犬の心編[2]味蕾


768 名前: 味蕾 ◆A4vkhzVPCM   Mail: sage 投稿日: 08/01/03(木) 14:33:50 

その劇場は、こじんまりとしていながらも清潔で、外から見る分には快適そうだった。
しかし、一歩奥まった箇所に踏み入ると、人が集う場所特有の乱雑さを跳ね除けられないのが分かった。
犬の心の二人が『石』について話し合う事を決めたのは、そんな劇場の隅に設けられた一室だった。

くずかごには握りつぶされたセブンスターの空き箱が横たわっている。
池谷が最後の一本に火を点け、灰色をした煙をくゆらせ始めた。
押見は何も言わなかったが、煙を避けるかのように、少しだけ、身を斜めにずらした。
切れ掛かった蛍光灯に照らされて、鏡に映る二人の姿がおぼろになった。
椅子に座ったまま振向いた池谷が息を吹きかけると、鏡は曇る。
部屋は凍てつくように寒かった。

しかし、部屋の気温など、二人にとっては最早取るに足らないことだったのだ。


「暖房、借りる?」
何気ない感じで、押見が切り出した。
「いや、いいよ。長引かせたい話じゃないし」
「そっか」
テーブルを挟んだ二人は顔を合わせる事なく、互いの姿を視界の端で捉えるようにして会話していた。
静寂と静かな緊張が、彼らの間を取り持っていた。
「あのさ。石の……事なんだけど」
机の上で行われる自分の手遊びをぼんやりと見つめていた押見が、口ごもるように話す。
池谷は灰皿を手元に引き寄せ、短くなった煙草の火をもみ消した。
「何か、考えでもあるの?」
「この問題については、それぞれの意見の中間点を取るのがいいと思うんだ」
話題が石の事になると途端に饒舌になる。
そんな自分をやや嫌悪しながら、押見は話し続けた。
「長い戦いになると思う。だからこそ、先々まで異論の無いようにあらゆる事柄はここで決めておきたい。
ひずみが大きくなるのは困るから。意見の相違があるならいまここで……」
「ちょっと待ってくれよ、押見さん」
下を向いたまま息継ぎもせずに言葉を連ねる押見を遮って、池谷が言った。
「何だよ」
「戦い、って言ったろ」
「そうだよ」
「俺たちまだ、戦うのかどうかさえ決めてないぜ」

そこから、か。押見は今はじめて、顔を上げて池谷の目を見た。


「本気かよ。お前、石を手に入れといて、今更知らんぷりが出来るとでも思ってんの?」
「石を持ってます、って、誰にも言わなかったらいいんじゃないの?」
「手に入れて半日も経たない俺のところにまで、刺客が来たんだ。理屈は分からないけど、いずれはばれると思う」
「ばれるって、誰に」
池谷がおどけるような口調で尋ねる。
相方の無知を嘆くような、悲しそうな目をして、押見が答える。
「黒のユニット……そして、白の方にも」
「困る事でもあるのか?」
「仲間になって下さい、と言われる。そして、命令に従って動く日々が始まるんじゃないのか。断れば石を取り上げられる」
神経質な動作で押見が腕を組んだ。
「俺は、どちらも、嫌だ」
押見は一語一語区切って発話した。
その言葉には、どこかしら決意のようなものがこもっているようだった。
「わあーった、分かったから、とりあえずは一旦、原点に戻ってから話を進めようぜ」
「茶化すなよ。それに、何だよ原点って」
「まずは、石を使うのか使わないのか」
「まだその段階なの? だからさあ……」
「俺は使いたくない。というか、使ってほしくない」


呆れ気味だった押見の目つきが、一転して険しくなった。
「は……? 使ってほしくないって、誰に」
「だから、あなたにだよ」
あなた、という言葉に含まれる重みに、一瞬押見は言葉を詰まらせた。
池谷がその隙をつく。
「俺は押見さんが壊れるのだけはやだよ」

子どものようだ。
池谷の語勢はまるで、子どもがだだをこねている時のようだ。
そう受け取りつつも、押見は、池谷の純粋で濁りの無い主張に戸惑い、意識が揺らいだ。
そして、自らの言動を顧みた。


 俺は--ここまでの純度を以ってして、池谷に接した事があっただろうか?
 必要を感じなかった。ことさら、この、石の事に関しては、俺はどこまでも自己中心的であったように思う。
 それは、自分の展望をより一層確実なものにするために、相方を一種のデータとして認識しなければならなかったからだ。
 石を巡る戦いの中で、自分の地位を少しでも安定したものにするために。
 そして俺は、今自分の中に特別背徳の念が流れていない事に気付いている。
 俺は冷血な人間なのかな?



絶望的な考えを否定しようとして、押見は言葉を吐き出した。
「俺だって……俺だって、お前が怪我するのは嫌だよ」
池谷は答えなかった。代わりに、自分の意見を続けた。
「だって押見さんの石、かなり危ないみたいだから」
指摘されて、押見は反射的に、右手に出来た傷をかばった。
「押見さん、まだ石を制御出来てないんでしょ」

池谷に図星を付かれて、押見は押し殺したような声を出した。
池谷の言うとおり、押見の石は、指先で触れただけで思考と反応してしまうような、過敏で、気性の激しい石だった。
23日の顛末も、石を携帯し続けた押見が精神の安定を保ちきれずに
一時的な鬱状態に陥って起こしたようなものだった。
事実、あの日の二の舞を恐れた押見は、自分の石を何重にも布にくるんで持ち運んでいた。

「だったら……なんだよ」
「そんな危ない石を使い続けたら、押見さんいつか壊れちゃうんじゃないかって思って」

押見は言い返そうとしたが、何も思いつかなかった。
ただセブンスターの残り香を嗅いで、午後に潜る煙かしらんなどとまたもや意味の無い呪文を思い浮かべるばかりであった。



表現しがたい奇妙な沈黙を眺めながら、押見は反駁を練っていた。
そして、
「お前が戦えば?」
と、屁理屈とも言える身勝手な言葉を取り出したのだが、すぐに、自分の振る舞いを後悔した。
「まいったな?、そう来られちゃかなわないな」
ところが池谷の反応は緩やかだった。意外な反応にびっくりして、押見は疑問符を放った。
「え……? 戦ってくれるの? 何それ?」
「だって押見さん止めても聞かなさそうだもん、それだったら俺が頑張って、押見さんに石を使わせないようにしないと」
大丈夫、まだ鼓動は正常だ。当たり前だ、石を使っていないのだから。
予想外の展開に焦り、押見の呼吸は次第に乱れていく。
「ちょっと待ってよ、あんた、死ぬよ? 攻撃系じゃないんでしょ、石」
「殺されるこたぁないでしょう、いくらなんでも」
「お前はこの戦いをなめてるんだ」
「押見さんは自分を過信してるよ」

手のひらを返す厳しい言葉に、押見は目を見開く。

「俺は押見さんの事は認めてるけど、強い人だとは思ってない。
このまま何も考えず石を使い続ければ、きっと、押見さんは壊れる」
「お前は……」

池谷の目を見るのがつらくなった押見は後ろを振向いた。
そして、この部屋の戸に鍵が付いていない事を知った。


「お前は、どうして戦うの?」
「どうしてって……押見さんの代わりに。だから押見さんが戦う理由が、俺の戦う理由だよ」
「お前みたいな馬鹿、今まで見たことない」
押見はゆっくりと立ち上がって、戸へ近づき、ドアノブを強く握って戸を閉めなおした。
そして、もしこの会話が一言でも外に漏れ出ていたら、どんなに恐ろしい事だろうと想像した。
「俺は、石を守るために戦いたい」
「石を? 押見さん、それは、どういう……」
「だれかさんの言うとおり、俺は石に振り回されてると思う。だけど俺は、石を持っているこの状況を維持するために戦うんだ」
ここで言うだれかさん、とは、押見の中の内省的な部分の事だった。
しかしその事には本人さえも気付いておらず、押見は喋り続けた。
「石を持っていることで生じる情報的な優越、精神的な優越、俺にとってはそういうものが、手放すにはあまりに惜しいんだ。
そして石を持っていることで束縛されたくない。黒にも白にも入りたくない。それは何か違う気がする……
とにかく俺は、石を持っていい気分になりたいから戦うんだと思う」
押見は椅子の隣まで歩いてきたが、座らず、立ったままか細い声で息を切らせた。
「つまらない理由で本当に悪いと思う。だけど、これが俺の誠意だ。
恥ずかしくても、格好悪くても、本心を伝えるのが今の俺に出来る精一杯の誠意だ」
そこまで言い切ると、押見は、がっくりと力なくうなだれて、池谷の反応を待った。
池谷は不安と希望が同居したような顔をして、押見を励ました。


「押見さん、いいんだよ、無理しなくて」
「ん?」
「押見さんが素直じゃないのは、相方の俺が一番よく知ってるから。今の言葉だって、押見さんの本当の気持ちじゃないと思うよ。
押見さんは、自分で言うような自己中な人じゃないよ」
「でも」
「とにかく、もういいじゃない。でも、そんな理由だったら積極的に戦わなくていいんじゃない?」
「そこだよ」
押見は偉そうな口ぶりに戻ると、どっかりと椅子に座って足を組んだ。
「防戦をするなら自分から仕掛けなければいい、なんてのは素人のあさはかさ。
何事も相手のペースに任せれば不利になって、危険が増えるの。
逆にこっちからちょちょいと攻撃すれば、向こうは警戒して手を出してこない」
「そんな上手くいくかなあ」
「上手くやるんだよ、そうでなくちゃ意味が無い」
その言葉の後、二人はまた押黙った。
手持ちぶさたになった池谷はずっと、ポケットの中の蜻蛉玉を指でくるくる回していた。
時計の無い閉ざされた部屋の中で、二人は時間と空間から切り離されたような感覚になった。
「先手を打って二三人潰すべきだと思うね。そうすれば向こうも様子を見るから、時間稼ぎができる」
「仕返しされるかもよ」
「それなんだよなあ……忘却術でも使えたらなんだけど。まさかね。魔法使いじゃあるまいし」



『俺は押見さんが壊れるのだけはやだよ』


言いながら、押見は池谷の言葉を反芻した。
聞きなれた明るい声がドラマみたいな事を言っているので違和感があった。
しかしこれは現実なのだから……俺達の身の回りで今、作り物を遥かに超える程のドラマティックな現象が起ころうとしているのだから、
池谷の態度に重みが含まれるのは至極当然なのである。
押見は、頭の中で池谷の言葉を繰り返しながら、自分の事を案じてくれる人間的な温もりを愉しむと同時に、
自分の中に「情」と呼ばれるものが欠如している事を浮き彫りにする相対的な残酷さに惑わされた。
舌先に若干の苦味を感じたとき、誰かが部屋の戸を叩くのが聞こえた。


777 名前: 味蕾 ◆A4vkhzVPCM   Mail: sage 投稿日: 08/01/03(木) 14:40:39 

「失礼します」
ノックをした人物は、入室を促す返事を待たずに戸を開けた。
戸が傾いて相手の姿が見えるようになるまでの数秒間、二人は言い知れぬ緊張感に息を止めた。
「……大輔?」
「すみません、盗み聞きをするつもりはなかったんですが」
それはグランジの遠山だった。
いつも高身長の二人に挟まれて立っているから小さく見えるものの、実は平均より大柄な身体を
小刻みに折り曲げるようにして、遠山は押見に、それから池谷にお辞儀をした。
それでも、彼は押見に傾倒していたものだから、視線が注がれる向きは偏っていた。
「聞いてたんだ……俺らの話」
「たまたま通りすがったらドアの隙間からお二人の姿が見えたんです。普通に挨拶をしようと思って覗き込んだんですけど、
深刻な顔をしてたんで入りづらくて。様子を窺ってからにしようと思って、それで……」
「いいよ。もう分かった」
「押見さん、あのっ」
「違うから。別に怒ってない」
そう言うと押見は席を立ち、部屋の隅に立てかけられた幾つかのパイプ椅子の中から一脚取り出して隣に置いた。
手でそれを指し示し、遠山の方を見やって、そこに座るようジェスチャーした。


「ドアをちゃんと閉めてなかった俺たちも悪いんだし。で、どこから聞いてたの?」
「はい。石を使うか、使わないかでもめてるところからです」
遠山は椅子に座りながら答えた。
「序盤じゃん」
「ちょっと待ってよ、遠山、お前石の事知ってるのか?」
池谷が割り込んで尋ねた。それを受けて遠山は伏せ目がちになり、それから小さく一度だけうなずいた。
「一応、僕も持ってます。それから大も、五明も」
「ふーん……。で、どっちなの?」
押見は質問を続けた。本当は、いつから持ってるのかとか、どんな石をもっているのかとか、
色々聞きたい事があったのだが、場の空気を考えて詮索はやめておく事にした。
それに話を聞いていれば自分から言い出すかもしれない。
「どういう事です?」
「だから、白なの? 黒なの? ま、どちらにせよ一緒だけど。話聞いてたでしょ? 俺どっちにも入る気ないから」
「それなんですけど」
遠山が椅子が揺れ動き、床にぶつかって大きな音を立てた。遠山の凄い剣幕に、押見は思わず目をそむけそうになった。
「僕、まだどちらにも入ってないんです」
「ん? それで、どうするつもりなの?」
「相方は二人とも白がいいって言ってるんですが……正直、それぞれのユニットが具体的にどんなんなのかって、
よく聞いたことないじゃないですか。だから、まだ決めかねてて」
「そうなんだ」
「そこで、僕の石の能力の話なんです」
「何っ」


遠山の言葉を聞いて、押見はぐっと身を乗り出した。
そして、間を置かずに池谷が立ち上がり、二人の脇をすり抜けて部屋を出て行ったが、
遠山の言葉に熱中している押見には気付く由も無かった。

遠山はポケットから深紅色をした楕円の石を取り出すと、机の上に転がした。
「バラ輝石、という名前らしいです」
「石の名前か……俺はまだ知らないや」
「それで、この石の力なんですけど」
そこで一旦言葉を停めると、押見の方を向きなおして、はっきりと言い放った。
「人の記憶を奪う。という能力なんです」
押見は息を呑んだ。
「……ね。これだったら痕跡を残さずに牽制が出来ますよ」
「で、お前は何の目的でそれを今言う訳?」
「協力させて欲しいんです」
そう言うと、遠山はミュージカルでもするかのような大げさな動作で立ち上がり、
片手を開いて片手を拳に……終演の際押見が好んでとるポーズをしてみせた。
「あなたは僕の目標なんです」
「そ。じゃ、超えてみせる?」
「そんなおこがましい」
「俺本気なんだけど。ちょっと考えたら俺の言ってる事、完膚なきまでに間違ってるのが分かると思うんだけどな」
「……何を言ってるんです?」
「無いの? 論破する気」

押見はゆっくりと席を立った。


「あのさあ、よく考えてみて? 牽制の効果を発揮するには、
『こいつらに手を出すのはやめとこう』って相手に思わせなくちゃ駄目なんだよ?
俺と戦った事を忘れてしまった相手は、多分懲りずにもう一度向かってくるだろうね。
結局、身を守るために牽制する事と、身を守るために記憶を奪う事は、両立しないんだよ。
どうしても石を使いたいから池谷を言いくるめようと思ったんだけどさ。
自分で言いながらパラドックスを感じてたけど、まさかお前が気付いてなかったとは……」
「押見さん……」
ぶつぶつ呟きながらうつむいた遠山に、押見は話しかけた。
「どうしたの?」
「協力、させてもらえないんですか」
押見は溜息をつくと、遠山の肩に優しく手を置いた。
「白に入りな。五明と大がかわいそうだ」
「--」
「遠山?」
遠山は震えていた。押見がその目を覗き込もうとすると、それよりも数コンマ早く遠山が顔をあげ、
先程とは比べ物にならないくらい鬼気迫る表情で、押見の両肩を持った。
驚きと少しの恐怖を感じた押見は、後ろに飛びのき、思わず声を裏返らせた。

「遠山? 何だよ、怖いよ」
「押見さん、石を見せてください」
「--遠山?」
「僕も見せたじゃないですか。名前も、能力も全部さらけ出しましたよ。
だったら今度は押見さんの番でしょ、ねえ、そうでしょう?」


押見は返事をするかわりに、冷酷で重たい瞳を向けて、遠山に告げた。

「悪い。お前とは--組めない」


遠山の絶望を捉えた押見の視界がひっくり返った。
交渉が断裂し、やけになった遠山が力任せに押しかかってきたのだ。
後頭部を強打した押見は、いつの間にか遠山の左手にバラ輝石が握られている事に気付いた。
それはほのかに輝きを放っている。
打ち付けた頭に押見は痛みこそ覚えたものの、記憶が消えていくような感覚は一切なかった。

「嘘つき!」

取っ組み合いは熾烈なものだった。遠山が殴りかかったかと思えば、押さえつけられた押見が蹴り返す。
石を使えない事による不利を察知した押見は、必死で抵抗しながらも意識を石の方へ持っていき、
少しずつ鞄のある場所へ接近するのだった。

「最低だ、この野郎! よくも騙しやがって……さては、お前、黒だな!
都合のいい事ばっかり言っておいて、よくも、よくも!」
「だって--!」
「うるさい、ふざけんな!」
「だって、あんたのせいじゃないですか!」

予想外の言葉に動転した隙に、遠山は押見の頬を強打した。
だが、無我夢中の内に押見が放った膝蹴りが遠山の鳩尾に命中し、遠山が大きく倒れた。
すかさず押見が遠山を払いのけ、急ぎ足で鞄を取り、石の包まれたハンカチを引っ張り出した。

「俺のせい……? いいかげんな事を言うな」
「いいえ、僕は間違ってません。全部、全部押見さんが悪いんだ」

痛みを堪えながら立ち上がる遠山を見据えつつ、押見は赤いハンカチを取り去った。

  ついに来たね。

押見はぎょっとした。石の表面が歪み、笑っているように見えたのだ。そして声が聞こえてくる。

  使うの?

「怖い……」

これを使う事で、遠山が、そして自分が崩壊に近づく事が--
ここにきて、今更、恐怖。

「押見さん、今ならまだ間に合う!」
「嫌だ、聞きたくない!」

そうして石が振るわれた。しかし、何も起こらない。発動条件をクリアしていないからだ。
しかし構うことなく、押見は何度も何度も石を振り回した。
それでも石は沈黙を守る。
その時押見は、遠山の石もまだ何もしていない事に気が付いた。

「……石使わないの?」

対立して向き合った二人は足を止め、動かなくなる。

「……黒じゃないの?」

遠山は押見の目を見なかった。

「どうしてだよ……」
「石を渡してください……そうしたら全てお話します」
「……嫌だ」
「……だからあんたが悪いって!」

そのわめき声を合図に、再び遠山が襲い掛かる。
押見は言葉を思いついたが、それを唱えるだけの勇気がなかった。
石を持ったまま突き出した右の拳が遠山の顔に突き刺さり、一筋の傷を作った。

「何なんだよ……」
「押見さん、あなたは……」
「どうして、どうしてみんな俺から石を取り上げようとするんだよ!」

その時押見が振り下ろした石が、思考と反応して赤い光を放った。
その波動にあてられ遠山は、全身に熱風のような衝撃を感じて、力尽きた。

「うっ……」

崩れ落ちる遠山。押見は石を放り捨てると、一目散にその隣へと駆け寄った。


「遠山」
「押見さん、これを……」

遠山は最後の力を振り絞ると、左手を押見の鼻先へ突きつけ、指を開いて石をさしだした。

「これを使ってください……」
「お前、どういう意味だよ」
「激しい石じゃありませんから……ね? だから、お願いします……」

それまで言うと、遠山は緩慢に目を閉じ、気を失った。左腕は床に叩きつけられ、石は転がっていく。
事態を処理しきれずに、押見は混乱した。泣き出したかった。
自分が何をしたのか、そして遠山は何がしたかったのか、まるで分かる気がしなかった。

「入るよ」

もう一度ノックの音。
池谷だった。散乱した椅子や小物が、憔悴しきった押見と昏倒した遠山を囲んでいる
この異様な状況を見て、池谷は大きな声を出した。

「押見さん……! これは一体どういう」
「遠山に、石を、使ってやって。俺も、その後で、頼むわ」

押見は全身の力を抜き、ばったりと横たわった。
ぼんやりとした視界の端に、遠山が自分に差し出したあのバラ輝石を見つける。
それは手の届く距離にあり、なおかつ池谷は自分の方を見ていなかった。
押見は石を取ると、それをポケットに隠し、逃げるような眠りについた。