いつここ編 [前編] ※流血シーン注意


48 名前:新参者 ◆2dC8hbcvNA  投稿日:05/02/15 13:24:03 

せっぱ詰まった状況が続くテレビの仕事とは違い、営業の予定にはある程度の余裕が組み込まれている。
そのせいで予定より早く仕事が終わってしまい、空間には退屈の種ばかりが蒔かれていた。
それらが育って花を咲かせるころ、自分の世界に閉じこもっていた菊地が我を取り戻す。
コンビごとに分けられた楽屋は彼にとっては好都合だった。
誰かいたとしても特有の人懐っこさで乗り切れるが、
安定していない正義感を持つ芸人がやってくる予定なので周りと世界が分かれている方が都合良い。
まだ名前も知られていないのであまり強くないだろう。彼が高を括る理由の一つに高水準な能力がある。
水を操るアイオライトだけでも十分侵攻可能な上、具現化が出来るツァボライトまで保持している。
二つの能力を持つ人物は少ないだろう、欠点が見当たらないなら誰でも恐怖が掠れてしまうものだ。
それに他人に影響されない菊地自身の性格と、独特すぎた極端な思考回路を足せば跡形も無く消える。
決して他人には着こなせない細みのジャケット、
半端な位置に付いているポケットからメモ帳を取り出した。
使い慣れた鉛筆を握って絵を創ろうとしてもイメージが浮かばない。姿形があれば何でも構わないのだが。
最終的に目を付けたのは、ある意味一番近い場所にいる二つの石だった。
ちぎったメモ帳を絨毯代わりにして無秩序に並べる。消して華美ではないが人を魅了する光があった。
しかし菊地は引き込まれずに、慣れた手つきで鉛筆を動かす。
何を描いているか判断出来る位になったころだ。急に響いたノックが人の気配を連れてきたので、
落ち着いた態度で石を隠す。
返事を待たずにドアを開けたのは予想通りの相手で無作法に燃えた敵対心が険しい顔に浮かんでいた。

名前を知らない相手に興味を持つ可能性は少ない。相手を探ろうともせず傍らのペットボトルに手を伸ばす。
「黒だって事は知ってます」
動揺させようとしているのだろう、真剣な顔だが少し余裕がある。情報の漏洩具合はもう分かっている、
それよりも敬語を使われるくらい芸暦が伸びたことを実感した。
「どういう力?」
「え」
「目立つなら場所変えるよ?」
淡々と必要事項を確認されて恐怖したらしい。相手の顔が強張り後悔が滲む。
残りの水を一息に飲みきってから、ポケットに鉛筆とメモ帳を忍ばせ、廊下に出るドアに手を伸ばす。
すれ違う寸前に水を作り出した。ほぼ立ち尽くした状態でいた相手の首もとに右手を翳し、
鋭利に凍らせた氷を喉にあてる。
血は出ないもののある程度の痛みは伝わったらしい、男は顔を歪めて目を合わせてきた。
「石使わないままだったね」
一歩間違えれば人殺しになる状況でも普段通りでいる菊地は、例え外見が弱そうだとしても迫力はある。
空気に飲まれた男は動けずに解放だけを待っていた。
「どうしてここに来たの?」
「相方が急に変になって、だから」
会話を中断せざるを得なくなる。廊下側から、遠い足音と芸人らしい笑い声が聞こえてきたからだ。
水の刃を蒸発させてから鞄を持ち、抵抗する気力さえ失った男と目を合わせた。
「やっぱり場所変えよう」
従わなかった場合どうなるかは言わずとも伝わる。項垂れた男は先を予想しながら頷いた。
水を補充したペットボトルを鞄に入れてからドアノブを開ける。
「あ、お疲れっす」

挨拶されて後ろを向くと、やはりあまり名前を知られていない芸人が頭を下げていた。
反応を返してから表情の暗い男を連れて進もうとするが、
廊下の奥にあった姿が気になって動きを止める。
主に大阪で活動している二人組は全国でも知られた芸人だった。
菊地は彼らが白に属しているのを知っている。
能力までは認知していないがわざわざ衝突する相手ではない。
気づかれないうちに身を翻して短い廊下を歩いた。
外は既に暗く、半月が辺りを照らしている。寿命に近づいた街灯が点灯を繰り返す姿は蛍に似ていた。
隠れていない星空の下、奇妙な組み合わせの二人組が歩く。
石を持っている芸人同士の戦いでここまでローテンポなものは珍しいだろう。
眠たくなるバラードより遅い変拍子の中、恐怖を克服しつつある男が目つきを粗げていた。
突然懐に手を入れて、隠し持っていたナイフを向けてくる。
「物騒な物持ってるんだね」
男が更に恐怖を募らせた。首の後ろに留めるはずだった刃の周りを水で包み込み、
丸みを帯びた形で凍らせて何も切れなくしたからだ。溶けない氷に絶望した男は抵抗を止めた。
一番背の高い建物と建物の間、弱々しい街灯が一人で辺りを照らし、温い風が通っていた。
辺りに誰もいないのを確認してから男の顔を覗き込む。もちろん首には氷の刃を翳して、
唾を飲んで上下する喉仏の上に傷がついたのを確認してから交渉を始めた。
「どうして黒が嫌なの?」
「他の芸人を傷つけてるじゃないすか」
「俺は白が同じことしてるのを何度も見てきてるけどね」

男が目を見開いた。更に畳み掛ける。
「君の相方もそれを知って黒に入ったのかもよ。だから君がこっちに来るのを望んでいるかもしれない」
「でも辛そうにして」
「相方だけ別行動取ってるのは悲しいね。しかも君は白寄りだ、正反対のことをして楽しいはずがない。
 大体白が何もしてこなければ争いもないかもしれないんだよ。
 黒だけになれば安定する、そうだ、それを分かって俺を襲ったの?」
訛った早口での質問が勝手なのは誰にでも分かる。でもどうでもよかった。
「相方を支えてあげないと」
だから心臓を抉る意見も堂々と口に出せる。
体を引いた男は、刃から離れているにも関わらず何もしてこなかった。
「黒がなくなればいい」
もう終わりだったはずが予想外に意志が固い。
素直に説得されておけばいいものを、だから痛い思いをする人間が増えるのだ。
呆れて物が言えなくなる前に自身を奮い立たせ、手に持っていた氷を溶かす。
チャンスと勘違いして顔を明るくした男の両目に水を飛ばした。
視線を失って戸惑う男が手を顔に当てる前だ。目の水分もろとも凍らせれば、相手は激痛でしゃがみこむ。
随分愉快な姿だ、氷で仮面を創ろうか。
高揚する気分の中で相手を降伏させる方法を考える。出来るだけ残酷に、
そうすれば歯向かう気力さえ無くなるはずだ。あれこれ想像を巡らせて、最終的にいい案を思いついた。
自らの顔が歪んでいるのが分かる。
異様な笑顔を浮かべていたかもしれない、ポケットの石が暗い光を放っていたから。
作り出した水を無理矢理相手の喉に通す。咳き込んでも流れる水が途中で凍ればどうなる?
喉を掻き毟る姿を想像して笑みがこぼれた。昔はあまり楽しめなかったはずなのにも関わらず。

右手を相手の首元に当てる。脈を流れる血液が操れれば面白いことになったかもしれない。
起こらない仮定を考えているうちに、喉元に留まる水を感じた男が顔を引きつらせた。
今までで一番の表情だ。力を込める。
「それはあかんやろ」
背後からマイペースな声が届いたかと思うと、振り向いてすぐの頬に何かが掠った。
菊地の足元に作られた小さな水溜まりから何か伸びている。
形を確認する前に足を取られ、バランスを崩して倒れ込んでしまった。
足に絡むのは奇妙な植物の蔓だ。乱暴に振り払ってから声の主を確認した。
一番関わりたくなかった相手だ、しかも二人揃っている。
「何しとるんやお前!」
耳に響く高音が緊張感を壊した。普段からあんな調子だったのか。よく見知った姿を二つ見渡す。
のんびりとして自己中心的にぼける平井と、相反した高いテンションでつっこむ柳原。
アメリカザリガニとして活動する二人には別々の個性があった。多分能力も違うタイプだ、
植物を生やしたのが平井だろうか。
倒れたままの男は放って、鞄に入ったペットボトルを取り出した。500mlを半分飲むだけに留める。
人目に付かない場所にしたのが失敗だったようだ。展開は急がずにこっちのペースを作ろうとした。
「襲われそうになったので」
「そんな風には見えんかったけどなあ。そやろ?」
平井が穏やかな笑みを浮かべ、柳原に同意を求める。
「今までで一番の嘘吐きや」
逆に真剣な柳原が呟いた。

「石は真っ黒やし、お前、どろっどろやで」
どろどろが何を指しているのか分からなかったが能力の見当はついた。
少なくとも戦える石ではない、真意を見抜くとか、頭脳戦でしか使えないものだろう。
一対一と同じようなものだ、これなら勝てる。
調子に乗って能力を使いすぎていることが気になったが、すぐに終わらせば大丈夫だろう。
話で終わらせようとしている相手の虚をつく。狙うのは無防備な柳原だ。
伸びる水を投げ、氷よりも鋭く一直線に尖ったそれと同時に一気に距離を詰めた。
植物が水鉄砲を弾いたのは予定通りだ。相手の死角に入った左手でナイフを作り、
柳原に向かって投げた。急所に当たらずとも激痛は走るはず。
長く伸びた植物が枝分かれする。血を生むはずの透明なナイフが掴まれた。
想像したより戦い慣れている、衝撃を予想して身を固くしたが強すぎた打撃に吹っとばされた。
しゃがんでいるがすぐ対抗できる体勢で相手を見上げる。
棒状に編み上げられた蔓は鉄パイプほどの強度を保っているようだった。
「ヤナ、下がっとれ。こいつ正気や無い」
「わかっとる」
見当外れに笑いたくなった。柳原が下がる前に水を投げようとしたが阻まれるのは分かっている。
曲がりくねる植物をどうにかするために水を刃状に変えた。本当は長刀を作りたかったのだが足りない。
地面に落とされた水のナイフが戻ってくれば少しはましになるのだが。
少し息が切れていた。幸いまだ熱は出ていなかったがあまり長くは戦えないだろう。
菊地達の本業は戦いではない、
今日の仕事は終わっているが芸人としての義務を果たすため体力を残す必要がある。

「早く終わらせませんか?」
争いのペースを早めるための挑発だ。向こうもせっぱ詰まっていたようで、
ほぼ一定の位置にいた平井が距離を詰めてくる。変幻自在に伸びる植物は刃だけでは対応しきれず、
切り落とした断面から伸びる蔓に腕を掴まれた。持ち替えた刃で切り落とすより早く腹部に衝撃が走る。
「痛い目見んとわからんようやからな」
呟く平井の声に躊躇いが混ざっていたのを菊地は聞き逃さなかった。白は直接傷つける勇気がない、
だから蔓で殺そうとせず足で蹴るだけで留まったのだ。
こっちに躊躇はない。
植物を操っている方の肩に刃を突き刺した。呻き声と呼ぶには大きすぎる音量で平井が腕を掴む。
相手が流す血は放って、手にしていた刃を数十本の鋭い針状に変えてから、容赦無く平井の体に投げた。
串刺しになったのは平井の体ではない。急に現れた盾状の植物がすべての針を受け止めている。
驚く暇が惜しい、平井の横に向かってから残しておいた水で杭を作り、怪我した肩を抉った。
相方を救う為向かってきていた柳原を凝視。
異様な迫力にされて怯んだ隙にすれ違い、固めたままにしておいた水のナイフを拾い上げる。
身を翻してナイフは右手に持つ。
もし菊地が落ちたナイフを普通の水に戻していたら勝負はついていただろう。
平井が肩を抱えて休憩を取っている間にペットボトルの水を飲み干す。
水の飲みすぎで気持ち悪かったがまだ耐えられる。
向こうが動けない間に勝負を付けなければならないのだ。
出来るだけ細く鋭い線を作り出した。足の一本に穴を開ければ動けなくなるだろう。
平井も菊地の思考を汲んだらしく、見てはいけないものを見るような顔で菊地と目を合わせた。

水状のままにしておけば多少の伸縮は可能だ。二本の線を一本に見せかけてある、
仮に避けられたとしても一本を体側に伸ばせば致命傷、片側の足を貫通して二本目の足が刺せれば終わりだ。
頭の中で策を確認しながら地面を蹴る。十分な休息を得ていない平井が、苦痛を滲ませながらも対峙する。
線を低い位置で刺そうとすると、予定通り平井が横に避けようとした。
「あかん、相手の背中回れ!」
やかましいが的確な柳原の指示のせいで平井が背後に回ってしまった。
菊地自身の体が邪魔で水の線を伸ばすのが遅れる。水を脇差程度の刀に変え、
振り返りながら相手を切りつけようとするが遅い。
刀を持っていた手に植物が這い巡り、強く握られたせいで刀を落としてしまった。
「もうええやろ」
大きな息切れを繰り返す平井が切り出す。
落ちた刀を左手で拾い上げて対抗しようとしたらそっちの腕も掴まれた。
平井は怪我した方の手を使っているはずなのに動けない。
「何がお前をそうさせたんや。相方狙われとるのか?」
菊地が正気でいるにも関わらず狂人に対するような態度だ。
どこまで勘違いすれば気が済むのだろう、抑えきれなかった笑みがこぼれる。平井の顔が引きつった。
「黒に操られとるんやな。早よ治さんと、石出せや」
「操られてなんていませんよ」
笑みを浮かべたまま否定する。
ため息をつく平井が柳原を呼んだ。仲介するような位置に立った柳原が眉を寄せる。
「嘘やない」
「……気づいてないんや」

細い目を見開き、平井が驚愕を露にした。どうして誤解したままなのだろうか、
操られていないと言っているのに。不思議に思った菊地が首を傾げる。
「ええか。分かっとらんかもしれんけど、お前は黒に支配されてる。
このままやったらまずいことになるで」
「まずいことって何ですか、人を殺すとか?
 流石にそこまではしませんよ、自分の意志でやってることですから。
 それよりそっちは白でしたよね、黒を負かそうとしてるんでしょう、
 やってることはこっちと一緒じゃないですか」
上下しない感情に乗せて早口で捲し立てた。何かにすがるようにした平井が柳原と顔を合わせる。
「全部本心や」
彼は嘘を見破るらしい。信じきった平井の表情が証拠だった。
草に掴まれていた右腕は相変わらず動かないが、怪我した手に掴まれた左手はそろそろ動かせそうだ。
握力が弱くなってきている、能力の代償である高熱の気配があるか確かめてから状況の確認をした。
落ちた刀は足を伸ばしても届かない。一応形を保ったままにしてあるが、
違う形にするには力の消費量が激しすぎる。水の遠隔操作は難しいからだ。
一旦思考を止めた。考えるだけなら意識を読まれない、相手を欺こうとすれば見破られてしまう。
ばれても大丈夫な純粋な作戦を考えた。力に頼るしかなかった。
左の指先から平井の目に水を飛ばす。緩くなった左手の拘束を振りほどき、
代わりに伸ばされた柳原の手を避けた。何とか拾い上げた刀で右手を拘束する植物を切断し、
本体から離れて弱くなる草達を払いのける。刀を下から上に振り上げようとした。
目の前が揺れる。倒れないように頭を抱えたが大きな隙が出来る。

ここぞとばかりに体を突き飛ばしたのは柳原だ、特別な能力は無いがかなりの衝撃で、
ある程度距離が離れてしまった。体勢は戻せたものの最大のチャンスが逃げる。
額に手を当てる。そろそろ熱が出始めていた。刀は構えるが壁に身を凭れる。
平井もある程度疲れているらしく、急に向かってくることは無かった。
あの状態では俊敏な動きは出来ない。菊地も動きは遅かったが、水なら速く動かすことは出来る。
刀を液状に戻して手元に留めた。地面に流れることは無い。
「もう疲れたわ」
平井が肩を叩き、呆れたように呟いた。次に真剣な表情に戻り、左手の植物を成長させようとする。
武器として形を成してしまう前に、柳原に向かって水を飛ばした。背中の壁を押すことで勢いをつけ、
自由の利かない体で向かう。
守るはずだった柳原を放って平井が向かってくる。水鉄砲は綺麗に避け、棒状の植物を振りかぶった。
頭をかばうため右手を翳すが打撃が無い。
強制的にすれ違い、有り得ない方向から伸びた植物が首に巻かれた。
植物の根元を目で追う。左手で持った棒ではない。濡らした血液を原料にして、
平井の肩から植物が生えていたのだ。さっき肩を叩いたのは種を仕込むためか、
根は張っていなかったらしく、平井が肩の植物に持ち替えて握りしめる。
後頭部の方へ引っ張られて息が詰まる。床に衝突するのは時間の問題だ。
虚を突かれたせいで対応しきれず、倒れた後に戦える可能性を考えた。無理をすればいけるかもしれない。
 [いつもここから 能力]
 [アメリカザリガニ 能力]