348 : ◆8zwe.JH0k. :2006/03/13(月) 00:08:11
ブロック塀に小さな亀裂を入れて深々と突き刺さるのは、丁度弓道用の矢と同じくらいの太さに精錬された、棒状の細い岩。 一瞬何が起こったか佐久間には分からなかった。 再び、空気を斬って矢が飛んできた。一本や二本ではない、かなりの数。 人間というのは、こういうとき本当に身体が動かないもので。 思わず目を瞑った。カカカカンッ、とリズミカルに石矢が刺さっていくのが分かった。 矢が飛んでこなくなったのを確認し、佐久間はゆっくりと目を開けた。 身体には、傷ひとつ無い。 (―――なんか知んないけど、助かった) ホッと一息吐いて腰を下ろそうとしたが、服がピンと引っ張られた為に出来なかった。 何だ?と肩口を見ると、矢が服の肩口の布を貫通したまま石肌に刺さっている。 よく見ると、矢はズボンもTシャツの裾も見事に射抜き、壁に釘で打ち付けたかの如く体を貼り付けていた。 佐久間はぐいぐいと体を起こそうとするが、服を破りでもしない限り、動けそうにない。 (これはもしかして、もしかしなくても…“捕まった”?) やばい、と悟ったが時既に遅く。 「見つけた」 何とかこの張り付けから脱出しようと奮戦している内に、前方から松田が歩いてくるのを見た。 少し疲れているのか、浅い息を繰り返し吐いている。 四大元素の力は殺傷能力が高いせいで他人を捕まえるには大怪我をさせて捕まえるしかないが。 火や水と違い、最初から個体である土は精錬すればどんな形の物でも創ることが出来る。例えばこの、戦場で使われるようなトラップであったり。 近づいてくる黒い欠片の禍々しい空気に激しい嫌悪感を覚え、眉を顰める。 「ひっ、い、嫌だ…。助けてっ……!」 叫んだつもりの声は小さく引きつっていて、砂と共に風に攫われた。 暴れても逃げられない状況に、自分でも顔が青ざめていくのが分かる。 その時だ。 「よしきた」 と酷く場違いに明るい声が頭上から降ってきたのは。 …それはずっと望んでいた声で。 佐久間はゆっくりと閉じた目を開いた。 声の主は佐久間の身体が貼り付けられているブロック塀に足を掛け、そのままの勢いで大きくジャンプし松田との間に立ちふさがるように着地する。 「スタイリッシュなお気遣い芸人あべこうじが助けに来たぜい!」 余計とも思われる前置詞はともかく、予想外の乱入者の登場に松田は目を丸くした。 「ほ、本当に来た……」 松田がほぼ無意識にそう呟く。 「そりゃー来るよ。ピンチにはお助けマンが表れるのが世の仕組みってね」 聞こえていたのか、きゃっきゃっと佐久間と対面した喜びを分かち合っていた阿部が顔を向ける。 阿部は笑ったときと怒ったときの目つきが別人のように違う。 その“怒ったとき”と同じ鋭い視線に射抜かれ、一歩たじろいだ。 松田がサッと手を上に翳すと、細かい砂が舞い上がって手の中にに集まり刀が作り出される。 「お前か…松田」 阿部が懐から取り出したのは、二本の短い折りたたみ傘。 水玉模様とチェック柄のよく見かけるビニール傘で、特にこれと言った強そうな要素はない。 松田の振り下ろした刀を二本の傘を交差して受け止め、体格の差を利用して何とか押し返したものの、この一撃で傘の布は破れ、骨は何本も折れ曲がっていた。 口元を尖らせ、使い物にならなくなった傘をじっと見渡す。 「“何すぐに壊れてんの、もっと強いはずでしょ?”」 頑張れ、と何やら傘に妙な激励の言葉を掛けたと思った瞬間。ぼろぼろの傘が光を放つ。 光が収まった頃には、傘は完璧に元通りになっていて、加えて薄いベールが周りを包み込んでいる。 一度抜けた歯が生え替わるときに、より固いものとなって生えてくるのと同じように、壊れた傘は、今度は二度と壊れないような丈夫な造りとなって復元されたのだ。 余裕の表れからか、自信満々の意地悪い笑みとおちゃらけた態度は一向に崩れない。 二本の傘を両手剣よろしく逆手に持ち換え、体勢を低くとって構える。 傘術という武芸があることは知っていたが、時代劇や映画、テレビで見たポーズをそのまま真似ているだけで、武術の心得は何も無かった。 しかしそれを十分補う程、手に持っている“強く生まれ変わった”傘の強度は岩石を弾くほど凄まじいものだ。 先程とは打って変わって、今度は阿部が傘を振り下ろしてきた。 ガンッ という、太刀音とはほど遠い、重い物同士がぶつかる音が響いた。 阿部の傘を松田が砂剣で受け止めている鍔迫り合いに近い状態で、お互いに止まっている。 「佐久間さんを泣かした罪は、重いよ?」 阿部が顔を近づけ、低い声で小さく言った。顔を見ると明らかに目が笑っていない。 体重を掛けて踏み込むと、松田が僅かに片膝を着いた。 「くっ…!」 腕力では敵わないと悟った松田が念じると、地面から浮き出た尖った岩が空中に出現し、ミサイルの要領で阿部に発射される。 運動神経の良さが幸いし、槍のように降ってくる岩を後ろに飛び退きながら避けるが。 「あ!」 そのうちの一つが、身動きの取れない佐久間に向かって飛んでいったのを目の端で捉えた。 能力を使おうにも腕を伸ばせない状態にある佐久間はどうすることも出来ない。 すぐさま阿部が佐久間を庇うように立ちふさがり、片方の手に持った傘をパッと開き盾代わりにする。 鮮やかな水玉模様が殺伐とした敷地によく映えていた。 ゴン、ゴン、ゴン、と岩は立て続けにぶつかっては砕け散って地面に落ちた。 「怪我はない?」 パチンと傘を閉じると、いつもの芝居がかった口調と仕草で、子どもに話しかけるときのようにゆっくりと言った。 馬鹿にされた、と思ったのか、恥ずかしいやら情けないやらの感情が入り乱れ、佐久間は顔が熱くなるのを感じて顔を下げた。 「あべさん、何でここが…」 動揺を隠しきれず絞り出すような松田の声に阿部が振り向いた。 「今さあ…岩、本気でぶつけるつもりだったろ、さっくんに」 ふざけんなよ、と睨みを利かせる。 「誰にこの場所を聞いたんですか?」 「…教えてやってもいいよ。でも、俺に勝てるかな?」 鉄のような強度と破壊力を備えた傘を、宣戦布告の意味を兼ねて突き出す。 教えて欲しければまず俺を倒すがいい!というやつか。 本当にどこまでが冗談でどこからが本気なんだろう、と松田は顔を顰める。 兎に角。阿部が佐久間を助けた事で二人の距離は再び広がった。 遠距離の戦闘になれば地面の土を操作する事が出来る。 ゆっくり念じながらサンドストーンを光らせた。 能力の規模が違いすぎる。さすがに、人一人守りながら短い傘二本でどうにかなる筈もなく。 傘の柄に岩肌が引っ掛かり、思わず手を離すと、傘は高く舞上げられ倉庫の屋根の上に。 阿部は擦り剥いた肘をさすりながら苦笑いを浮かべて言った。 「あ〜ぁ、やられちゃった。何なん?今日やけに張り切ってんじゃん」 「教えてくれるっていうのは」 「そんな約束忘れた〜」 残った一本の傘で何気なく肩をトントンと叩いた後、「おりゃっ」と一声。 佐久間を押さえつけていた石矢を叩き割り、悪足掻きで最後の傘を槍投げのように松田に投げつけた。 石飛礫を飛ばすと相打ちになって、回りながら落ちていった傘はストン、と柔らかい泥の地面に刺さった。 それに気をとられている間に、阿部は佐久間の腕を引いて、スタコラと敷地の奥へと入っていった。 「―――そうか、あいつだな…」 頭の中に何も知らずに(と言っても自分が何も話していないだけなのだが)えへへ、と笑う呑気な相方の顔が思い浮かべられ、松田は苦虫を噛みしめたような顔つきで舌打ちをした。 憎むとかそういうのでは無いが、ただ妙に腹立たしかった。 とにかく、この敷地内から出るには自分の横を素通っていくしか道はない。 松田は追いかけることもせず、ただ壁に背を預けたまま二人が出てくるのを待つことにした。 ―――『ぶつけるつもりだったろ。さっくんに』 阿部の言葉が脳内で蘇る。もちろん殺してやろうとまでは思っていない。 仕方ないんだ。阿部の弱点である佐久間を狙わない限りきっと負けていたから。 命令を失敗するわけにはいかないから。 あの時は仕方なかったんだ…。 「ははは…はぁ…」 小学生のような言い訳じみた自己弁護に苦笑した。 「追いかけてこない…か。余裕のつもりか?」 小さな物置小屋の錆び付いた引き戸を、足で蹴り上げながら無理矢理こじ開ける。 カビの臭いが酷く一歩踏み入るだけで埃が立ち上がる。 一応椅子が置いてあったがとてもその上に腰掛ける気にもなれず。 なるべく壁や柱に身体が触れないように佐久間はそろそろと身体を丸め込むようにしゃがみ込む。 「川の泥水はどれだけ浴びても平気なのにね」 そんな彼を見て阿部が呆れた溜息を吐きつつ、小屋奥のガラクタを物色する。 「これ使えそうじゃない?」 ガラクタの山――阿部の石からすれば宝の山だろうか。 そこから見つけてきたオモチャの水鉄砲を二つ差し出す。 引き金のポンプが外れていて、ヒビが入っている姿から、いかに安物のオモチャだったかが伺える。 佐久間は首を傾げながらもそれを受け取り、片方ずつ両手でつまみ上げて地面にトン、と置き、小刻みに揺らす。 「えーと…“どうもー二丁拳銃でーす”…?なんちゃってアハハー」 「こら」 違うだろ、と水鉄砲を取り上げる。 そして、石の力で水鉄砲を復元させる。 今度はきっとポンプを引くと水がジェット噴射の如く飛び出すんだろう。 気絶する程までは行かないが、小さな石くらいなら水圧で弾き飛ばせられるし、身体に当てればそれなりに痛い。 行こう、と早々に阿部が立ち上がる。 どのみち松田と戦わなければ此処から出られない。 「完っ璧、足手まといだ、俺。邪魔?」 と、佐久間が言った。阿部は振り返らず答える。 「そうだね。超が付く邪魔だよ。……それでも俺は、さっくんを見捨てない」 急に向けられたその真剣な目に、佐久間は顔を強ばらせる。 何も返すことが出来なかった。 暫く間を置いて阿部はにやりと笑った。 「だぁってさ、あんなでかい石が頭にゴーンていったら、さっくん今以上にパーになっちゃう」 「また馬鹿にして〜…」 心配して損した。と、頭の上で人差し指をくるくる回している阿部の腕を掴む。 阿部はそんな雰囲気を誤魔化すように口調を一変させ笑い飛ばすと、「怖くても泣かないでよ?」と佐久間の背中を叩き、小屋から出た。 後に続いて立ち上がり、その背中に向けて佐久間は叫ぶ。 「―――別に!怖くなんかありませんよ。別に!別にっ!」 |
[あべこうじ 能力] |