犬の心編[3]触小体


799 名前: 触小体◆e0NeqIYC9M   Mail: sage 投稿日: 08/01/15(火) 15:46:47 

  あれから二週間が過ぎた。

  遠山は何事もなかったかのように接してくる。

  戦いを挑んでくる奴は現れなかった。

  池谷はいつもどおり快活で。

  でも、俺の手元にはメ遠山の石モがあって。

  池谷はそのことを、知らなくて。

  長い二週間が過ぎた。

  俺はこれから、どうしたらいいんだろう?
  この憂鬱も石の仕業なのか?


今日、押見は仕事場まで歩いて向かう事にした。
時間に余裕があったから、散歩がてらいつも通らない道を選んで。
猫背。吐く息が眼鏡を淡く曇らせる。街からは正月気分が抜けきらない。
雪でも降り出しそうな灰色の空を見上げもせず、押見はぼんやりと景色を確かめた。
そのポケットの中には、未だに使用法の分からないバラ輝石が収まっていた。

あれから色々考えて、押見は石を遠山に返す事に決めた。
かすかにしか聞き取れなかったあの意味深な言葉を繰り返し噛み締めたが、
どうしても答えが見つからない。
自分から石を取り上げようとした強引な一連の行動と、
全ての力を振り絞ってまで捧げられた献身的な発言が、押見を混乱させた。
簡単に言えば、繋がらなかったのだ。
歩きながら押見は考える。
そして、自分の石を思い出す。


皆、それを使わないように言うのだ。
池谷にしろ、遠山にしろ。
放っておいてくれればいいのに、と押見は思う。
彼らを焚きつける感情が同情なのか正義感なのかは知らないが、
押見にとってははっきり言って迷惑だった。
それとも庇護欲か? だとしたら--鬱陶しいことこの上ない。
踏みしめた砂利が鈍い音を立てる。
だいたい石を巡って大の大人が勝った負けたのと騒ぐ原因は一つ、
虚栄心、さらには現実世界からの逸脱願望だろう。それが押見の持論だった。
そして俺は素直に踊らされる事を選んだのだから、石については放っておいてほしいのだ。
この力で狂おうと壊れようと所詮一過性、騒ぎが終わればそれらはすべて霧散するだろう。
だったらせめてひと時の夢くらい、自分の好きに見させてくれ。



押見の足が止まった。気が付けば関係者入口の前に、見知った巨人の後ろ姿。

「おはようございます」
「大じゃん」

佐藤大。ご存知グランジの突っ込み。
それにしてもでかい。近くに立つと自動的に、こちらが見上げる図式になる。
名前どおりにすくすく成長しやがって。そんな事を思って、押見は一人にやけた。
しかし、対する佐藤は深刻な表情をして、話しかけてくる。

「押見さん、少し話があるんですけど。いいですか」
「ん? 何さ」
「ここではちょっと……とりあえず中に入りましょう」
「石の話?」

空気が凍りついた。
押見の発言を受けた佐藤は苦虫を噛み潰したような酷い表情になり、
そしてそんな佐藤を眺める押見は眉間に皺を寄せて苛付いた顔。
北風が冷酷にのしかかる。

「図星? ああそう。ごめんねデリカシーなくて。悪いけど、俺さあ、この件に関してはもう空気とか読みたくないんだ。
でもいいよ。最低限のマナーだけは守る。まずはひとまず楽屋に入ろうか」
「随分ビジネスライクですね」
「アメリカンナイズとも言うんじゃない?」

そうそう。みんな人の気持ちなんか窺わなくていいから、
もっとドライになればいいのに。
二人が歩を進めるとセンサーが反応して自動ドアがスライドした。

押見が点けた煙草が鼠色の煙を立ち昇らせる。
口角を上げて話しやすい状況を演出するが、上手くいっていない。
若干張り詰めたムードに戸惑いつつも、佐藤は押見に話しかけた。

「えーっと……押見さん、石、持ってるんですよね」
「そうだよ。誰から聞いた?」
「大輔からです」
「遠山は誰からその事を聞いたか分かる?」
「それは、分かんないです。本人に聞いてみないと」
「そっか……」

佐藤は収まりが悪そうな仕草できょろきょろ辺りを窺いながら喋る。
押見はそんな佐藤をかすめ見て笑い、背もたれを軋ませた。
廊下からは他の芸人たちの楽しそうな声が漏れ出てきて、
これから訪れるかもしれない苦境に身を強張らせる押見をセンチメンタルな気分にする。
苦境--そうだ、佐藤は多かれ少なかれユニットに属している立場、
何事か面倒を持ちかけるつもりなのだろう、と押見は身構える。
白にも黒にも入るものか、と今一度決意を固め、生唾を飲み込んだ。


「で、本題は?」
「……大輔の石を預かってるそうじゃないですか」
「……誰から聞いたの? それも遠山?」
「そういう事になりますかね。まあ、いいじゃないですか、そんな事は。
率直に言いますけど、グランジとしてはそれをこちらに返して欲しいんです」

駆け足で一気に言い切った佐藤は膝に手を置いて睨みつけるように押見を凝視する。
それを睨み返す押見はいぶかしげな態度。

「別に……いいけど。でも、何でそれをお前に言われなくちゃいけないのさ」
「そりゃあ、相方として、僕としても考えるところがあったんですよ。
大体どうして押見さんが大輔の石を持ってるんですか」
「貰ったんだよ」
「本当ですか? ……こんな言い方はしたくないですけど、俺、それについては疑わずにはいられないんですけど」
「いや、本当だってば。何? 俺が力ずくで取り上げたとでも思ってんの?」

押見の口調が厳しくなる。と、同時に佐藤の側にも苛立ちが見て取れるようになる。


「そういうつもりじゃないですけど……」
「じゃあ何? ああ、もうやだ。俺さ、正直言うと、今日遠山にこの石返そうと思ってたんだよね。
でももうやめた。お前にそんな言われ方したら、俺にだってプライドあるよ」
「ちょっと、何言ってるんですか」
「そもそも、俺が遠山の石を持ってたらお前ら困る訳?」
「それは、押見さんが白に入っていないから……」

白、という単語がボディブローのように押見に突き刺さる。

「ああ、そう……先に言っとくけど、俺は白にも黒にも入らないからね。石も返さない」
「でもそんなの危ないですよ。管理下にないところに二つも石があるなんて……」
「管理されてたら安全だとも? 言わせてもらえば、黒白のレッテル付けこそが、
争いを引き起こす一番の原因だと思うけどね。まさかお前、俺の石まで取り上げる気じゃないよな」
「……話の流れ如何によっては」

突発的に押見は椅子から立ち上がり、煙草を投げ捨てた。
湿った靴底に踏みつけられ煙が細くなっていく。
佐藤も渋々といった顔つきで椅子から退き、出口を塞ぐように位置を取る。


互いに口にすべき言葉を見つけることが出来ずに沈黙した。
佐藤が扉に、押見が片隅に投げ捨てられた鞄ににじり寄っていくから、次第に間合いが広がっていく。
しかし、何かきっかけがあれば爆発しそうな程に、緊迫した雰囲気だった。

あの危険な石を使う。押見の緊張が高まっていく。
鼓動に混じって石の声が聞こえてくる--

「おはようございまーす」

直後、ドン、という低い音とともに、佐藤の巨漢がぐらついた。
はっとして見上げれば、その背後で佐藤以上の大男がドアを開け閉めして弄んでいた。

「あ、押見さんに、大。何してんの?」
「五明……」
「五明、悪いけど邪魔しないでくれ。俺押見さんと話があるんだ」
「それにしては険悪そうだけど……とりあえず、出番が終わってからにしたら?
それに、大。支配人さんが、今すぐ来いって呼んでたよ」
「……分かった」

そう言うと、佐藤は早足で五明の横をすり抜け、重苦しい空気に支配された部屋を出て行った。
佐藤の背中をしっかり見届けてから、五明は押見を振向いた。


「すみませんね。あいつ、思い込んだら強情なもんで」
「……聞こえてたのか?」
「いや、まあ、これのおかげです」

五明は照れくさそうにはにかみながら、バックポケットをがさごそやり、
ネイビーと白の薄い縞が走った石を目の前にかざした。

「自分に関係することが分かる、と言いますか。とにかく、この石で大と押見さんがぶつかってるのを知ったんです」
「そっか……俺と大の言い争いは、お前にも関わってたのかな?」
「どうでしょうかねえ。でも、一緒に仕事することも多いですし。喧嘩したら、やりづらいですからね」

五明はドアを閉めると、先ごろまで佐藤が座っていた椅子に腰掛けた。
それにならって、押見も自分の席に着いて、ほっと一息ついた。

「……ありがとう。お前は、石を取り戻さなくていいのか?」
「遠山さんだって自分で考えてやったんでしょう。僕が口出しする事じゃありませんよ。
返してもらえるなら、それに越した事はありませんが」
「……お前も、白なんだよな?」
「……そうですねえ」
「どうして、白に入ろうと思ったんだ?」
「成り行き……ですかね。一人は苦になりませんけど、今回に限っては、ちょっと心細かったんで」
「……不安になってきた」

押見はうつむいて、組み締めた腕を強く引っかいた。


「俺、大丈夫かな……黒にも、白にも、入らないで。一人でやっていけるかな」
「駄目だったら、こちらはいつでも歓迎体勢ですんで。多分黒もそうでしょうけど」
「死なないように、頑張るしか」
「でも、池谷さんもいることですし」

五明のその言葉に、押見の目が焦点を見失った。

「何とかなりますよ、お二人で協力していくんでしょう? きっと大丈夫ですよ。
じゃあ、僕は大のとこに行ってきます。支配人、本当は大の事なんて探してませんからね」
「う、うん。分かった。バイバイ」

そうして部屋に一人残された押見は、力なく携帯電話を操った。

  あいつ、今何してるんだろう?

耳に押し当てた通話口が妙に柔らかく、生暖かい。どうしようもない戦いの予感がしていた。





810 名前: 触小体◆A4vkhzVPCM   Mail: sage 投稿日: 08/01/15(火) 15:57:01 

五明拓弥(グランジ)
石 ブルーオニキス(よき知らせ)
能力 別の地点で起こっている、自分に関係ある出来事を知ることができる。
条件 自分に関係ない事は知ることができない。その出来事が五明に関係あるかどうかは、石の判断で決める。
    また、「知らせ」の到来は受動的で、自分の欲しいタイミングで情報を受け取る事ができない。

遠山大輔(グランジ)
石 バラ輝石(秘めた情熱)
能力 誰かの感情を三十分間「固定」することができる。
    例えば、喧嘩している人の怒りを固定したなら、たとえ話の流れで和解しそうになっても
    それを阻止して怒り続けたままにする事ができる。
    また、自分の感情を固定することもでき、感情をエネルギーにして
    近くにあるものを瞬間的に発火させることも可能。
条件 「固定」した瞬間にしか体力を消費しないが、自分の意志でそれを解除できない。
    さらに、連続しての発火には相当の体力を使い、使用後は全身に強い疲労があらわれる。

佐藤大(グランジ)
石 イエローアパタイト(欺く、惑わす、たわむれ)
能力 自分の残像を残すことができる。実体は無いが、誰の目にもはっきり見え、本人と区別はほとんどつかない。
    持続時間は最高で五分程度。
条件 攻撃を加えると残像は消える。三体までしか出す事ができない。