灰色[5]


786 名前: 灰色 ◆IpnDfUNcJo   Mail: sage 投稿日: 08/01/06(日) 23:35:12 

「…何なん、西澤」
様子のおかしい西澤に気付いて哲夫が訝しんだ視線を向けると、
西澤はこめかみを軽く掻いて少し間を置いた後、口を開く。

「いや、もうね、そろそろええんちゃいますか。哲夫さんらも、大悟さんも」

誰と目を合わせる事もなく、聞き取り辛い低音で呟いた言葉に、
一瞬その空間が音を失くしたかの様な静寂が訪れる。
「水を打ったよう」という言葉がこれ以上ないほど相応しいその状況を、
静かに、けれど確実に破ったのは、先程までとは随分質の違う、拍子抜けしたノブの声だった。

「え…なに西澤、何?何の話?」
訳が分からないと言いたげな調子で何度も同じような事を繰り返すノブと、
状況についていけず、間の抜けた表情で目を瞬かせて呆然とする津田を置き去りに、
笑い飯両名と大悟は俯いて肩を震わせている。
音の少ない空間には潜めた笑い声の様な物が聞き取れ、
俯いているせいで影に隠れ、はっきりとは窺い知れなかった3人の表情は、角度が変わった事で光に照らされて。
それによって、つい今しがたまで一触即発だった筈の空気は、完全に打ち消される事となった。

「ほれ見ぃ、せやから西澤は無理や言いましたやん」
大悟が冗談まじりの非難を、真剣という言葉とは程遠い色の声で口にする。
呼びかけた先の哲夫と西田の表情も彼と同じく、今までの緊迫していた雰囲気とは全くもってそぐわない。
持ち上げられた口角も面白そうに細まった目も、今は底の見えない空恐ろしさを覗かせる事はなくなり、
いつも彼らが特有の悪乗りをした時によく見られる、見慣れた顔の見慣れた表情であった。

何故か一瞬にして和やかになった空気に暫く目を白黒させていたノブは、
やがて気付いた様に「あ!」と声を上げ、苦々しい表情で眉間を押さえた。
「ちょ、ま…マジか、うーわ、完っ全にやられた…」
「え?ちょ、ちょ、どないなってんすかちょっと」
津田より早く現状を理解したノブが、いかにも芸人らしい少々大袈裟なリアクションを
取りながら舞台上を右往左往するのを指差し、哲夫が茶化すような声をあげる。
「うーわ、むっちゃマジやったやんけコイツ!寒いわぁ」
「そら本気になるやろ普通!てか、大悟、おい!お前も知っとったんか!」
「いやー…ワシもまさかなあ、ここまで気付かんとは思わなんだわ」
「気付くかあんなもん!お前ら、ちょ、もう…やめろやこういうの、シャレならんぞ!」
満面の笑みで、しかし喉からこみ上げてくる笑い声は何とかせき止めようと言葉を震わせる大悟や、
ダイアン両名を除いた面子を叱咤するノブに対して、
反省の色も表さず「どうしたんなー哲夫さんー」などと
先程までの緊迫していたノブの真似事をして茶々を入れる笑い飯の姿は、
西澤の目には、彼の憤りに拍車をかける事に楽しみを見出しているようにしか映らなかった。

一方、ひとり現状から取り残されていた津田は、4人のやり取りを見てようやく事態を把握したらしく。
「うっわマジで?え、てか何で俺が捕まらなあかんの?関係あらへんがな」
額に皺を寄せ、彼らに漸く届く程の声量で、無意識に誰に対するでもない文句を垂れる。
「まあ、ほんまは別に誰でも良かったんやけどね、たまたま津田おったから使わしてもろただけ。あ、一旦解散」
ダイアンをこのような面倒な事態に巻き込んだ張本人であるにも関わらず、
悪びれる様子もなく無情な言葉を投げ掛ける。
あたかも物のついででしかない風に、津田を縛り付けていた変形した石の塊を解く哲夫に
反論する気も失せたのか、津田は心底疲れ切った顔で項垂れた。
「俺何っもしてへんのに。最悪やホンマ」
一番損な役回りを押し付けられた津田の、至極真っ当な愚痴。
それは哲夫から返された石を首に掛け直している西澤の耳にだけ辛うじて届いていたが、
彼が、憔悴しきった相方へ向けて優しい言葉やささやかな気遣いを示すような事は、特にはなかった。


「あ、でも西澤、どこらへんで気付いたん」
そろそろノブをからかう事にも飽きたのか、会話の途切れた隙間を狙って、今気付いたかのように哲夫が問いかける。
西田も大悟もそれについては詳しい話を知りたいのか、哲夫に倣って、興味の色を宿した視線を西澤へと向けた。
つられて目線を寄越したノブと津田も含め、5人の人間の関心に満ちた空気を一斉に向けられた当の本人は、
大して畏縮する素振りも臆した様子も見せずに、右手の人差し指で胸元の薄青い石を数回弾いた。
「ああ…なんかね、この石、相手の欲しいもん足元に置くと、その人の動き止めれるっぽいですよ」
「あー、ほいでか。石放しても力使えるんかお前」
「まあ、ほんの少しの間だけなら」
「へぇ」
要点だけを簡潔に呟いた西澤に、合点がいったように頷いたのは哲夫。
いまいち理解しきれていないのはやはり津田とノブで、
詳しい説明もなく、なんとなく終わってしまいそうな会話を繋ぎとめる為に、ノブが2人に割って入った。
「いや、西澤、哲夫さん、もう少し詳しく」
「せやからな、俺の足元に石置いたやんかコイツ。あれがつまりお供えもんで、力使こてたいう事やろ。
ほんで俺が普通に動いたって事は、俺ほんまは石なんか欲しがってないって事」
筋道を立てた、明瞭な解説の後、せやんな?と確認を向けてくる哲夫に、西澤は黙って肯定の意を示した。
「はーあ、便利やな…全然知らんかったわ」
「うん、まあ言うてへんし」
感心したように洩らした津田に、一拍置いて、温度の感じられない西澤の言葉。
「何やねんお前それ!言えやそんぐらい!だいたいお前」
「しっかしお前勝負出たなぁ。俺らがほんまに黒やったらどないすんねん」
不機嫌を露にした津田がまくし立てようとするのをやんわりと遮り、哲夫が口を挟む。
行き場を失った怒りは宙を彷徨い、それを持て余してどうしようもなくなってしまった津田は、
もはや気概もない表情で成人男性にしては小さな体をいっそう縮こめて黙りこくった。


「黒だったらそれはそれで、まあええわって。実際石なんか持ってないほうが、面倒なくて良いんで」
西澤のある意味怖いもの知らずな言動に、西田と哲夫は揃って可笑しそうに鼻を鳴らし、
どちらかと言えば好意的な笑みを向ける。
「まあ、そらそうや」
「すんませんね、なんか。お楽しみのところ」
「別にええけど。なあ?」
「あー別に、結局こんなん遊びやしな」
西澤と笑い飯の間で交わされる、フワフワとしたいまいち掴み難い言葉のやりとり。
責任やら反省やら、そういったものの影も形も見当たらない光景を黙って見届けていたノブの細い目の間に、
もう一度何本かの皺が刻まれる。
「けど、いくら何でもあんな色んな芸人寄越してやらんでも」
「あー、あれはワシもびびったわ。あんなん用意しとるんなら言うてくれればええのに」
半ばぼやくような口調のノブと、ふざけた調子で楽しげに話す大悟の言葉を受けて、
哲夫と西田は顔を一瞬見合わせ、彼らに向き直って何度か瞬く。
その様子に、今度は西澤の眉間に、僅かな皺が寄せられた。

予感がする。それも、良くない方の。

「何、色んな芸人て」
「俺らそんな大それた事でけへんで」
十数分ぶりの静寂を呼んだ哲夫や西田の言葉は、ともすれば、またいつもの調子で知らばっくれているとも取れなくはない。
しかしそう結論づけるにも、どうも彼らの顔には、馴染んだ悪ふざけの色が見て取れなかった。
今のふたりの顔の上に存在するのは、ただ純粋な疑問のみ。
予感が的中しそうな兆しに、西澤は表面では読み取れないぐらいの苦い顔をして顎を擦った。
一方のノブは戸惑ったように言葉を詰まらせ、少し前の複数人の芸人たちの行動を思い起こしている。
「え、でも、俺ら西澤が若手の奴らに襲われてんの助けて…えぇ?」
「…あれ、哲夫さんらが仕向けたんじゃなかったんすか」
この作戦に加担していたものの、あの芸人たちの事に関しては本当に何も知らなかったようで、大悟が問いを投げ掛ける。
それまで笑みの形を崩さなかった表情が、微かに翳っていた。
質問を受け取った本人たちはすぐにその問いに答える事はなく、
訝しげに表情を曇らせるばかりの様は不信感をいたずらに増幅させる。


あれが笑い飯二人の差し金でなかったとしたら?
浮かぶ疑問に相応しい回答は思いつく限り一つであって、
けれどその思考を裏切られる、思いもよらぬ答えをどこかで期待するものの。

「そんなん知らんで、俺ら」
少し見せた考える素振りの後の短い返事。
それは西澤以外の中にも蠢いていた不確かな不安を確実な形に変え、
まだ解決していない問題を否応なしに負わされた芸人たちは、
暫しの間顔を見合わせる事もなく、押し黙る他なかった。


「…関係ねーわ、あんなもん」
大悟が抑揚のない声で、不意に呟く。
石を巡る争いには興味がないという心の底が過ぎるほどに感じ取れる、そんな質を含んで。
そんな大悟の心の内に頷きたいのは、その場に居た人間全てであった。
けれども、今までの経験と照らし合わせて、この先起こり得る厄介事をそれなりに鮮明に脳裏に浮かべてしまった彼らは、
大悟へ対して同調のリアクションを起こす事も何だか憚られて、沈黙を守る。
代わりのように、哲夫が、少しばかりうんざりとした調子の声を発した。
「白とか黒とか、何やねん、芸人が。アホらし」
吐き捨てられた哲夫の科白が、重たくなった空気の中を転がる。
そちらを見やる事も頷く事もせず宙を見据える西澤には、
何故かそれがとても力強くて、そして同時に、とても頼りないもののように感じられた。


ある男が一人、薄暗い部屋の中で眠りこけている若手芸人数人の中に立ち、辺りを見回していた。

「はー、これはこれは…またおもろい力やな」
興味なさげに足元の人間を一瞥した男は、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、
メール送信画面を開き、手馴れた手つきで簡潔なメッセージを打ち始めた。
"ダイアン西澤の他、千鳥両名、笑い飯両名、石所有。詳細は追って報告。"
打ち終えた文章を推敲する事もなく送信ボタンに指をかけ、そのまま躊躇いもなく力を込める。
「送信完了っと」
メッセージが相手へ向かった事を確認して、やや乱暴な手つきで携帯電話を閉じる。
どこか面倒そうに頭を掻いた男の表情は、楽しげでもなく、物憂げでもなく、憤りや苛立ちも見て取る事は出来ない。
光の灯っていない、感情を持ち得ていないかのようなふたつの眼が、薄い闇の中でどんよりと存在しており、
彼の双方と同様に鈍い色を放つ石が、美しく輝く事をせずに彼の手の中で濁った光を持っていた。


「早いとこbase片付けんとな。あーあしんどいわぁ」


低く呟いた声はその場の誰にも届く事はなく、浮かんですぐ、余韻すら残す事もなく灰色の空間へ消えていった。




792 名前: 灰色 ◆IpnDfUNcJo   Mail: sage 投稿日: 08/01/07(月) 00:36:34 


■西澤裕介(ダイアン)
石・・・・ヒデナイト(石言葉:しばしの憩い)
能力・・・・相手の体の自由を奪い、その場に制止させる事が出来る。
条件・・・・動きを止めるには相手の欲しがっている物を、対象の半径1m以内に置かなければならない。
(少しでも相手が欲しいと思うものであれば可)
投げれば数秒、ただ置くだけなら1ー2分、
お地蔵様へお供え物をするように、全ての動作を丁寧にすると5分近く相手を制止出来る。
力は3回使うと一旦使用停止なり、カレーの入った物を食べる事で再び使用可能になる。
(※地蔵菩薩は元はインドの王であったという説話より)


■津田篤弘(ダイアン)
石・・・・天眼石(別名チャロアイト。邪悪なものを跳ね返す護符として用いられたと伝えられる。)
能力・・・・一定時間、相手を極度のビビリにさせる事が出来る。
条件・・・・特定の相手に対し、恐怖や身の危険を感じた際に、
必死に相手の嫌なところを突っ込む事で力が発動。
「嫌なところ」は外見・内面は問わない。ただし津田が本当に嫌だと思っている事に限る。
津田の恐怖心が強いほど効果は増大する。
突っ込む際は噛んではいけない。噛んだら無効となり、そこから半日はその相手に力は使えない。


base編は以上で完結です。長い事かかってすみませんでした。
ラストで出てきた黒の芸人に関しては、こちらでは誰にするか定めていないので、
今後base書く方におまかせします。
本編には出せませんでしたが、一応考えていた津田の能力も書いておきます。

それでは、読んで下さってありがとうございました。