東京花火−scene7


371 :[東京花火−scene7] ◆yPCidWtUuM :2005/11/19(土) 23:57:48 


松田は黒く闇に溶ける道の上、片膝をついて腰を沈めた体勢のまま、くしゃりと笑って言う。 


「井上くん久しぶり。元気にしてた?」 
「…」 


その口調は親しげなものだったが、井上はとても松田のその問いに軽く答える気にはなれない。 
目の前の人物は自分を背後から襲い、拉致しようとしていたのだ。いくらそれがよく知る相手であったとしても、 
恐怖と不信感は消えなかった。 

一人離れたこの状況はまずい。そう判断した井上は、松田の様子をうかがいつつ河本のそばまで走った。 
河本の横につくと、その後ろでは波田がいつの間にかギターをとりだして襲撃者の方を睨んでいる。 
その様子を松田はつまらなそうな顔で一瞥し、ぐい、と体に力を入れて立ち上がり、服の埃を払った。 


「おい、二郎…!こりゃ一体何のマネや!」 


井上が自分の方に走ってくるのを見てハッと我にかえった河本は、前々からの友人である高野にむかって 
悲痛な叫びをあげる。しかし高野は闇の中、いつもの笑みを崩さない。人好きのするそれが今に限っては 
ひどく酷薄なものに感じられた。 


「…井上くんの持ってる石に用がある。この間そっちのギターの彼を襲いに行った下っ端に誰かが 
 持たせちまったらしくてさ。使えねえ奴がいい石持ってもしょうがねえってのに…。 
 そいつらが失敗したとき回収されたもんだとばっか思ってたけど、今見たら井上くんが持ってんのな。 
 もしお前がレインボークォーツとかサードオニキス持ってんならそれも渡してもらうわ」 


高野が普段通りの口調でそう言うのを聞いて、河本は理解したくないことをやっと理解した。 
この2人は黒のユニットに属していて、自分たちの持つ石を回収しにきたのだ。 
高野が『サードオニキス』と口にしたとき、自分の持つ石の名前がそれであることを河本はなぜか悟ってしまった。 
レインボークォーツというのはおそらく、波田の拾った石の名前だろう。 

高野たちと戦闘など、間違ってもしたくはない。だが、先ほどの松田の行為はあまりにも乱暴すぎる。 
たとえ友人とはいえ、自分の相方を襲おうとした2人を許すわけにはいかない。素直に石を渡すなどもってのほかだ。 
河本はスッと自分のサードオニキスを掲げてみせ、言った。 


「これは渡されへんで。聡ラチろうとするような奴に簡単に渡してたまるかい!」 
「まあそう言わないでさ…ほら、何なら黒に来たらいいじゃん、河本も」 
「…こんな物騒な奴の仲間になる気なんざあらへんわ」 
「そう、じゃあしょーがねえな」 



ニコニコと笑ったまま、高野はオレンジ色をした自分の石を指先でもてあそんでいる。 
そんな様子に焦れたのか、先ほどからずっと黙って立ったままでいた松田が口を開いた。 


「二郎ちゃん、やっちゃっていい?」 
「…まず井上くんのを盗ってこい、使われるとメンドクセーから」 
「…あーい」 


問われた高野は動じることなく答え、松田はまたも恐るべき速さで井上に飛びかかる。 
井上は避けようとしたが松田のスピードの前にそれはかなわず、すぐさまマウントをとられて体の自由を奪われてしまった。 
だが井上が手の中に握り込んでいた石を奪いとるのに手間どったせいでわずかに遅くなった松田の動きが 
どうにか河本の目にうつった瞬間、河本は松田を指さし、頭の中に浮かんだ言葉を思いっきり叫んだ。 


「そうは酢ブタの天津どーーーーん!」 


とたんに松田の体はピタリと動かなくなり、井上の手から石を奪いとったまま、固まってしまった。 
その上に空から酢ブタと天津丼が思いっきり降ってきて、松田の頭にドンブリと皿が直撃し、ガツーンといい音をたてる。 
幸い割れなかったドンブリと皿から溢れ出した中身がびしゃびしゃとかかって、松田はあまりの熱さにパニックを起こした。 


「痛っつーーーーだあぁうあっっちいぃいいい!!!!!!」 


松田に馬乗りされた状態の井上まで酢ブタと天津丼のとばっちりを受け、松田の体を突き飛ばす。 


「あっつーーーー!!!何すんの準一ぃい!!!」 
「あ…すまん聡…」 


酢ブタのパイナップルを額にはりつけ、天津丼のアンまみれで地面を転がる男前の相方に、河本は小さく謝って駆け寄る。 
その様子にあっけにとられていた高野を後目に、今度は波田が動いた。いつものギターの音が鳴り出す。 


『拙者、ギター侍じゃ…』 
「松田、ソイツのギターを奪え!」 


そのフレーズに高野はハッとして叫び、まだヘルニアの後遺症がある体をひきずって井上たちに近づいた。 
高野の声にどうにか立ち上がった松田が飛びかかろうとするそのとき、波田は次の台詞を叫ぶ。 



『…残念!! 松田大輔ッ… 「真剣白刃どりーーーーっ!!!」 …ぃり…っ!』 


ギターが日本刀に姿を変え、松田に向かってふり下ろされようとしたが、松田の両手がギリギリで刀を 
白刃どりしたことに気を取られ、波田が台詞を言い切れなかっため、松田の動きを封じるには至らない。 
そのまま石の力同士がぶつかりあった波田と松田は互いにはねとばされ、地面に叩き付けられた。 
完全に力を発動できなかった分波田の方が分が悪かったか、松田は何とか受け身をとったが 
波田はそのまま気絶したらしく、動かない。 

その激しいぶつかり合いのさなか、地面に転がったまま戦いに気をとられていた井上と、その横にしゃがんでいた 
河本のすぐ近くまで高野が迫っていた。 


「…つかまえた」 


静かに高野の声が河本の耳元に響く。肉厚の手のひらが河本の肩をがっちりと掴んでいた。 


「河本、お前のサードオニキスちょうだい。あとレインボークォーツを多分波田が持ってるから、奪って俺に返して」 



その言葉とともに高野の石が光を発する。河本はビクリ、と反応して握っていた石を高野に差し出し、立ち上がった。 
その様子に慌てて井上も立ち上がり声をかけるが、河本は振り返りもせずにまっすぐ波田のもとへと走っていく。 


「無駄だよ、今の河本には聞こえない」 


高野は笑みを含んだ声で井上に言った。井上はバッと高野の方を向いてその笑い顔を睨む。 


「俺の言うこと聞くってさ、河本は…しっかしアイツの石にはびっくりしたよ、サードオニキスは持ち主の個性で 
 能力が変わるって聞いてたけど、酢ブタと天津丼はねえよなぁ」 


くっくっ、と愉快そうに笑い声を漏らした高野の襟首を、井上がグイ、と引っぱって言う。 


「…二郎ちゃん、準一に何したん」 


静かに、だが激しく怒る井上の吊り上がった目にも高野はちらりとも動揺を見せない。それどころか、自分の首元を 
しめあげている井上の手首を、生まれついての握力をフルに使ってぎりぎりと握りつぶそうとした。 
あまりの痛みに井上が顔を歪めて高野の首から手を離すと、高野も井上の手首を離す。 



「…ちょっと言うこと聞かせただけだよ。ほら、もうすぐ終わる」 


言いながら高野は顎で、波田の荷物をさぐっている河本を示した。井上は相方のその姿に愕然とし、駆け寄って 
河本の背中に手をかけ、揺すぶる。 


「準一、何してんねん、波田くんの石あいつらに渡したらあかんて!」 


河本はうるさそうに井上の手を突っぱね、波田の持つレインボークォーツを探しつづけた。 
それでも何とか河本を止めようと、後ろからはがい締めにしようとした井上は、河本に力一杯突き飛ばされる。 
体勢を崩して尻餅をついた井上は、呆然と自分の言葉の通じない相方の背中を見やった。 
ひどく悲しい気持ちで井上はのろのろと立ち上がる。ふと泳いだ目の先、すぐそばの地面に光るものを見つけた。 

…金だ。 

おそらく松田が波田の刀を防いだとき、手から転がり落ちたのだろう。松田はまだ背中をおさえたまま倒れている。 
高野はきっと、松田がこれを落としたことに気づいていない。だから河本に「金を返せ」とは言わなかったのだ。 
井上は祈るような気持ちで金に手を伸ばした。この石の使い方は知らない、だがもしこれが自分のものだというなら、 
きっとこの状況をなんとかしてくれる。そう思って井上は必死で小さな金の塊を握りしめた。 


とたんに光り出す石に導かれたように、井上は伸ばした両手を頭上で固くあわせ、その中に石を包んだまま、 
思いっきり地面にダイブする。井上の体は高野の目の前まで勢いよく滑っていき、その足下で止まった。 


「しまったっ…!」 


高野の声が響き、その手の中にあったスペサルタイトが光を失い、凍りつく。その瞬間、河本が正気を取り戻した。 
その手にはちょうど波田のギターケースから見つけたところだったレインボークォーツが握られている。 

一体自分が何をしていたのかわからず、河本は周囲を見回す。そこにはやっとのことで立ち上がろうとしている松田と、 
目一杯体を伸ばしたままで高野の前に倒れている井上、そしてただ立ち尽くす高野の姿があった。 


「聡っ?!」 


動かない相方の姿に思わず河本は叫び声をあげる。見たところ怪我のないのに安心したものの、状況が 
わからないのはそのままで、とっさに河本は自分の石のことを思った。ふと手の中を見ると、そこにあるのは 
自分の石のサードオニキスではなく、波田の拾ったレインボークォーツだ。サードオニキスがどこにもないことに気づき、 
やっと河本の記憶がよみがえってきた。そうだ、自分は高野にあの石を渡してしまった…! 



「…それちょうだい」 


河本がその小さな声に振り返ると、目の前には鬼の形相の松田が立っていた。まだふらふらしている体で 
松田が河本に襲いかかる。もはや松田は石の力を使えてはいなかったが、死にものぐるいで河本の手から石を 
奪おうとしていた。その執念とも言うべき力に河本は必死であらがう。体勢を崩して倒れ込んだ2人の後ろから、 
それまで忘れ去っていた人物の声が聞こえた。 


「河本、大丈夫か!」 


先に行ってしまったものだとばかり思っていた有田だった。少し遅れて上田も走ってくる。その状況を見た高野は、 
すぐに松田に声をかけた。 


「松田、石はいい、逃げろ!」 



その声に松田は河本からはなれ、高野のもとへと走ろうとしたが、もはや石の力の反動で体がまともに動かない。 
地面を這うようにして自分のもとに向かってくる松田の手をとろうと高野は必死で走り寄るが、腰に爆弾を抱えた体では 
限界があった。それでも何とか松田を助け起こし、その場を去ろうとする。 

しかしそのとき河本が立ち上がり、レインボークォーツを握りしめたまま叫んだ。 


「ふざけんなや、俺の石返していかんかい!!!」 


…その叫びが闇に響き渡るとともに、河本の手の中で石が虹色の光を発する。その眩しさに全員が目をひそめた。