「欺く。誰を欺く?」[前編]


410 :「欺く。誰を欺く?」前編  ◆ksdkDoE4AQ :2006/03/19(日) 23:05:59 

「情けねぇよ俺は」 

 ビル群特有の風に、白いシャツの裾が大きくはためく。それを気にも留めず、今仁は屋上の 
手すりから身を半ば乗り出して、自分が居るビルと隣のビルとの谷間を見下ろしている。だか 
ら彼の声は風に千切れていて、少し離れた吉野の耳には切れ切れにしか届かない。 

「え?何?」 

 単なる問い返しに過ぎない吉野の言葉がやる気のないそれに聞こえたのだろう、今仁は軽く 
眉をひそめて振り返り、「情けねぇ!」と声を荒げた。しかし吉野は、今仁の尖った声に動じ 
る様子もなく、「ふーん」と相槌にもならない声を漏らしただけで、星も月も見えない暗い夜 
空を見上げたまま。 
「…どうした?とか、何が?とかねぇのかよ!リアクションほとんどナシか!」 
 今仁はあっという間に焦れる。そういう今仁の分かりやすい所が、美点でもあり欠点でもあ 
ると吉野は思う。 
「…どうかした?」 
 自分で振らせておいて話し始めるのって楽しいのかな、とちらりと思ったが、今仁には云わ 
ない。吉野が言葉を飲み込んだことなど、今仁は知るよしもない。 

「おまえの石、戦うのに全然使えねぇのな。俺の石も戦闘力ねぇし。俺ら二人ともすげぇ情け 
ねぇなと思ってさ!」 
 磯山さんのとかすげぇぜ?と続けて、肉体強化に石を使った磯山がいかに強いかを語る今仁 
の表情を見ながら、吉野は無表情に頷く。 
 聞き流してはいない。きちんと聞いてはいる。けれど彼の思いは今、別のところにある。 

(こんなに、いつも通りの表情に見えんのにな) 


 吉野の心の声を打ち払うように、今仁は磯山の様子をジェスチャー付きで解説する。 
「磯山さんがこうやって殴ったらさ、敵が3mくらいブッ飛ぶの!マンガか!って俺叫びそう 
になったわ」 
 拳を架空の敵に向けて振り切る。その今仁の右手首には、白いリストバンド。手首側、ワン 
ポイントのように黄色いガラスのようなものが付いていて、ふいにキラリと吉野の目を射た。 

(サルファー、だっけ) 

 それが、今仁の石の名だ。より耳なじみのある言葉に云い代えれば、“硫黄”。鮮やかな黄 
色をしていて、最初にそれを見た瞬間、今仁が「何か美味そうな石だな」と云ったのが、元々 
食の細い吉野には理解不能で驚いた。 

「おい、聞いてんのかよ?」 
「うん…聞いてる聞いてる」 

 曖昧に頷いて、吉野は屋上の端に立つ今仁へと近付いていく。 

「それより、そろそろ時間」 
「…あー」 
 彼らがここでこうして、ビル風になぶられながら話しているのにも理由がある。 
「俺らの石はあんま今仁好みじゃないかもしれないけど、でもまぁこうやって設楽さんからの 
命令も受けてんだしさ、捨てたもんじゃないと思うよ」 
「…まぁな」 

 吉野が今仁の隣に並んで立ったところで、タイミングよくこの屋上への扉がキィ…と軋んで 
開いた。 

「来た」 
 今仁が明らかに目にキラキラしたものを宿して呟く。 

 ドアの影からひょこりと顔を出したのは、眼鏡をかけた小柄な男と、茶色い髪をした中肉中 
背の男。きょろきょろと屋上を見渡し、並んで立っているビームを見つけると、両方が軽く首 
をかしげてから顔を見合わせた。 
「…今仁さんと吉野さん」 
「だな」 

 見るからに不審がっている彼ら二人に声を掛けたのは今仁。 
「オキシジェンのお二人ー、いらっしゃーい」 
 陽気なその声に、眼鏡の男…オキシジェン三好と、茶髪の男…オキシジェン田中は、見合わ 
せていた顔を再び事務所の先輩へと向ける。 
「え?俺ら呼び出したのって…ビームさんなんですか?」 
「うん」 

 人影のないビルの屋上。しかも時間は夜。こんな所にこんな時間に呼び出されて不審がらな 
いわけもなく。 
 特に、昨今は石を巡る戦いとやらで事務所内のみならず芸人の世界全体に緊張が満ちている 
ことを、若手といえどオキシジェンの二人も知っている。 

「…何の、御用でしょう」 
 三好は、警戒心を隠しもせずに尋ねる。 

「うん、まぁ小手調べっていうかさ」 
「は?」 
 あくまでも明日の天気でもするかのような気楽さで吉野が応じる。身にまとったジャージの 
影、手首の辺りでキラリと何かが光ったことに三好も田中も気付いてはいない。 
「オキシジェンって、石持ってるんでしょ?」 
「…誰に聞いたんですか?」 
「誰だっていいじゃん」 
「や、よくないですし」 

 ドアの影から一歩も動こうとしないオキシジェンの二人に、今仁と吉野は一歩ずつ近寄って 
いく。二組の間にピシリと緊張が走る。 

 先手を打ったのはオキシジェンだった。 
 彼らは若い。特に、舞台上では三好がプロレス技を繰り出しては田中を振り回す、アクロバ 
ティックなコントを見せている。つまり身体能力には自信があるのだ。…それは裏を返せば力 
に頼り過ぎているということにもなる。 
 お互い石の能力が分からないこの状態ならば、できるだけ自分の能力を隠しておくことが肝 
要だと吉野は思っていたし、今仁にもそれは伝えてある。 
 猛然と吉野の方へと走り寄ってきた三好が、目前でタァン!と屋上の床を蹴って飛び上がっ 
た。 
 つられて吉野の視線も上がるが、数瞬後には飛び上がった三好の足が自分の身体に絡んでく 
るのだろうとほとんど本能的に察知した。そういうプロレス技があることは、オキシジェンの 
コントを見ていて知っている。確か…三好が田中の首を両足で挟むようにしてそこを軸にぐる 
りと回り、遠心力で田中を床に引き倒すのだ。 

 三好の足の動きを見ながら、吉野はその痩身をかわす。 


 …はずだった。 

 次の瞬間、何が起こったのか咄嗟に吉野には分からなかった。「視界」が変わった。まるで 
スタジオのカメラを、スイッチして切り替えたように。 
 三好を正面から捉えていたはずが、一瞬後には飛び上がる三好を後ろから見ており、そのま 
た次の瞬間には元の視点…いや、そこから三好の足技によって地面に引き倒された視界となっ 
たのだ。 

「吉野!」 
 今仁の声が聞こえる。夜空を見上げたまま、「何があったんだろう?」と吉野は考える。背 
中が痛い。三好はヒットアンドアウェイとばかりにすぐにまた離れていったらしい。 
「吉野、おい、大丈夫か」 
「…まぁなんとか」 
「くっそー、俺ならかわしてやんのによう」 
 プロレス好きの今仁が少しわくわくしているらしいので、冷めた目線を投げかけるに留めて 
おいて。 
 吉野は上半身を起こしながら考え込む。 

(さっきの角度…) 

 切り替わった角度の時、三好の後ろ姿が見えた。それだけではない。その先に見えたのは…。 

(…俺?) 

 そうだ。飛び上がった三好の向こうにいたのは、吉野自身。 

 更に、見間違いでなければ吉野の顔は、吉野の視点と目を合わせてニヤリと笑った。ややこ 
しいことだが、「吉野の目」がどこかに移り、「吉野の顔をした何か」と目が合った…と云う 
べきだろうか。 

 立ち上がって辺りを見渡し、位置関係を確かめる。間違いない。 

 吉野。吉野の隣に今仁。少し離れてこちらを睨む三好。更に向こうにいる…田中。 
 三好の背中を見られるのは、田中だけだ。 

(田中と俺が入れ替わった?) 

 そこまで考えた時に、吉野と目が合った田中がニヤリと笑った。それはまさしく、「吉野の 
顔をした何か」と同じ表情。 

「大体、おまえ、三好の足技ぐらい避けろよ。ぼーっと立ち尽くしちゃって」 
 今仁の台詞も、吉野の考えたことを証明している。間違いない。 

「今仁。俺、分かった」 
「あ?」 
「田中の石の能力が分かった」 

 じりじりとオキシジェンから後退りながらも、吉野はにやにやとした笑いを失わない。怪訝 
そうに眉を寄せる今仁のシャツの背中をひっぱり、吉野が口早に耳打ちする。 

「俺と田中の体の中味が入れ替わった。一瞬だけ、田中と視界が入れ替わったんだよ。体の感 
覚も、田中のもんだった。そういう能力」 

 吉野の考えた通り、田中の石の能力は、誰かと体の中味を入れ替える、というものだ。ネタ 
の中で何度も三好の技に対する受け身を練習している田中ならば、三好の技を効果的に受ける 
術も分かっているということ。避けようとする人物の体を田中が一瞬乗っ取ることで、確実に 
三好が技を仕掛けられる…そういうコンビネーション。 

 吉野の説明で理解できたらしい今仁は、少し考えて「あぁ」と声を漏らす。 

「吉野。それなら、お前の石使えば一発じゃん」 


 
416 : ◆ksdkDoE4AQ :2006/03/19(日) 23:12:38 分数合わなかった…
ここで前編は終わりです。

田中和史(オキシジェン)
石:スティルバイト(束沸石)(ペンダント型で身に着けている)
 アイボリー色の結晶。本能の感覚が鋭くなり、物事の本質に気付かせてくれる。
能力:視界にいる任意の対象一人の体を乗っ取り、相手と自分の体の感覚を入れ替える。
 感覚を入れ替えるだけで、外見の変化はない。一瞬、中味だけ入れ替わるという感じ。
 対象は一人だけ、しかも最長で3秒程度しかもたない代わり、狙えばほぼ確実に相手を捕捉できる。