東MAX短編


14 : ◆vGygSyUEuw :2006/08/26(土) 17:05:23 

男が一人、走っていた。 
何かに追われているような顔で、ちらちらと後ろを振り返る。 
実際には、男を追って走る影はない。…ように思えるのだが。 
夜更けの繁華街は、独特のネオンや雰囲気が五感に刺す。 
行き交う人々は男のことなど気にも留めずに、時折ただ不審げに一瞥した。 
そのことに憤る余裕もなく、とにかく男は走っていた。 
大通りを横切り、路地裏に入って、やっと一息つく。 
手近な外壁にもたれ、乱れた息を整えて、不意に夜空を仰いだ。 
「…あーあ。」 
嫌気の差したような呟きに、心底からの重い重いため息が続く。 
ビルの陰となっている筈なのに、男…東貴博の周囲には、確かに淡い光があった。 

なぜ自分が夜の街をこうも全力疾走しなければならなかったのか、東は思い返していた。 
時計を見る。たしか、20分ほど前。 
仕事が終わって、さて夕食でもと思いテレビ局を出た、途端。 
目の前に唐突に若い男が現れた。 
あれいつのまに、と思うのと同時ぐらいに、男が動いた。 
指からペンライトのように細く青い光が飛んできて、左肩に当たる。 
肩自体は何ともなかったが、一瞬で体が氷水でも浴びたように冷えた。 
え、今、真夏だろ? 
「おとなしく、石を渡してください」 
妙に平坦な発音で言われた。寒さと不安で膝が震える。 
男が更に迫ってくる。じゃり、という足音に、反射的に体が動いた。 
とにかく叫びながら、死にものぐるいで走ったら、どうやら逃げられたらしい。 
以上、回想終わり。…って、何の手がかりにもならないじゃないか。 
一人で思考に突っ込むと、またため息をつく。 
あの光が何だったのか…実はわざわざ推理しなくてもいいほどに明白だった。 
ただ、信じたくなかっただけで。 
幸い今は特に肩に異常はない。痛くもなく、服すら破れていない。 
走ったおかげで体もあたたまった。しかし我ながらよく逃げ切れたものだ、と思う。 
こんなに動いたのも久々で、急に明日の体が心配になってきた。筋肉痛は確実だろう。 

「…あーもうやだやだ」 
とひとりごちて、そろそろ帰っても大丈夫だろうかと外壁から身を起こしたとき、 
『…にげて』 
そんな微かな声と共に、突然ポケットから警告のように光があふれる。背中がぞくりと粟立った。 
不格好ながら飛び退くと、地面を伝って帯状の青い光が来た。 
ちょうど、先ほど立っていた辺りに薄く広がって、消える。 
振り返ると、さっきの男がいた。 
「…反射神経いいんすね」 
無表情で言う。さっきと同じように指を差す格好をしていた。 
ごくりと唾を飲む。人気のない路地裏は、かすかに生ゴミのような臭いがした。 
誰かが颯爽と助けに来てくれる訳のない以上、火の粉は自分で払わなくてはいけない。 
「ねえ、穏便にお金で解決とかさ、そういうわけにはいかない?」 
我ながら脱力する提案をしてみたところ、相手も少しは気が抜けたようだった。 
というより、呆れた、か。 
「個人的には魅力的ですけど、バレたらやばいんで」 
「…君も結構な返事するねえ。」 
「お互い様っすよ」 
「俺、戦う気ないんだけど」 
「俺は、戦わない気はないです。」 
言いながらも、もう片方の拳から青い光がのぞく。微妙に黒がかっていて、薄ら寒かった。 
好戦的とも言い難い白くぼーっとした顔に、物騒な色はない、が。 
たぶん今の自分は、嫌悪に近い目をしているだろう。 
しかし目の前の男は、目に光がない。どっちもどっちだ。 
「ああ、嫌だ嫌だ。」 
もう一度言ってから、拳を握る。 
上手く笑えていないのは分かっていた。 
戦いたくないから、頑張って逃げたのに。 
何で終わってくれないんだろう。 

「…うわっ!」 
前触れもなく、青い光が飛ぶ。 
避ける。また飛んでくる。また避ける。 
低い姿勢を取っていたものだから、半ば転がるようになった。 
ちょっとやめてよ、この服気に入ってんのに。 
そう言う余裕も与えずまた光が飛ぶ。短い悲鳴をあげてぎりぎりで避ける。 
ああ、ちょっと無様かも。 
そう思いながらも、続けて撃たれた際どいコースを避ける頃には、こちらももう開き直っていた。 
ちっ、と舌打ちをして、男が手を開く。 
さっきよりも広範囲の光を何とか避けて、這いつくばるように地面に手を突いた。 
ちょうどそこは、さっき光の当たった所だったらしい。駆け上る冷たさに、ばっと身を起こす。 
すぐさま汚れた手と服を払って、呼吸を整えた。 
「よく避けれますね」 
「…いくら夏とはいえ、凍りづけにされるのは正直遠慮したいからね。」 
向こうも息を乱している。手がパーだとそう乱発はできないらしい、いいことを知った。 
「…何で能力出さないんですか」 
「何で戦わなきゃいけないの」 
言うと、男の眉間に皺が寄った。 
その目に、ぐっとこみあげてくる思いがあった。 
「何で、芸人が戦わなきゃいけないのさ」 
冗談じゃない、勘弁してくれ、もうごめんだ。 
そう遠くない昔に強く強くそう思ったことがあった気がする。 
おぼろげな感覚しか残っていないけど、でも、覚えがある。 
何とか浮かばせようとするとずきずきと頭が痛んで、思い出そうとするのをやめた。 
額を片手で押さえて、大きく息を吸い込んだ。 
ああ、何でか今の俺には何にもわかんないけど、 
確かにそう喉が嗄れるぐらい叫んだことがあったんだ。 


一瞬だけ瞼の裏に投影された静止画は、次の瞬間にはもう何だったかもわからなかった。 
ただ、誰かが黙って泣いてる気がした。 
だから俺は、静かに構えて、人を笑わせるための言葉を言った。 
「…東MAX!!」 
突き抜けていくX型の光線は、人を泣かすかもしれない奴に届いた。 


「…大丈夫?」 
「なんとか…」 
目が眩んでつぶっていた瞼を開くと、男は仰向けに倒れていた。 
おかしいな、俺のはそう強くないはずなのに。 
怖々歩み寄って声をかける。あまり顔色がよくなかった。 
「俺の能力…使いすぎると熱出るんすよ」 
なるほど。道理で弱い衝撃波でも倒れる筈…って、 
「敵にそんなの教えちゃっていーの?」 
「…東さん、『白』じゃないでしょう」 
だから、とあんまり返答になっていないようなことを言うと、男はよろよろと起きあがった。 
咄嗟に身構えると、苦笑いを浮かべて手をひらひら振る。 
「もうそんな気力ないっすよ。 
 また誰か来るかもしれませんから、せいぜい気ぃつけといてください。」 
じゃ、と言うとおぼつかない足取りで男は立ち去る。 
しばらくはあっけに取られていたが、はっと我に返る。 
黒には珍しい人種じゃないか、あれ。 

路地裏から出ると、ネオンの強い光が眩しかった。 
手を洗いたいなと思う。できれば風呂にもゆっくり浸かりたい。 
ゴミの臭いが移っていないか心配になって袖を嗅ぐ。薄汚れてはいたが、普通に洗剤の匂いがした。 
時計を見ると局を出てから一時間近く経っていた。 
空腹だったことに気付いて、辺りを見回す。 

生憎その通りには飲み屋ぐらいしかなかったが、馴染みの店が近い筈だ。 
何を食べようかと考えながらふとポケットに手を入れると、でこぼこした固い感触があった。 
久々にその力を使った乳白色の石を、労るように指先で撫でる。 
スティルバイト、とか言ったっけ? 
和名は束沸石。白、黄色、ピンク、褐色などが多い。 
束ねてぎゅっと絞ったように独特な形をしている。高度はあまり高くなく、脆い。 
去年の秋頃この石を拾ってから無意味に増えた石の雑学を引っ張り出してくる。 
急に頭の中で声が聞こえたりし始めた時には何事かと思ったけど、もう慣れた。 
使い方は少しずつ、それこそ週一で戦ってるような人なんか呆れそうなペースで覚えてる。 
今日みたいに襲われるのは珍しいけど、最近なんか激しくなってるらしいし。 
やっぱり誰かと一緒に帰ろうかなあ? 
そんなことを暢気に考えながら、ゆっくり歩いて店へと向かう。 
その横顔はきっといつもの自分に戻っている筈だ。 
それでいい。この顔のまま過ごせる日が続けば。 

数えるほどしか戦っていない男の腕は、他の誰かより確かに弱いだろうけど、 
少なくとも道ばたに倒れる気はないからね、と心中で誰へともなくうそぶいてみせた。 
この顔のまま過ごせる日を、守るために。 

「…でもほんと、戦うのやなんだけどなあ」 
小さな声でぼやくと、同意するようにくすくすと笑う声が聞こえた。 




 [Take2 能力]