら大村が言った。
藤田が右へ行くと彼も右へ、左へ行くと左へ…と二人にはそんなつもりは無くとも、面白いくらい進む方向がシンクロする。
「じゃあそこ、そこの角で二手に分かれよう。じゃねえと共倒れになる」
突き当たり、左右に分かれた廊下を指差して藤田が言う。それに大村は頷いた。
「よし、俺右。右右右。いいだろ?」
「かまわんよ」
分かれ道で立ち止まり、お互い無事に『逃げ切れる』ようにと拳を軽く合わせる。
その時、階段を上がってくる足音が微かだが聞こえた。藤田たちと違いそれは酷くゆっくりで、まるで走らなくとも捕まえられるとでも言っているようだ。

「くそ!もう追いついてきやがった!」
「早く、あっち走れ!ぜってー見つかるなよ!」
互いにビシっと敬礼すると藤田と大村は真逆に廊下を走った。
その直後、階段を上りきった男が廊下に現れた。

「何処行ったって無駄なのに…」
やや長めで先の跳ねた黒い髪。右目に鬱陶しく覆い被さるそれを指で横に分けると男は口の端をつり上げて笑みを浮かべた。
そして迷うことなく藤田たちの通った道を歩いていく。突き当たりの分かれ道で足を止めた。頭を掻きながら左右をゆっくり眺める。
「二手に分かれたか…さっきまで一緒だったのに。面倒くさいなー」
面倒くさい、と言いつつも男の表情はどこか楽しそうだった。
「一人ひとり潰していくか。えー……ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な…っと」
指をチョイチョイと左右に動かしお決まりのリズムを口ずさむ。
指先の指した方向は―――右。
「よっし、大村さんに決定。ぱちぱちぱち〜」
実際藤田と大村がこの道を通ったのを見た訳でも無かった。だが男は二人が今まで共に行動していた事や、この分かれ道で二手に分かれた事。
更には大村が右の道へ逃げた事まで言い当てたのだ。
息を潜めて隠れている藤田も大村も、その声にギク、と目を丸くさせ身体を震わせる。
鼻歌を歌いながら男は一番奥の楽屋の前に立った。わざと焦らすようにドアノブをゆっくり回す。大村は口を塞いで細い息を吐いた。
男はドアを開け、手探りで電気のスイッチを押した。ぱっと楽屋が明かりに照らされた。


―――だが、中には誰もいなかった。
小さな白いテーブルと鏡とロッカーがあるだけで、人影は見あたらない。
すると男は考え込むように黙ってしまった。
「あれぇ?…っかしいな。俺の“力”鈍ったのかな…」
ブツブツとぼやきながら残念そうに眉を顰めて踵を返し、部屋から出ようとした。
大村はホッと息を吐いた。…その時、

「…なーんちゃって」
おどけた口調で笑い、男が振り返った。
そのまま勢いよくロッカーの扉を開く―――。

わ―――――っ!!

「この声は、大村…!?嘘だろ…!…じゃ、“生き残り”は俺一人か…?」
逃げ回っていたのは藤田と大村だけでは無かった。何人もの後輩や先輩は、何処に逃げても、何処に隠れてもことごとく奴に見つかった。
「藤田さん。藤田さんだけですよ、残りは」
男は勝ち誇った笑みを浮かべ、藤田の逃げた左の通路へ向けて声を投げた。
当然ながら藤田が返事をするはずもなく、男は苦笑を漏らす。
「藤田さん、右から三番目の掃除用具入れ。でかい掃除機とホウキの後ろに隠れてる!」
男がそう叫んだ瞬間、


「ああ〜くっそ、当たりだよっ!!」
悔しそうに扉を開け、藤田が飛び出てきた。
「何だ何だ?もう全員見つかったのかよ」
他の芸人が廊下の奥からぞろぞろと歩いてくる。男はにっこり笑ってまた被さってきた髪を耳に掛けた。


「つまんねーよーQちゃんがオニの『かくれんぼ』!」
「懐かしさを味わう間もなく見つかっちまったよ!」
皆が怒るのも無理はない。開始5分でかくれんぼは終わってしまったのだから。
Qちゃん、と呼ばれた男―――ハイキングウォーキングの鈴木Q太郎こと鈴木正志は藤田たちに小突かれながらも「すごいでしょ、俺の力〜」と笑っていた。

「つーか…松田くん。松田くんは何処行ったの?」
大村が鈴木の相方である松田を捜す。かくれんぼ開始時は確かに居たはずだった松田が何処にも見あたらない。
「あー松田さんはですねぇ、外に出ちゃったみたいですよ。つまんなかったんでしょうかね」
鈴木は慣れた様子でしれっと答える。
昔からこういう子供は必ず一人は居た。かくれんぼや鬼ごっこで遊んでいる途中で勝手に帰ってしまう俺様気質な子供が。
それはちょっと戴けないなあ、とやや怒り気味に大村が携帯を取り出し、松田に電話を掛ける。繋がったところでそれを鈴木に渡した。
「もしもし松田さ〜ん、とちゅうで抜けないでくださいよ〜」
『あ?あーごめん…あっ、オイこらっ、服が汚れるだろお前ら。ははは…』
携帯を通じて聞こえてくる松田の声が一瞬遠くなった。
何だか子供の声も聞こえる気がする。
「松田さん?」
『え?いやいや、まだ隠れるとこ探してんの……こら、砂散らすなっ』
「でももう…」
『まーだだよっ!』
すると一方的に電話は切られてしまった。

「あっそ…まだ、なんだ」
乾いた笑いを浮かべ、あきれた声で大村が言った。
「んで、待つんだ。Qちゃん」
「もちろん。まあ、松田さんの言ったことは絶対ですから」
ここまで上下関係のはっきりしているコンビも珍しい。とりあえず一時間に一度「もういいかい」の電話を入れる事に鈴木は決めたのだった。

松田が携帯を閉じると。
「笑わせ師のおじちゃん。遊ぼう!」
「え?あ、いたたたた…」
公園の砂場にお城を造ったことですっかり子供たちに気に入られてしまった松田は、手加減を知らない子供に髪を引っ張られながらも律儀に遊びに付き合ってあげていた。

 [ハイキングウォーキング 能力]