エレキ編 [1]


685 名前:672 ◆1En86u0G2k  投稿日:04/09/28 10:20:04

−某地方にて行われる『お笑い芸人大集合ライブ』まであと数時間。
簡単なリハーサルも終え、出演するほとんどの芸人が暇つぶしと観光に外へと繰り出していく。
仲の良い芸人達と真っ先にその場を飛び出していたはずのエレキコミック・谷井は、
会場から数えて2つめの交差点で「ごめんおれキャンセル!」と言うなり唐突に踵を返していた。
それは特に自分たちの別行動を憂いたわけではなく、楽屋を出る間際、
周囲の誘いの声を断って携帯ゲーム機を取り出す相方・今立に親しげに話しかけていた一人の共演者が
やけに気になっていたからだった。

自分たちの周りは最近やたらと浮き足立っている。
楽屋の片隅でひそひそと話し合う者が増えたし、芸人の不自然で唐突な交友関係も目立つようになった。
そして仕事仕事の合間には誰々が喧嘩した、怪我をした、体調を崩した、と
今までにない発生率で芸人の様々なトラブルが耳に飛び込んでくる。

確信はなかったけれど、自分の直感にはなぜか自信が持てた。
「…絶対あれの話だ」
無意識に押さえた左手のリストバンド。その裏には小さな石が縫い止められていた。
その男とそれほど親しくはなかったが、石を手にした芸人であることは互いに知っていたし、
なにより男は石の力を利用して良からぬことを画策する、いわば危険人物としてひそかに注目されていた。
最近では今まで交流が浅かったはずの芸人たちと接触していることが多いらしい。
それが仲間を得るためなのか、逆に邪魔者を排除するための行動なのかまではわからないが、
今立もまた彼との接点は薄かったし、また石に関して男と友好関係を結べそうな思想の持ち主でもなかった。
だとすれば、この不安もそう見当違いではないだろう。

問題は谷井も今立もまだ自分の石に込められた力を知らない、ということで、
それはたとえ今相方が石の力によって危機にさらされていたとしても成す術がないし、
自分が助けようとしたところで、まとめて叩きのめされる可能性の方が大きいことを示していた。
石を使いこなせ、信用もできる共演者が何組かいたのを思い出して、彼等の力を借りるべきだったかと
後悔したが、今からでは手遅れになってしまうかもしれない。
…やはりここは、自分が行くしかない。
背中を流れたいやな汗を極力気にしないようにして、足早に会場への道を戻る。
(身を守れるもんとか、あった方がいいのかな…)
きょろきょろと左右を見回しながら歩く谷井の姿は胸に秘めた決意に反して、
面白い以外のなにものでもなかった。

楽屋前の廊下の奥にはひっそりと階段がある。それを2階分昇り、さらにその奥の奥。
埃の積もった機材や段ボール箱が乱雑に積まれたそこは物置き代わりにされているらしく、
通るものはおろか階下で忙しく行き来しているスタッフの声も聞こえない。
そんな場所で今立はひとりの芸人と対峙していた。先程楽屋で声をかけてきた、例の男だ。
自分の石をちらちらとかざしながら、男はゆっくりと噛んで含めるように言葉を放つ。
「悪い話じゃないだろ?これ使ってちょっと頑張るだけで思い通りだ、」
自分に酔ったような声色とその石を今立は首を傾けたまま無表情に見つめていたが、やがて答えた。

「…さっきも言ったろ。俺は乗らない」
「なんでだよ?悪いようにはしないって、」
「乗らないっつってんの」
言葉を遮り、語気を強めた今立の回答に相手は露骨に残念そうな、そして不機嫌な表情を作ってみせた。
「…もうちょっと、頭いいと思ってたんだけどなあ、お前」
今立はひとつ息を吐くと、咎めるような視線を真っ向から睨み返す。
「俺はエレキやってんだよ、言っとくけど。バカで結構」
決裂を示す居心地の悪い沈黙がほんのわずかの間、流れた。
「…話ってそれだけ?」
なら俺もう行くわ、と楽屋へ戻りかけた肩が阻まれる。
なにすんだ、と抗議しようとした今立の視界は、急に放たれた緑の閃光に奪われた。
「しょうがないか。じゃあ邪魔な奴は消す、ってことで」
男のどこか楽しげな声を合図に、殴られたような強い衝撃が彼の身体を襲った。

谷井が楽屋奥の薄暗い廊下の先に目をとめたのは、楽屋に戻ったものの2人を発見できず、
思い付く限りの場所を散々探した10分ほど後のことだ。
「階段…」
そういえば誰かがふざけて探検してみようぜ、とか言ってなかったっけ。
走り回ってすっかり切れ切れの息を整えようと試みつつ、今まで忘れていた自分自身に舌打ちが出る。
探検するぐらいの所なら、秘密の話にこれほど適した場所もない。
…あいつも今立も多分、この上にいるはずだ。
意を決して一段目に足をかけた途端、上から堅いものが落ちたように高く弾ける音と、それに続いて
複数の物が倒れる低い音がかすかに響いてきた。
「っ!」
まさか、もうはじまっちゃってるのか!
つんのめりながら階段を駆け上がる谷井のその左腕はいつのまにかぼんやりと淡く光っていたが、
必死に走る彼に石のはじめての変化に気づけるだけの余裕はまだ、なかった。