Last Saturday[6]

140 :Last Saturday  ◆TCAnOk2vJU :2006/10/10(火) 01:21:54

 徳井の言葉に、ブラックマヨネーズの二人は瞬時に反応した。自分の手に握られたナイフを見つめ、唖然としている。唇が少し震えているようにも見えた。
 突然変わった状況が飲み込めない福田は、徳井とともに立ち上がって彼に尋ねた。
「なあ、お前何したん? あの二人――」
「しっ、もうちょっと黙っててみ」
 徳井が口に人差し指を当てて、ブラックマヨネーズの二人を見るよう福田に促した。
 小杉も吉田も、信じられないといった様子でナイフを見つめている。少しして、やっと吉田が口を開いた。
「な、なんやねんこれ……こんな使えへんモン、何で持ってきてん!」
 傍らの小杉に怒鳴っている。小杉もきっと吉田を睨み、怒鳴り返した。
「俺かて知らんわ! 今日買ってきたばっかりやねんぞ!?」
 二人とも福田には新品にしか見えないナイフを手に、言い争いを始めた。福田はますます訳が分からなくなり、再び徳井に尋ねた。
「なあ、ほんまにどうなってるん? あのナイフ新品やのに、使えへんとか……」
「ああ、それはな」
 徳井はにっと笑って、言葉を続けた。
「俺の能力で、ちょっと二人に細工したってん。つまりやな、二人にはあの新品のナイフが、さびてて使いもんにならへんナイフに見えてるわけや」
「はあ……ようわからんけど」
 まだ完璧に理解できていない様子の福田に、徳井はさらに説明を続けた。
 徳井の能力は“情報操作”。記憶をいじるだけでなく、この世に溢れる情報の全てを操作し、書き換えることができる。
 徳井は先程の言葉を発することによって、ブラックマヨネーズの二人の、あのナイフに対する認識を変えてしまったのだ。
 ナイフそのものは変わっていないので、今でもあれが心臓に刺されたら即死するだろう。また、決してあのナイフがさびている状態として二人の目に映っているわけではない。
 それでは、何が変わったのか。
 つまり、他の人があのナイフを見れば“新品同然で切れ味が良い”状態に思えるのに、二人にはあの新品同然の状態が“さびてて使いものにならない”状態に思えているわけだ。
 だから二人はハナから使えないと決めつけて、ナイフを使おうともしない。現に二人はこうして、チュートリアルの二人の前で言い争いをしているではないか。
「な、分かった?」
 福田は話を整理するように天を仰いだが、それからしばらくして、徳井に向かって頷いた。
「あー、なるほどな。お前の能力、めっちゃすごいやんか」
「やろ? といっても、俺もほんまに効くかどうか不安やったけどな。ばっちり効いたみたいで良かったわ」
 そこで、しばらく言い争いをしていたブラックマヨネーズの二人が、悔しそうにチュートリアルの二人の方を向いた。
「く、くそ。こうなったら……」
「逃げるぞ、小杉!」
 最後の吉田の言葉によって、ブラックマヨネーズの二人は行動に移った。つまりは公園から逃げ出そうとしたのである。
 呼び出しておいた本人が逃げ出すなんて格好悪いこと極まりないが、そんなことを気にしている場合ではないのだろう。石は使えない、おまけに用意してきた凶器も使えないと思いこんでいるのだから。
「あっ、ちょ待てっ!」
 福田が叫んで足を出し、それに反応して徳井も彼らを追おうと走り出した。
 その時、四人の間を再び風が走り抜けた。先程のよりも強い風だ。四人の髪の毛は舞い上がり、乱れていく。
 徳井が突然足を止めた。福田は立ち止まって徳井の方を向き、苛々とした様子で、徳井に尋ねた。
「お前何やってんねん! 早よ追いかけな、あいつら逃げてまうやろ!?」
 しかしその心配は杞憂に終わった。なんとブラックマヨネーズの二人まで走るのを止め、その場に立ち止まったのだ。
 徳井は福田の問いに答えるべく、二人が走っていった場所に落ちていたものを指差して言った。
「あれ、見てみ。全部小杉の髪の毛と吉田の顔の辺りから落ちたもんや」
 福田が目をやると、そこには点々とではあるが、黒い何かがあった。無論毛ではない。石のような、ガラスのようなものだ。月のぼんやりとした光に照らされて、微かに反射している。
「何やねん、あれ……」
 福田が呟くように言った時、立ち止まっていた二人がこちらを向いた。虚ろな目で、チュートリアルの二人を見つめている。その視線に気づき、徳井が二人に尋ねた。
「何や、まだ何か用があるんか」
 徳井の鋭い口調とは対照的に、返ってきた答えは気の抜けたものだった。
「お前ら……なんでこんなとこにおんねん?」

 空気が、変わったような気がした。
 今までの彼らの威勢はどこへ行ったというのだろうか。人が変わってしまったような小杉と吉田を前に、チュートリアルの二人はしばらく何も言えずにいた。
 少しして、やっと徳井が呟くように尋ねた。
「小杉も吉田も、どないしたんや?」
 小杉はその問いにきょとんとして言った。
「いや、どうしたって……俺の方が聞きたいくらいやわ」
「はぁ? 二人が呼び出したんやないか」
 福田は怪訝そうな顔つきで言った。そうしてしばらく、気まずい沈黙が四人の中を流れる。お互いがお互いの状況を全く把握できていなかった。
 徳井と福田はちらちらと視線を交わし合い、小杉と吉田はぽかんとして周りを見回すばかりである。
 それから少し経って、その沈黙を破ったのは吉田だった。
「なあ、お前ら。さっき俺らがここに呼び出したって、そう言うた?」
「そうやで。何言うてんねんな、自分が送ったメールのことも忘れたん?」
 徳井は答えるやいなや、ポケットから携帯電話を取り出して操作し始めた。すぐにメール画面に辿り着くと、徳井はほら、と言ってブラックマヨネーズの二人に画面を見せた。
「これ、お前らが送ってきたんやろ? 送信先が吉田、て書いてあるんやから」
 ブラックマヨネーズの二人は一斉に画面を食い入るように見つめた。送信元のアドレスは確かに吉田のものであり、メール本文の最後に記載された署名も小杉、吉田となっている。
 メール画面から顔を離し、吉田は首を傾げた。
「変やなあ、そんな覚え全然ないねんけど……」
「なんでやねん、ほんまに今日のことなんやで? 一週間前のこととかならともかく……」
 続けて福田は「お前ボケが始まったんとちゃうか」と言おうとしたが、この場で言うのは不謹慎のような気がして、黙っていた。
 それにチュートリアルの二人には、彼らが演技でぼけ始めたようには感じられなかった。今の彼らの様子は、先程の殺気立った雰囲気や目とは全く違う、彼らのいつもの――先程のように変わる前の話だが――様子であるように思えたからだ。

 チュートリアルと共演することの多いブラックマヨネーズの二人だが、初めて二人に襲われたあの土曜日から仕事で一回も会っていないような気がする。
 それでも、以前の彼らの様子はよく覚えている。彼らは確かに、人を簡単に襲ったり殺したりできるような人間ではなかった。口は悪いが良い奴ら、その印象だけははっきりと二人の頭の中に残っている。
 だからこそ彼らがこうなったことが信じられなかったし、元に戻せるなら元に戻そうと努めたのだ。それがあっさりと、元の彼らに戻ってしまったようである。一体何故なのだろうか。
 チュートリアルの二人は再びその疑問にたどり着いて、お互い顔を見合わせた。
「話が見えへんねんけど、何があったんか話してくれへんか」
 突然、小杉がチュートリアルの二人に向かってそう言った。
 徳井と福田は再び顔を見合わせる。どうする、とでも言いたげな福田に対し、徳井は頷いて、ブラックマヨネーズの二人の方を向いた。
「そうやな、先週の土曜日やったな、あれは」
「そうそう。『せやねん!』の収録が終わった後や」
 徳井の横から福田が口を出す。ブラックマヨネーズの二人は少し考え、その後で明らかに納得していない表情を見せた。
「先週の土曜日? 何があったっけ、覚えてへんな」
「俺もやわ」
 小杉、吉田と続いた言葉に、徳井は目を見開く。そして慌てた様子で、二人に尋ねた。
「嘘やろ、つい最近のことやのに。さっきのことといい、ほんまに何にも覚えてへんのか?」
 小杉が頷きながら、首を捻る。
「変やなあ。なんでかしらんけど、先週の土曜日と今日の記憶が全くないわ」
「俺ら、もしかして記憶喪失とか?」
「記憶喪失か」
 吉田の発したその言葉を聞きとがめ、福田がぽつりと呟く。
「俺らと戦ったちょうどその時の記憶がないなんて、いくらなんでも都合が良すぎるというか、おかしいというか……」
「戦った?」
 今度は小杉が福田の言葉に反応した。それで徳井が思い出したように口を開く。
「とにかく、話すわ。先週の土曜日と今日のこと」

 話し終わった途端、場はなんともいえない沈黙に包まれた。ブラックマヨネーズの二人は考え込むような仕草をそれぞれ見せ、チュートリアルの二人は相手が理解してくれるのを待つように黙り込んでいた。
 少しして、やっと吉田が口を開いた。
「なんか、信じられへんな。俺らとお前らが戦ってたとか……」
「石のことは知ってたけど、まさかそれで戦うことになるなんてな」
 続いて小杉が吉田の言ったことに同意するように、頷きながら言った。そのことに関しては、チュートリアルの二人も同感であった。
 その後再び、場に沈黙が舞い降りる。
「なあ、ちょっとそのメールよう見せて」
 沈黙を破り、吉田が自分の携帯を見ながら呟くようにそう言った。ん、と徳井は俯き加減だった顔を上げ、吉田は徳井の方に近づいてくる。徳井はそのまま吉田に携帯を渡そうとした。
 その時、吉田の足が地面に下ろされると同時に、小さな音が徳井の耳を掠めた。徳井ははっとし、吉田の足元に目をやる。
「これ、ガラスなんか?」
 そう呟き、徳井はしゃがみこんだ。そして吉田の足元にいくつか落ちている黒いガラスの破片のようなものを、ゆっくりと手に取る。残った三人もそれに気づき、次々にしゃがみこんで同じようにそれを手に取った。
「でもさっきまで、こんなんなかったはずやのに」
 福田が首を傾げながらそう言った。同じくブラックマヨネーズの二人も、不思議そうな表情でそれを見つめている。
 その時、徳井が思い出したような表情になり、ブラックマヨネーズの二人を見ながら言った。
「そうや。これ、さっき風でお前らの肌とか髪の毛から落ちたもんや」
「俺らの?」
「なんやろう、とは思ったんやけど。見覚えないか?」
 徳井の問いに、二人とも首を振った。
「全くないな。そもそも、なんでこんなもんが俺らの肌と髪の毛に……」
「そういや――」
 福田がそう言いかけ、三人ともが福田の方に視線を注いだ。福田は少し戸惑ったような表情をしながら、言葉を続けた。
「確か、小杉のは髪の毛から、吉田のは肌から落ちてきたんやと思ったんやけど」
「でも、それが分かったところでどうしようもないな」
 徳井は立ち上がり、うーん、と腕組みをして考える仕草をした。それにつられて三人も立ち上がる。それぞれに疑問の表情を浮かべながら。

 夜の風が再び四人の前に現れ、それぞれの肌や髪を撫でながら去っていく。
 極めて穏やかなものではあったが、何故か四人にはそれが心地よいと思えなかった。逆に心を波立たせ、何かを予感させる風のように感じていた。
「そうやな、俺これ持って帰ろかな」
 徳井が再びしゃがみこみ、破片を全て手に取った。そして福田の方を向き、ほい、と福田にもそのうちの半分ほどを手渡す。福田は戸惑いながら、それを受け取った。
「こんなもん、どうすんねん」
「なんか分かるかもしれへんし、とりあえず持っとこう」
「あ、じゃあ俺らも……」
 吉田が徳井の方に手を伸ばすと、徳井は厳しい表情で首を振った。
「あかん。お前らにまたなんかあったらあかんからな。さっきの状況見る限り、お前らはこれが原因でなんかなったとしか思えへん。どういう理由でそうなったんかとかはまだわからへんけど、わからへんからこそ、渡すわけにはいかへんな」
「ああ、確かにそうやな。でも俺らにもその影響が来たらどうすんねん?」
 福田が心配そうな表情でそう尋ねると、徳井はにっと笑った。
「そん時はそん時や。この黒いガラスが原因に決まっとるんやから、なんとかなるやろ。な?」
 そう言って、徳井はブラックマヨネーズの二人の方に視線を向けた。ブラックマヨネーズの二人はその言葉の意味を悟り、同時に驚きの表情を見せる。
「え、もしかして俺らになんとかせえ、と?」
「お前らしか動けるもんがおらんやろうから、必然的にそうなるんちゃう?」
「分かったわ」
 徳井の満面の笑みに押されたように、二人とも小さく頷いた。徳井はそれを聞いて満足そうに笑い声をもらし、福田に声をかける。
「ほんなら行こか。もう疲れた」
「あぁ、そうやな。んじゃまた」
 徳井と福田は少し疲れた表情を見せながら、ブラックマヨネーズの二人に軽く手を振った。ブラックマヨネーズの二人は手を振り返すこともせず、黙って去っていく二人の後ろ姿を見つめていた。

 二人が公園から出て行き、見えなくなったところで吉田は小杉の方を向いた。小杉も吉田の方を向き、なんや、とでも言うように視線を送った。
「あいつらだけに任せとくわけにはいかへんやろ?」
「俺もそれは思ってた。でも、まさかあいつらからあれを盗むとかいうわけにはいかんしなぁ」
 小杉が困ったような表情でそう言うと、今度は吉田が得意そうににっと笑った。
「そんなことする必要ない。ここにあんねんから」
「え?」
 吉田は片方の足を上げ、靴を脱いだ。怪訝そうな表情で見つめる小杉の視線を受けながら、吉田はその靴から何かを抜き出した。それはまぎれもなく、あの黒いガラスのようなものだった。小杉ははっと驚く。
「な、なんで? 全部徳井らが持って行ったんと――」
「多分、徳井の方に寄ろうとしてあれを踏んだ時に刺さったんや。なんか変な感覚がずっとするなあと思ててんけど、やっぱり刺さってたんやな」
 小杉はその破片から目を移し、笑みを見せている吉田の方に顔を向ける。
「俺らがやるしかない、やな」
「そうや。で、どっちがやる?」
 吉田が訊くと、愚問だとでも言うように小杉が小さく鼻を鳴らした。
「俺に決まってるやろ。俺やったら例え暴走したとしても、石による被害は少ないんやし」
「せやけどお前の場合、腕力がちょっとなぁ……」
「んなもん、お前の能力かなんかで俺を動けへんようにしたらええねやないけ。そやろ?」
 自信満々にそう言われ、吉田は少し考え込んでいたが、しばらくして顔を上げた。そして小杉の顔を真っ直ぐに見つめ、こくりと頷いた。
「ええわ。それで行こう。お前がどうにかなっても、俺が絶対止めたるから」
「はは、気持ち悪いこと言うなや。そんなガラやないやろ」
「うるさいわ。こういう時ぐらい決めさしてくれや」
 少しすねたように口を尖らせる吉田を見て、小杉は大きな声を響かせて笑った。そして、ぱんぱんと彼の肩を叩く。
「大丈夫やって。頼りにしてるで、相方」
「……おう」
 吉田も小杉の方を向いて、ふっと笑みを見せた。