いつここ編 [後編] ※流血シーン注意


58 名前:新参者 ◆2dC8hbcvNA  投稿日:05/02/15 13:34:31 

突風が吹いた。耳を掠る風の音で、失いかけていた意識を取り戻す。
衝突するはずだった床にゆっくりと落ちて、誰よりも知っている気配を感じた。
平井も柳原も数メートル先に飛ばされたらしい。人より軽い植物は更に遠くへ消えた。
第三者の介入が遅れる、いるはずなのに姿が見えない。
空から床を蹴る音が落ちてきた。三人が上を向くと飛び降りる男の姿。
屈む菊地と平井達の間に空いた広い空間に衝突する寸前、強い風で衝撃を拡散して綺麗に着地する。
どこにでもいそうな風貌だが菊地が間違えるはずがない。
「大丈夫か?」
茶色の髪を揺らし振り返る、いつもここからの山田が明らかな怒りを浮かべていた。
相方からの純粋な怒りが怖い、こちらに向いているのだろうか。
「このタイミングに援軍て」
ゆっくりとした声だから平井が呟いたのだろう。限界ではないが相当疲れているらしく、
殆ど力を使っていない山田に対して苦笑いを浮かべていた。山田の目つきが険しくなり、
現状況だけで判断した怒りを平井に向ける。
「何でこんなことするんですか」
菊地が黒である事を知らないのだ。急に介入してきた誤解は相手を困らせるのに十分だった。
「俺らはただの芸人なのに」
続く悲しそうな声色に反応したのは柳原だ。山田と同じように悲しみを浮かべて前に進み出る。
山田は自分から危害を加える人間ではない、カウンターを食らわないよう風の流れを確かめるだけで止まる。

「先手え出したのはそっちや」
「嘘つかないでください」
「嘘ついとるのはあいつやで。俺は石で嘘が分かるんやから」
「菊地はそんなことしない」
「黒に囚われとるんや。お前が気づいてやらんと」
山田が振り返り目を合わせてくる。信じたくない、そんな光が浮かんでいた。
黒なのがばれたらどうなる? さっきの男のように相反して、山田を失うかもしれない。
それだけは嫌だ。
「逆だよ」
一番の嘘吐きと言われたのだ。ならば役目を突き通してやる。
「誰よりも上手く嘘をつける」
例え真実だとしても信じられなければ意味がない。古代に記されたギリシャ神話でも、
未来を知る事が出来たが信じてもらえない女性がいた。彼女は絶望の未来を知りながら何も救えなかった。
「大概にせえ。そんなことして楽しいんか」
「こっちの台詞です。俺だけならいい、なんで山田まで騙そうとするんですか」
「お前がやっとるんやろ!」
「いい加減にしてください」
向こうが声を大きくすればするほど有利になる。間に立った山田が臨戦態勢で構えた。
目を見開いた柳原が菊地のポケットを指差して叫ぶ。
「違うなら汚れてない石見せてみいや!」
言葉ならいくらでも騙せる。けれど物は違う、一瞬体が震え、ポケットの中に手を突っこんだ。

握った石が暗く光っているのは知っている、布越しだから伝わらないだけだ。
山田が見ている。何にも関わっていない透明な目線が責めているようだった。
後ろめたい気持ちを隠すためもう一つの手をポケットに隠すと、触り慣れた感触がかさりと音を立てる。
嘘の証拠が見つかった。口元を歪ませないように耐えながら、絵が描かれたメモ帳の切れ端を握る。
本物の石が発する光が洩れないよう右手で包み込んでから、ツァボライトの光を思い浮かべた。
「何でや」
次の瞬間の状況はこうだ。
柳原は信じられない様子で息を飲み、後ろで怪我の痛みに耐えていた平井が目を見開く。
一瞬だけ安心した山田がアメリカザリガニの二人を失望の眼差しで見つめ、
左手を差し出した菊地が堪えきれずに口端を吊り上げた。
掌に乗っていたのは本来の光を偽った二つの石。相手に知らされてない能力で作り出した偽物だ。
勿論山田は菊地の具現化能力を知っているが、絵を描かないと出現させられない欠点も知っていた。
そして、菊地は石の絵を描いたことを知らせていない。
「偽物や」
いくら柳原が真実を告げても届かない。当たり前だ、相方を信じたくない人間がどこにいる?
仲が悪いならともかく、周知の事実としてお互いを好いている彼らが疑い合えるはずがない。
「休んでていいよ」
優しい笑顔が菊地の感情のどこかを握り潰す。初めて眉を寄せた菊地の動揺が伝わることはなかった。
それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。
渦巻いた風が山田の体を包み、空気の動く音が建物同士に反射しながら空に昇った。
舞い上がった木の葉が夜空の星に焦がれた時、容赦ない風の塊が走る。

浮いた柳原を受け止めた平井もろとも吹き飛ばすために第二の風を放つが、
角度をつけた植物の盾が風を拡散させた。
柳原を後ろに引かせてから、植物を握って山田の方に向かってくる。
近づけるはずはない。風を刃状に変形させれば植物の盾でさえ壊れる。
上下に分かれた盾を風で飛ばすのと同時に、自らを風に乗せた山田が慣性の法則を利用し、
いつもより破壊力のある拳を平井のみぞおちに打ちつけた。
会得した空手に加えた衝撃を食らえば正常な大人でもかなりのダメージだ。
その上菊地に攻撃されていた平井にとって決定打になるのは当然だった。
体力の限界は越えているはずなのに。
平井は倒れず、変わらない目つきで、山田越しの菊地の内面を覗き込む。
傍観者に成り下がっていた菊地は自嘲し、声を上げて笑いそうになるのを必死に堪えていた。
「楽しそうやな」
いつのまにか横に立っていたのは柳原だ。平井が落とした棒状の植物を持ってはいるが、
戦おうともせずに菊地を見下ろしていた。笑みを消した菊地は睨むわけでもなく相手を見上げる。
「相方騙しとるのに」
「質問していいですか?」
「は?」
「人を騙すのが好きなんですか?」
「嫌いに決まっとるやないか!」
「俺もです。だったらわかるでしょう」
楽しんでないことくらい。続く言葉を胸にしまい込む。
ため息をついた柳原は、顔に後悔を滲ませながら、手に持った棒を振り上げた。

熱でぼやけた頭では対応出来ない。山田もこっちの状況には気づいていないようだ。
非現実的な世界で次の場面を待つ。
高く上がっていた棒が根元から切断され、長い方が地面に引きつけられた。
ゆっくりと落ちる棒は手を伸ばしても届かない。
かすかに残った精神力で作り出した水を伸ばし、木に巻きつけて引き寄せる。
状況を理解していない柳原の頭に少し短くなった棒を叩き付ける。意識を手放そうとする柳原は、
倒れる寸前、菊地の持つ平井の武器を凝視した。相方の武器でやられた彼は感情を潰されていたはずだ。
横たわる柳原を見ないようにして、平井と対峙する山田の元に向かう。
棒が切断されたのは山田の所作だ。証拠に、壁に痛々しい鎌鼬の跡が残っていた。
お互いが強いから本当に必要なときだけ助ける。相方の力を信じ、暗黙の了解としていた。
構い構われる能力でなくて本当によかった。アメリカザリガニのような関係で、
しかも菊地が攻撃出来ない立場だったら、何も出来ない責任感に押し潰されてしまっただろう。
山田と違って格闘技をやっているわけでもないので肉弾戦も不向きだ。
信じているからこそ放っておける、この微妙な感情を誰かに分かってもらえるだろうか。
風は草を刈るだけに使い、あくまで生身で戦おうとする山田。
対して、防御しきれないからしかたなく植物を使う平井。
疲れを滲ませた平井が柳原の様子に気づいたのは数秒経ってからだ。
「ヤナ!」
攻撃する対象を無視して柳原の方に向かう。意識がない柳原の傍らにしゃがみこみ、
すぐそばにある植物の棒を確認した。今まで怒りを隠していた平井が、
無作法に菊地を睨み歯を食いしばる。立ち尽くす菊地に向かって植物を伸ばした。

今までで一番強い風が菊地の肩を掠る。
吹き飛ばされたのは平井だけだ、確認してから振り返り菊地が息を飲む。
怒りの感情を持っているのは向こうだけではない。
相方を狙われたことで山田の何かが切れてしまったらしい。菊地でさえ怯む、
腹を括った表情が風に纏われ、伸ばす手は平井に向けられていた。
すぐに異変に気づく。植物ではつけられないはずの切り傷が山田の頬を走っていたのだ。
生々しく血を流したそれをよく見ると、破れた服の内側からも赤い傷が覗いていた。
突如の強い風に目を覆った菊地がまた見ると、首の横に真新しい傷が出来ている。
嫌な予感で鼓動が速まる。強力な力はいずれ身を滅ぼすのだ。
あまり欠点がないはずだった山田の力は、操作しきれないせいで主人の体を傷つけている。
くしくも二人の力は強すぎた。それでも菊地の方がまだ、殺傷能力が低かった。
二つの能力があるから欠点がなくなっただけだ。
山田の力は躊躇いさえなければ誰でも殺せる。鎌鼬を喉元に出現させれば終わりだからだ。
しかし彼はそれに魅せられずに自分自身の力を使っていた。与えられた力ばかり使う菊地とは違う。
箍が外れればどうなるかは誰にでも分かるだろう。
山田は菊地を守るために日ごろ抑えていた力を解放し、相方のために怒る平井と、
自らが傷ついても戦おうとしている。取り残されたのは菊地だけだ。
矛盾した傷を作り続ける山田を見て感情が動かないほど壊れてしまっているわけではない。

ただ、彼は独特な感覚を持ちすぎていた。
すぐに意見を変えて状況を抑えようとしても感情の説明が出来ないだろう。
けりあげた罪悪感を再度手にするには決死の覚悟が必要になる。
てのひらは水や血で汚れて、受け止めるほどの強度を保っていなかったから。
彼の言い訳は誰にも届かない。なんとか最初の一文字が届いても反感を買うだけで終わりだ。
唯一理解してくれる山田が頼れないから自分だけで戦ってきた。
だから、今の山田を見ていることは出来なかった。
包まれた風を突破して山田の肩を掴む。数ヶ所が切られたが痛みはなかった。
熱でぼやける目線を無視しながら握る力を強める。
風が弱くなり辺りに静寂が戻った。月が傾き隠れたせいで光が弱い。辺りの壁には多数の切り傷があり、
巻き添えを食らった平井も額から血を流していた。
「これ以上手を出さないでください」
山田が口を開く。頬に流れる血を拭いながら右手を伸ばす。柔らかい風が平井を包んだかと思うと、
抉られたはずの右肩と割れていた額が完治していた。
風で怪我が治るとは思っていなかったのだろう、驚いた平井が肩を摩る。
浮かんでいた怒りが消えた。何か決心したようで、手に握る植物を握りしめた。
「そいつをそのまま帰すわけにいかん」
対象の菊地は熱にうなされて思考が鈍っている。だから平井の使命感にも気づかなかった。
現状況が早く終わるのを願うだけだ。


「信じんでもええ、俺はそいつを元に戻したい。やから」
植物を構え、真っ直ぐな感情を向けた。
「戦う」
対して面識のない相手のため、何故ここまで体を張れる? 疑問が渦巻くが答えはない。
山田は少し戸惑ったようだったが、ため息をついて風を作ろうとした。攻撃する前に思いついた顔をする。
平井の体が浮き、数メートル離れた場所に運ばれた。綺麗に着地した平井の方に向かって山田が走る。
植物を構える平井の前で身を翻し、風で背中を押して菊地の方に向かってきた。
「後ろ向け」
言われた通りに背を向ける。肩の下に山田の腕が回され、足が地上から離れた。
抱えられるようにして空を飛んでいるのに気づいたのは、呆気に取られた平井が空を見上げていたときだ。
夜に隠れて姿は見えない。最高速度で空を滑降し、手ごろなビルの屋上に舞い降りてから辺りを見渡した。
都会よりも弱々しい夜景が近い。それ以上確認出来なくなった菊地がコンクリート上に座り込んでしまう。
駆け寄るわけでもない山田が不機嫌そうに顔をしかめた。
「何で勝手に行動した?」
何も答えられずに菊地は黙り込む。意識が朦朧としていて話せそうもなかったのもあった。
呆れたようにため息をつく山田は、自らの頭を撫でながらそっぽを向く。
このお人よしは。いつか切り出したおかしな会話にも調子を合わせてきたし、
聞きたいことが山程あるはずなのに尋ねてこない。
例え菊地の石が闇に包まれていることを知っても怒らないかもしれない。
屋上ぎりぎりに立って夜を見渡し、菊地が話し出すのを待っているだけだ。
急に振り向く。下からの自然な風にあおられて髪が揺らいでいた。

「どんなことがあっても俺はお前を信じるから」
まるでそれが当然であるかのような気のない声色。菊地が反応するより先に近寄り、
建物内へ続くドアへ向かう。鍵が掛かっていたらしく数回ドアノブを回し、情けなさそうに頭を撫でた。
「飛んでくぞ」
指示された菊地が屋上の端に立つ。逆の端に立つ山田が助走をつけ、
先程と同じような体勢で空に飛んだ。風に呷られた菊地のジャケットが揺れる。
見下ろした街に落ちたのは偽物の石でも本物の石でもない。どこから出たか分からない水滴が一粒、
二人が確認しないまま消えていった。無表情な菊地の目線は霞んでいる。
久しぶりの後悔はくだらない考えでごまかす。
いつか山田の背中に羽が生えるかもしれないな、流石に天使の羽は気持ち悪い、
偽造した石を売ったらいくらになるだろうか、もし高く売れればいくらでも金儲けが出来る。
明日になれば忘れて同じことを繰り返すだろう。山田がいない場所ならいくらでも……
ぼんやりとした意識の中で予想できるのかが分からない未来を抱え、
ぎりぎりで意識を紡いでいた水の糸が、切れた。


End.
※新参者 ◆2dC8hbcvNA「ラーメンズ編」に続きます。