813 :here,there. ◆1En86u0G2k :2006/08/11(金) 13:38:46
「−そっち行ったぞ!囲め!」 「とりあえず出口押さえろって!」 木々の隙間から聞こえる、怒声。眠っていた鳥が慌てた羽音を残して飛び立ってゆく。 深夜1時をまわった公園。小さなブランコやすべり台で遊ぶ者はいない。 それに甘えているのか単なる偶然か、公園を照らすはずの街灯が今にも消えそうに点滅している。 声の原因である男たちの数は10人前後。 20代そこそこの若さに見える彼らは一様に、焦点の微妙に曇った目で必死に何かを探していた。 さて、色鮮やかに塗られたジャングルジムの奥には、背の低い木々が植えられている。 そこにいたのは何事かと怪訝な顔で男たちを見つめる野良猫と、1人の芸人。 「うわ、めっちゃ数おるやん…どうしよ………」 彼らのターゲット、よゐこの濱口優だった。 仕事を終えた帰り道、不意に迎えた大ピンチ。 何かと物騒な噂を耳にしていたから、事情を説明してもらえずとも相手の目的に見当はつく。 咄嗟に公園に逃げ込んだ濱口はついさっき別れたばかりの男に大急ぎでメールを打った。 この状況をすんなり理解できて頼りになる者。迷いなく浮かんだのが少々悔しい気もする。 自分を追う声は確実に包囲網を狭めていた。 このままだと見つかるのは時間の問題なのだが、こう人数が多いと不用意に動けない。 東京の夏としては珍しく涼しい夜なのに、緊張と焦燥のせいで背中を嫌な汗が流れていく。 と、手の中で携帯電話が低く振動した。できるだけ音をたてないように注意して、画面を覗きこむと− 『なんとかならへんの?』 暗闇に浮かんだのは呑気な返事。 思わず力が抜け、電話を落としそうになる。 『ならへんから言うてんねん#』 いつもの癖でつい絵文字を入れてしまった。怒りを示す赤いマークがひどく間抜けだ。 『絵文字打てるぐらいやったら大丈夫なんちゃう?』 わあ、やっぱり指摘されるか。 そういうとこばっか鋭いねん、体勢を低くしてそろそろと移動しながら最後のメッセージを打つ。 『たすけて!』 なぜそれが最後になるのかというと、数秒後に追っ手の一人が彼を見つけてしまうからで。 携帯電話の液晶は律儀に送信が完了したことを報告していたが、濱口にそれを確認する余裕はなかった。 「−殺さない程度にやれよ!」 仲間らしい別の男の、物騒な指示が聞こえる。 隣にいた猫が走っていく。座り込んだ地面の砂の感触。振りかぶる拳がスローモーションで見えた。 当たれば殺されずとも気絶は間違いなさそうだ。そしてこの距離では避けられない。 取れる策はひとつだった。その軌跡をしっかり見据え、意を決してキーワードを叫ぶ。 「『獲った』…けど、返すわっ!!」 言い終わった瞬間、濱口の首元で白い輝きが弾ける。 次いで鈍い、何かがめりこむような重たい音が響いた。 「…っ、………!?」 フラッシュに似た光が収まった時、困惑と苦痛を混ぜたような表情を浮かべていたのは 濱口ではなく彼に攻撃を仕掛けたはずの男の方。 倒れこみ動かなくなる仲間の姿に、集まってきた面々は事態を把握できずに硬直する。 濱口はその隙に体勢を立て直し、地面を蹴った。 追われてるし、捕まりたくないし、暗いし、しんどいし。 様々な事象が恐怖に直結し、喉元に込み上げてきて吐きそうになる。 濱口の石が最初に光ってから10分。 人数差の不利はあまりにも大きく、公園からの脱出は果たされぬまま 絶望的にユーモアの欠けた真夜中の鬼ごっこは続いていた。 現在数は7対1。既に2人には先程と同じくカウンターで自らの攻撃に沈んでいただいたのだが、 そろそろその代償すらも濱口を追い詰めはじめている。 心臓が痛い。激しくなるばかりの動悸が容赦なく脳を叩き、息を継ぐのもままならない。 単に運動不足のせいだけではなかった。 石を使えば使うほど臆病になる−限界値を越えるまではそうきつい制約でないはずの副作用はしかし、 こうして激しい動作に絡まると途端に厄介な足枷と化す。 タイミングの悪いことに、弱々しくも頑張っていた公園内の街灯がバチっと音を立てたきり沈黙し ほぼ完全な暗闇の中で駆け回らなくてはならなくなった。 ぼんやり浮かぶ遊具や木々。環境すべてが恐ろしいイメージを呼び起こす。 「嘘ぉ、」 思わず漏らした嘆きは完璧に震えていた。 背中にぶつかる相手の忌々しげな文句にも必要以上に臆してしまう不本意な現状に加え 頭の中では昼間聞いた稲川淳二の怪談が流れはじめる始末。 だからこれ使いたくないねん。首元で慌てたように揺れるセレナイトを恨みつつ いじめられっ子の代名詞「のび太」にも勝る切羽詰まった顔で、 濱口は必死に黒の追っ手御一行と暗闇と脳内の稲川淳二から逃げ回った。 ジャイアンがいっぱいおったらこんな感じになんねや。感心する余裕もすでにない。 あかん、涙出てきた− いよいよ体力より先に精神がくじける頃。視界の先、路地の明るみから聞き覚えのある声が響く。 「…飛んで!」 鋭い声。彼の「ドラえもん」が何を意図したのか考える暇もなく、濱口はその指示に従った。 目減りする精神力は一旦踏み止まってくれたらしい。こういう時単純な性格でよかったと思う。 出口を塞ごうと車止めの方へ回りこむ数人の動きを横目にそのまままっすぐ走り、 大きく息を吸い込んでもつれかけた両足を跳ね上げ、公園と道路を隔てた垣根を飛び越える。 左足がわずかに葉を掠った。 「あだっ、!」 着地でバランスを崩し、中途半端な飛び込み前転のような格好で地面に転がる。 ぬるいアスファルトの感触にどうやら成功したことはわかったものの 急な動作で無理に伸びた腰や膝から、早くも痛覚が駆け上がってきた。 (え、言われた通り、道に出たけど…、それからどうにもならへんのとちゃうか!?) 背後に追いすがる人の気配はしっかり残っているし、こちらは気力を使い果たしたらしく動けない。 痛みと街灯の眩しさ、それからこの後の悲惨な展開を予想して思わず固く目を閉じた。 (…なんやねん!意味ないやんけ俺の大ジャンプ!) 声に出さなかった文句がどうやって彼まで届いたのか、どこからか穏やかな声が応じた。 「いやいや。ちゃんと意味あるから、そこに居って」 次の瞬間、街灯の光の下に伸びた濱口の影がだしぬけに膨らんだ。 大きさは子どもの背丈ほど、ゆらりと揺らいだ黒い物体が、追っ手と濱口の間に立ち塞がる。 男たちは垣根を乗り越えて我先にと濱口に手を伸ばすところだった。 うちの一人が奇妙な気配と理由に気付いたらしく、慌てて周辺に視線をめぐらせる。 大通につながる道の先。手の中で瞬く石を握る者。 目の合ったそれが−−有野が、笑う。 「待っ…!」 男が仲間に何か告げようとしたが、神経伝達より速く飛んできた影の一閃− 横薙ぎの重いボディブローが集団ごと、彼の意思と意識を黙らせた。 再び公園周辺に戻った、穏やかな夜。 どこかに避難していたらしい野良犬が(やれやれ)と言いたげな表情で2人の前を横切っていく。 「大丈夫か?立てる?」 「うー…大丈夫やけど、もうちょい待って…」 疲労と安堵、それから石を使ったことによる倦怠感。濱口はその場にへたりこんだままだ。 役目を終えた影は地面におとなしく張り付いている。 「やっぱり焦ってると加減がうまくいかへんなあ」 有野は足でちょいちょいっと倒れた男たちをつつき、 大して心配していないような声で生きてるか〜、と問うた。うめき声が聞こえたので恐らく大丈夫だろう。 強風で飛ばされた洗濯物のごとく植え込み廻りに散らばっていた男たちのシャツを 片っ端から中途半端にめくってやった。 「腹冷やしてもうたらええねん、なあ。…あれ、濱口くん?」 「…なんか俺腰抜けたみたい…」 「ぇえー」 世話焼けるわあ。ぼやきながら有野が脇に屈みこむ。 その肩を借りてどうにか立ち上がりながらふと(こいつよく間に合ったな)と思った。 濱口の影を使った分少しはましなのだろうが、よく見れば結構しんどそうな顔をしている。 もしかしたらメールの文面とは裏腹に、急いで駆け付けてくれたのかもしれなかった。 「…たすけつ、って何?」 「へ?………あっ」 「メールでも噛むねんなあ」 「ええやんけ、伝わってんから」 感謝の言葉はそれでうやむやにしてしまったけれど、こっそり濱口は心中で誓う。 (いつかお前がピンチになったら、颯爽と助けに行ったるわ) そして、うまいこと逃げ出してみせるのだ。手に手を取って一目散に。 格好よく事が運べばありがたいけれど、まあ。 それはこの際二の次でも。 |
[よゐこ 能力] |