471 :眠り犬 :2006/03/29(水) 16:26:18
僅か数秒の間に、松田は高野の隣へと戻って来た。その顔は汗一つ掻いていない。能力の代償である身体の疲労や痛みも、一度使ったくらいではまだまだ大したことの無い様だ。 松田は、漸く上から降りてきた、これから仲間になるであろう男女コンビをビッと親指で差した。 「何で敬語使ったの?」 高野はその芸名と同じ色の髪を掻きながら、当たり前の様に答える。 「そりゃあ、敬語使う方が悪者っぽいじゃん。て言うかお前も使ってただろ」 「えー、だってさァ」 相方の首に腕を絡ませた松田は、いつもの様に顔をクシャクシャにして、笑った。 「敬語使う方が悪者っぽいじゃん」 「お、やばっ」 「へ?」 突然高野が駆け出した。というより、逃げ出したらしい。 何がやばいのかと正面を向く。靴の裏が見えた。 「うおォッ!?」 女性のそれとは思えない、大きな足が鼻先を掠める。反射的に背を反らし、地面に両手を付いて身体を支えた。つまりブリッジの体制だ。 「クッ……危ね……」 飛び蹴りを躱された山崎は、翼を広げ跳躍した。ある程度の高さに到達すると、右足を空に向かって真っ直ぐ伸ばす。鎖骨の辺りに熱を感じて、それは石が発しているモノだと瞬時に理解した。膝からつま先に掛けてを、淡い紅の光が包み込む。 「よっしゃあー!しずちゃん行けー!」 スポーツ観戦の様なこの応援が、若干山崎をイラつかせていた……そんなこととは露知らず、山里は彼女の為(と思い込み)歓声を上げ続ける。 「踵落としだー!!」 踵落とし?ソレ喰らうのはちょっとマズイなァ。 女性である山崎と戦闘を行うことに、少なからず抵抗を感じている松田は、一度くらいなら 攻撃を受けても良いかと考えていた。だが、上から得た情報によると、ファイアアゲートは翼での飛行を可能にするだけではなく、運動能力を普段の数倍上げるらしい。 それが本当ならば、高所からの踵落としを受けたら相当の――動けなくなる程のダメージを負う破目になるだろう。 さて、どうする? ”紅き光を私が排撃する。然すれば女に外傷を負わせず、体力を削ることが可能だ” 常に松田の元に在る声が、頭の中で反響した。彼にしか聞こえないそれが聞こえるのは、別段珍しいことではない。 しかし、今日は声が聞こえるだけでは無かった。 どっちが上で下か判らない、体がフワフワ浮かんでいる様な、不思議な感覚。眼に映るのは、初夏の若葉をそのまま切り取ったような新緑だけ。松田が空間に呼び込まれたのは、これで二度目だ。 ”ヘェー、そんなコトも出来ンのかァ” 初めてでは無いとは云え、異観に動揺せず、声の助言に感心していられるのは、彼の楽観的な性格故か。 ”私にとっては容易いな。他の同族や、別種族のことまでは知らぬ” 声が素っ気無く問いに答えると、松田は右の手首――正しくは、『あの日』以来の光を発するデマントイド・ガーネットを横目で見た。そして、口元を緩める。 ”『あの日』みてーに気付いたら惨劇、なんてのはゴメンだからな?” ”案ずるな。大を『借りる』のは一瞬だけだ” ダイヤの輝きを有する石は、主の意思に呼応し、力を与える――。 「うわっ!」 山崎が驚きで声を上げた。 松田は人間の域を遥かに超えた速度で、地面を蹴り上げた。翠色の閃光が、バチバチと凄まじい音を立て、弧の軌道を描く。紅と翠の光が衝突し、そして……。 「よッ」 逆立ちの状態から、軽やかに立ち上がる松田。一方、足を弾かれ、バランスを崩した山崎は、片膝を付いて何とか着地した。 「はぁ、はっ……」 この人達は、今までの『黒』の芸人と、格が違う。 不意打ちに失敗したことで、山崎はそれを悟った。山里が逃げようと言った時、その通りにすれば良かったと、心の底から後悔した。倒せると思ったからこそ、戦おうと言ったのだから。 しかも、石の力を弾き返されたせいで、相当体力を消耗してしまっている。無理をしてでも能力を使いたいのだが、山崎の場合、無理をすることが出来ない。 大阪で一度、絶体絶命まで『黒』に追い込まれたことがある。その時、山崎は限界だったファイアアゲートの力を、無理矢理開放させた。 そこから先、数分間の記憶は全く無い。気が付くと『黒』の連中と山里がボロボロになって気絶していて、彼女はゴミ溜めの中に頭を突っ込んでいた。 訳が分からない状況を説明してもらう為、山里を文字通り叩き起こし「何がどうなって、こんなことになってん?」と訊いてみたところ、 「しずちゃんが野生動物みたいに、大暴れしたからだよ!!覚えてないの!?」と半泣きでキレられたのだった。 「……はあー……どないしよ?」 山崎は肩で呼吸をしながら、汗で額に貼り付いた前髪を掻き上げた。 「…………」 山里は少し離れた場所で、息を切らし、苦しそうにしている山崎を見ていた。 否、見ていることしか出来なかった。ハウライトトルコは、戦闘で役に立つ力を有してはいない。 だから、『黒』に襲われた時は山崎が一人で戦って、山里のことを必死で護ってくれていた。 そして山里は、どうしたら戦いから逃げることが出来るのか、必死に考えていた。 今日も、ほんとは逃げ出したかった。 でも、しずちゃんが戦うって言ったから。 二人を、助けようと言ったから。 …そうだね。俺、バカだなあ。 『黒の欠片』のせいで、俺に殺されそうになった時も、しずちゃんはたった一人で戦ってたんだぜ? ほんとに、スゴイ根性だよ。女の子だってのにさ。男の俺が、何やってんだって話だよなあ。 俺、バカだなあ。 「――ほんとに」 発汗が尋常じゃない手を、強く強く、握り締める。体が震えているのは、恐怖を感じているからでは無い。 全然怖くないと言ったら、それは嘘になるけれど。 人より少し強気な相方に、「意外と根性あんねんなあ」と言わせる為、人より少し臆病者の足は、動き出す。 |