灰色[1]


97 名前:灰色 ◆IpnDfUNcJo   投稿日:04/11/12 00:03:00

 肩で息をしながら、西澤は、どうしてこんな事態になったのかとつい今まで 
 起こっていた事を思い返していた。 
  
  
 出演する舞台のために通い慣れた劇場に足を運べば、まず感じたのは纏わりつくように 
 全身を覆う、不快としか言えない空気。 
 すれ違う人々に普段と変わったところはなく、ただ空気だけがいつものそれと違っていて、 
 その奇妙な事象に無意識のうちに石を強く握り締めた。 
 簡単なリハーサルを終え、舞台を終え、何事もなく一日が無事に終わりそうな事に安堵して 
 (今思えばそれがいけなかったのだが)ネタを書くために楽屋でネタ帳と睨めっこしていると 
 突然、背筋を何かが這うような感覚が走った。 

 朝感じたのと同じ質を持つその感じに、じわり、と嫌な予感が再び胸の奥からこみ上げてきて、 
 おそるおそる顔を上げれば楽屋内に居る5,6人の芸人たちが皆自分の方を見ている。 
 何かした訳でもない以上それだけでも充分おかしいのに、彼らの目は揃いも揃って 
 光のない虚ろなもので、西澤は今朝のあの奇妙な違和感の原因、そして危惧を曖昧なものから 
 完全に確信に変えた。 
  
  
 ──もしかして、っつーか、もしかせんでもやばいやろ、これ。 
  
  
 直感的に危険を察して西澤が荷物もそのままに楽屋から飛び出すと、 
 楽屋内に居た芸人たちはまるで導かれるかのように彼の後を追いかけていく。 
 そして、目の前の非常事態に狼狽していた西澤には、一気に人口密度の下がった 
 楽屋の隅で一人不気味な笑みを浮かべていた人物の存在になど、気付ける筈もなかった。 

 西澤は普段の姿からは想像出来ない程必死に走りながら、とりあえず一時的に 
 この状況を凌ぐための場所を探し、目に飛び込んできた倉庫に急いで身を隠す。 
 まるでTVアニメの如くその部屋の前を先程の芸人たちが走り去っていくのを足音で確認し、 
 西澤は扉の前に座り込んで大きく息を吐いた。 
  
 …そして今に至る。 
 彼らが石の力によって操られているのは、ほぼ間違いないだろう。 
 ただ問題なのは、力の出所が分からない事。 
 誰が示唆しているのかも分からないのでは頭を潰すにしても叩きようがない、と思案に暮れた時。 

 「……っ!?」 
  
 突然背後から羽交い絞めにされ、一瞬抵抗する事も忘れて振り返れば 
 いつの間にか扉は開いていて、見知った芸人たちがぞろぞろと周りを取り囲んでいた。 
 自分を羽交い絞めしているのが誰なのかは確認出来なかったが、西澤にとってはもう 
 そんなのはどうでもいい事で、どうすればこの危機的状況を脱する事が出来るかと 
 頭をフル回転させる。しかしどう足掻いたって自分の力ひとつでこの大人数から逃れられるとは 
 思えないし、仮に石を使ったとしてもこの状況下で自分のそれは大して役に立つ訳でもない。 
 かと言って自身の力でここに居る全員を張り倒して逃げるんなんていうのはもっと無理な話で。 
 まさしく四面楚歌、もうどこにも逃げ場なんて残されていない最悪の状況に、 
 西澤は思わず項垂れて目を閉じた。 
  
 ──うわー、アカン…もう終わった… 
  
 正面に立った男が西澤の首にかかっている、煌きを失くしたごく薄い青色の石に手を伸ばす。 
 西澤がもう何もかも諦めた直後、閉じられた瞼の向こうで、何か固い物が壁にぶつかる様な音がした。 

 「……ん?」 
 恐る恐る目を開くと足元にはつい今まで目の前に立っていた男が床に突っ伏している。 
 そしてそのすぐ脇にはまるでチンピラの様な風貌の、見慣れた芸人。 
 「あれ…大悟、さん?」 
 まるで正義のヒーローさながらな登場をした、何故か裸足の大悟は「よお西澤。危なかったのう」と 
 笑うと一瞬後には表情を真剣なものにすり替え、突然の事に戸惑っている芸人たちを見渡した。 
 「たくよ…誰だか知らんけど趣味悪いのー。こんな大勢使って一人を追い回すんが楽しいか?」 
 大悟が呟くと、また一人誰かが入り口の前に立っていた芸人たちを押し退けて彼を呼びながら 
 部屋に入ってくるのを確認し、西澤はふとそちらに目を向けた。 
 「大悟、お前いきなり走ってくなや!お前が力使ったら追いつけんわ!」 
 「やー、そんなん言うても力使わんと間に合わんかったし。ええやんけ別に」 
 西澤の存在を無視して大悟と言い合っているのは彼の相方のノブ。その両手の先にはおそらく 
 大悟の物であろうスニーカーがぶら下がっていた。 

 「あの、大悟さん、ノブさん」 
 とりあえず喧嘩より先にこの状況をどうにかしてほしいと思って口を挟むと、二つの視線が 
 同時にこちらを見て思い出したような表情に変わる。 
 「あー、悪い西澤。今片付けるから待っとってな。つー事でよ、ノブ、頼むわ」 
 「え?何で俺なん?お前は」 
 ノブが訊くと大悟は首を横に振って辺りを見回した後、足元に転がっている芸人を一瞥する。 
 「こいつら石持っとらんし、操られとるだけなんやろ。そんな奴らにあんま危害加えたないしや」 
 さっきのは不可抗力だったけどな、と付け加えられると、ノブはしばらく考えるそぶりを見せた後 
 「まあええわ」と言って赤く透き通る、ぱっと見ただけなら多分ルビーと見間違うのではと思う程の 
 美しい石を取り出すとそれを力強く握り締めて大きく息を吸った。 
 その様子を真剣に見つめているとノブの動きがぴたりと止まる。 
  
 「俺と大悟と西澤以外全員徹夜で寝とらんくて今すぐ寝たい気分!」 

 ノブが声を張り上げてそう発すると、彼の石が強く輝きを放ち、そしてそれはすぐ消える。 
 あまりの訳の分からなさに西澤が周囲をぐるりと見回すと、何故か皆が皆、気だるそうに 
 頭を擡げたり目を擦っていて、しまいには座り込んだり寝そべる者まで居た。 
 そしてそれは西澤を拘束していた男も同じで、掴んでいた腕を解くと頼りない足取りで 
 壁まで歩いてそのままずるずると座り込み瞼を閉じる。西澤はようやく解放された、 
 少し痛む体を気にする事も忘れてその一連の動作をぼんやり眺めた。 
 あまりに突然の事態に疑問符ばかりが頭の中を駆け巡り言葉も出ない。 

 「おお!うまく行ったわー」 
 ノブが満足そうな声を上げ、大悟は確認するように眠り込んでしまった芸人たちの頬を軽く叩いたり 
 名前を呼んだりしているその状況と今までの情報とを一つずつ整理し、思考はある結論に辿り着く。 
 「あ…もしかして今の、ノブさんの」 
 「そうそう、俺な、嘘が本当になんねん」 
 投げかけた疑問に返ってきた、余計な言葉を省いた至ってシンプルな説明でようやく合点がいった。 
 それならさっきの意図の読めなかった台詞も今のこの状態も納得出来る。 
  
 「ところでよ西澤、津田はおらんの?」 
 スニーカーの紐を結び直しながら訊ねる大悟を不思議そうに見遣った西澤が「知りませんけど」と 
 簡潔に言うと、大悟は怪訝そうに眉を顰めて立ち上がり「何で?」と続けて訊く。 

 「相方やろ?」 
 「いや、相方ゆーても行動とか全部把握してる訳ちゃいますし」 
 「津田は石持ってるんか?」 
 「持ってます、確か」 
 「危ないやんか、それじゃあ」 
 「ああ…そうですね」 
 「まー、ワシもお前らがそう仲良うないのは知っとるけえの。でもこういう時ぐらいは心配したれや」 
 然して問題ではないと言う感じの西澤を大悟は呆れた様子で諭し、ノブの方へ視線を移すと 
 「とりあえず津田捜さんとな」と言ってさっさと部屋を出て行く。ノブは特に何も言わずそれに続き、 
 西澤は何となくもやもやしたものを抱えながらも黙って二人の後を追いかけた。 


 [千鳥 能力]