Elephant[1]

326 :Elephant  ◆vGygSyUEuw :2006/03/04(土) 16:53:42

手の中に、つるりとした固形状の感触がある。
なめらかで冷たくて無機質なような有機質なような、そういう触感だ。
つい先日手に入れたものだ。欲しくもなかったが。
それが高価なのも、最近知った。
そして、何かしらの力を秘めていること…は、大体勘付いていたか。
ともかく、どちらかといわずとも歓迎できない部類の贈り物だ。
もっとも突っ返そうにも送り主は不明なのだが。
ため息をつきかけて、ふと頭に浮かんだ迷信にそれを躊躇し、結局飲み込んだ。
信じてはいない。けれど、皆不意に出て来ることはあるだろう。
北に枕を置くと駄目だとか、夕暮れ時は魔物が出る、だとか。
方便としての活用だけで、毒にも薬にもならない、いわゆるそういうものだ。
右手を開く。待ち構える左手にすとんと収まる。自然な落下だ。
どうやらこういう不可思議な石も引力や重力に逆らうことはないらしい。
白、というかごく薄いクリーム色の、硬質なもの。
石にも大きめの飴玉のようにも見えるが、これは象の牙だ。
つまり、今この手中にあるものの後ろには、一頭の象の死がある。
それだけならまだしも、と思い、一呼吸置く。
「…厄介な。」
それだけ一言つぶやく。後を追うように息が出て行き、はたと苦笑する。
ため息は幸せを一口分連れて逃げ、うっすらと白く消えた。

しかし、この寒い中屋外で人を待つのも辛いものだ。
電柱に寄り添うようにして往来に突っ立っていると不審人物に間違われないかと心配なのだが、幸い人通りも少ない。
二十分ほどここにいるが、その間犬を連れた爺さんが一人通っただけだ。
見回すとすぐそばに喫茶店が見えたが、そこでぬくぬく待っていたら怒られそうな気がした。
待ち合わせるならもっと時節も考えてほしい、とひとりごちる。
見上げると、不安定になるぐらい青い空がどこまでも広がっていた。
そんなことでいちいち心がぐらつくような年でもない。だが、これから自分の行うことを考えると、青空のせいだけではなく気落ちした。
ふと手持ち無沙汰になり、何の気なしに象牙をつまみあげて観察する。
簡素な白は、ただ磨かれただけで少々寂しい。
判子にでもしてしまうか、と思ったが、ふと考える。これは戦闘用だ。
ハンコ片手に戦う。…滑稽だ。
いや、芸人たるもの面白くないよりは面白い方がいいのだが、下手を打てば死ぬような場面で無理して笑いを取るのもどうかと思う。
「山崎」と彫ろうと「ハロー」と彫ろうと、馬鹿馬鹿しいことにあまり変わりはない。
第一、割と芸風と違う。
…そもそも誰が笑ってくれるというのだ。敵か?
敵も芸人だ。敵も命がけだ。ツッコんでもくれないだろうと容易に予想出来る。
嘲り笑いならいただけるかもしれないが、それは多分腹が立つだろう。
結論、判子は却下。
そう寒さのせいで薄ぼんやりとしたとりとめのない思考が結論づいたあたりで、丁度待ち人がやってきた。
とはいえ、色気のあるものではない。石をポケットに突っ込む。
「どうも。」
軽く会釈すると、よ、という短い返事が返る。
「今日も寒いな。」
「そうですね。」
会話とも呼べないような薄っぺらい受け答えをしてから、男が鞄を開けた。

「ほい、今回の分。」
「…どうも。」
表情のない男が差し出すのは、いつも通り中くらいの大きさをした黒い紙袋。
もっと違うものであればいいのに。
ぼんやりと思うが、具体的に何がいいとも浮かばない。
熊のぬいぐるみでも、腕時計でも、何でもいい。
要はこれでさえなければいいのだ。
そうであれば…言い換えよう、「これは嫌だ。」
浮かんだ言葉も思考の波に流れて飲み込まれ、声に出すこともないまま何事もなかったように消えていく。
ずしりとした黒い袋を受け取る。どうせ中身もいつもの黒いものだ。
黒に黒、というのはいかがなものかと思う。別に外見が何色であってもそのものの本質は変わらないのだが、人間はごまかしが好きなものだ。
袋を渡して、名前も知らないいつもの男は去っていった。
いや、毎回違うのかもしれないが、そんなことお互い気にも留めないので分からない。
どこかのスタッフなのかもしれないし、見知らぬ芸人かもしれない。
揃って表情のない顔は、よほど元のつくりが個性的でない限り見分けるのが難しい。
しかし待たせておいて、あっさりとしたものだ。…いや付き合わされても困るので別にいいのだが。
わざわざコレを下っ端に運ばせるのは、顔見知り達に自分たちの素性を知られないようにという用心か。
下っ端はどうでも補充がきく。使い捨て、切り捨て、上だけは生き残れる。
蜥蜴の尻尾切り。ふとそんな言葉を思い出す。
いくら分析したところで、それは邪推というものだ。どうせ反抗もできないし、する気もさほどない。
心の奥に諦めが染みついている。本当に嫌気が差す、とまた深い息が洩れた。

袋がじゃらりと、小さく硬いものがいくつもぶつかる音を立てて揺れた。
中身をそっと確認する。いつものように、といっても未だ慣れない禍々しい黒が、ビニール袋に小分けされていくつも入っていた。
麻薬みたいだな、と思った。ドラマや映画によく出る、白い粉が入った小さな紙袋。
見た目はだいぶ違うが、なぜかそう感じる。中毒性があると聞いていたからだろうか。
袋を鞄に突っ込むとさっさとその場を離れる。
これがまた誰かを狂わせるのだろう。触れた手や鞄まで汚れたような気がした。
いや実際汚れている。使ったことはないにせよ、今こうして関わっているのだ。
けれど、どうすることもできないではないか。
知っている親しい誰かが苦しむかも、死ぬかもしれなくても。
己には何もできない。痛いほど分かっている。弱いから従っている。駄目な自分だ。
割に広い道は人とすれ違うこともない。平日の午後一時、町はどうにも力が抜けていた。
ふと、ポケットで揺れる軽い重さに、布越しに手を触れる。
こいつはまだ白いままだ。いつか黒ずむのかもしれないが、まだ何も言われていない。
…そういえば、まだあの黒いもの―正式な名前も知らないが、あれはどうやって使うのだろう。
袋の中に石を入れる。白地にじわりとまわりの黒が広がっていく。
想像をしただけで寒気がして、今すぐ象牙を乱暴に磨き上げたくなった。
拒否反応が出るということはまだ迷っているのだろう。
黒に。いや、そもそも石に。
戸惑いがあった。善良とは言えないにせよ、ただの一市民だ。
…少々自分勝手ではあるにせよ、ただ人を笑わせるのが好きな男だ。


黒いものの欠片を指定されたテレビ局の楽屋へそれぞれ届けて、トイレへ行って手だけ洗って出て来た。
迷信と同じく、意味はない。まじないのようなものだ。
弁当の紙袋の隣に放ってきたアレは、きっとスタッフが上手く分配するのだろう。
我も我もとたかってくるのだろうか。それとも自分のように迷いがあるのだろうか。
あってほしいと思う。まだ引き返せると。
可能動詞と実際にできうることは別物だと知っていて、それでも。
つい他人事のように見てしまうのは、そう切羽詰まっていないからだろうか。
断って危害を加えられるのが怖いから、黒に入っただけだ。大それた野心も欲望もない。
完全に長い物に巻かれている。情けなくはあるが、怪我をしたくはなかった。
あのおぞましい欠片もまだ直接もらってはいない。それもそうか、運び屋が薬漬けになっては困る。許されればずっと運び屋でいたい気分だ。
象牙を取り出して握りしめると、少し落ち着いた。
手が震えていたことに気付く。それほどあの欠片が嫌なのか。
…お前は、どうだ。いつか真の意味で「黒」になる時が来たら…受け入れてくれるか。
もちろん石が答えてくれるはずもなく、ただしんと白くそこにあるだけだった。
俺は嫌だ、と思う。
きっと流れには抗えないけれど。

トイレの前で十分近く固まっていたのは、幸い誰にも見られていなかったようだ。
前は大丈夫だったのに。…今回は特に量が多かったからだろうか。
額から汗が一筋垂れるのを袖で拭うと、さっさと歩き出す。
今はただ帰りたかった。忘れたかった。どうせ逃れられないのだから。
局の正面玄関を出て、駅への道を行きかけ…ふと立ち止まる。
石の気配を感じた。少々不穏な、でも攻撃的ではない。
さっと振り向くと、テレビの中で見慣れた人が立っていた。
若干広い額にしゃくれた顎に目の下の隈、人を食ったようなにやにや笑い。
そんな顔立ちの、三十代半ばぐらいの男。
事務所も違うし交流もないし仕事を一緒にしたことはない。
だけど、違う方面での噂はよく聞いている。
…嘘だろ。

「…くりぃむしちゅー、の…有田…さん?」
唖然となって呟いた。
そんなような表現が正しいように思える。
「やー、どうも。ハローくん、だっけ?」
ひらひら手を振ると、にこにこ笑って近づいてきた。
焦って思わず身構える。攻撃には適さないことを忘れて、掴んだ石をかざす。
「おっとっと、ちょい待ちちょい待ち。
 別に手荒な真似はしないって。今日はお話…っていうかお取引に来たから」
「…取引?」
「そそ、悪い話じゃない。俺も仕事あるし、手短にすますけど」
ますます怪しい。白の幹部が、黒の下っ端に何の用だというのか。
有田が話を続ける。顔中ににやにや笑いが広がっている。
「実はさあ、ちょっと手伝ってほしいことがあんのよ。
 ちょっと前つかまえた黒の奴から聞いたんだけどさ、君の能力」
眉をしかめ、舌打ちする。怒るでもなく、しまった、と思う。
下っ端同士で自己紹介程度に能力を教えていた奴はそこそこいた。
迂闊だった。面倒なことになるかもしれない。
「や、引き抜きとかそんなんじゃなくて。
 ただ、ちょーっとボランティアにご協力。」
「…具体的に、どんなことについて?」
知らず声が固くなる。そんなことを言われて、信じられるはずがなかった。
にや、と大きく相手の口が歪む。

「目には目を大作戦。」
「…は?」
皮肉ではなく、純粋に問い返す。
「あ、この呼び方じゃわかんないか」
わかるはずがない。復讐、としか目星もつけられなかった。 こっちに話を持ってきたということは、自分の能力が何かしら役立つ部類のものか。
「んー、ちょっと話すと長いんだけど…」
そう前置きされた話の内容にも、嘘臭い点は見あたらなかった。(ただ、話し方は冗談のようだったが)
象牙を見ても、警戒の光はなかった。どうやら信じられるらしい。
「どう、協力してくれる?」
「…わかりました。
 ……その、代わりといっては何ですが、俺も白に入れてくれませんか。」
続けて自然とこぼれた言葉に耳を疑った。いや、この場合は口か?
何を言っているんだ、正気か。我ながら思う。
だがもう溢れ出た言葉は喉には戻らない。
そして、本心であった。ずっと願っていたことが向こうから来たのだ。
逃げたかった、心の底から。
無駄だと自分に言い聞かせていた。痛い目には遭いたくないと。
だが、どうやらどうしてもここには耐えられなかったらしい。石も俺も。
そんなに心根のいい人間ではないけど、悪事をずっと見て見ぬふりできるほど鈍感でもない。よく罪悪感に押しつぶされずに我慢できた方だと思う。
誰かがきっかけを作ってくれれば、と知らず思っていた。
どうせ白に協力したと知れたらただではすまないだろう。引き抜き目当てではないと言いながら、この人も確信犯かもしれない。
自分が黒の活動に乗り気ではないと聞いたのだろうか。
…まあ、そんなことはどうでもいい。やっと踏ん切りが付いたのだ。
やけくそのように、覚悟を決めた。惰性で悪役に回っていてはいけない。
ヒーローとは言わずとも、地球防衛軍の下っ端ぐらいにならなれるはずだ。
戦おう。待っていても、もう元の日常には帰れないんだから。
俺の言葉を聞いて事務所違いの先輩は満足げに微笑み、
「んじゃ、一応石浄化しとかないと。」
と象牙に手を伸ばし、曇り一つないその姿に驚いて、
「…本当に黒?」
ときょとんとした目で聞いてきて、俺を久々に笑わせたのだった。

 [くりぃむしちゅー 能力]