Phantom in August [7]

278 :Phantom in August  ◆ekt663D/rE :2006/02/26(日) 23:45:35

【21:41 都内・某TV局(美術倉庫)】

「『白い悪意』の弱点……。」
土田の口をついた言葉は、小沢の予想だにしない物だった。
主の意識の揺れを反映して、警戒を続けていたアパタイトの輝きも一瞬弱まる。
「で、でも…それを見つけ出してどうするつもりなんですか。『白い悪意』を『黒』の支配下に置くつもりですか?」
しかしその輝きはすぐさま回復し、小沢は眉を寄せて土田へと問いかけた。
いくらか挑発的な響きを含んだ小沢のその問いに対し、土田は表情一つ変えずに、答える。
「…破壊する。完膚無きまでに。」
「………!」
「『白い悪意』の持つ石…いや、『白い悪意』そのものであるあの元凶を。」
椅子に座ったまま、上半身をわずかに前に倒して。土田はきっぱりとそう言い切って見せた。
「もちろんこれは『黒』全体の意向じゃねぇ。あの野郎に借りのある、俺個人の考えだ。
 もっとも…そんな事言っても信じちゃもらえない事ぐらいは、わかっちゃいるけどな。」
そうだよな、と確認するように川元に問えば、川元は「……その通りです」と土田にぶっきらぼうに答える。
確かにそのやりとりだけで土田の言葉を、そして提案を信じられるかと言えばそうではない。
けれど、小沢の表情、そしてアパタイトの輝きは先ほどよりも穏やかな物へと変わっていた。

――ったくよ、まどろっこしい事するな、お前もよ。
その一方で土田の耳だけに不意に響く、声。
声の発生源は彼の指で輝く漆黒の宝石、ブラックオパール。
――ちょっと言ってくれればさ、俺があの石ごとあいつの心を黒く染めてやるってのに。
「…それじゃ、意味がないんだ。」
一般的な力を持つ石に比べれば自我が強く、相性も良いためか、通常の状態で主との会話まで叶うブラックオパールの
いかにも面白くないとでも言いたげなぼやきに、土田は小さく囁き返す。
――あんたがどんだけホワイトファントムを憎んでいるか、一番知ってるのは俺なんだぜ?
「それでも、だ。」
余り長い間ブラックオパールと会話をしていると、小沢や川元が怪しく思うだろう。
それの説明で更に時間を割くのは面倒くさい。故に、土田は手で石の填ったリングを覆うように押さえつけた。

チッ、と舌打ちをするようなノイズが聞こえたような気もするが、気にせずに土田は改めて小沢の方を見る。
「で、どうよ。乗るか? 降りるか?」
「……乗る、事にします。」
問いかけた土田の言葉に、数秒ほど考えるような素振りを見せ、それから小沢はそう答えた。
少なくともこの男は、土田はさっき『白い悪意』の石の名を口にしたように、自分達よりも『白い悪意』についての知識がある。
単純に情報不足という理由もあるだろうが、相手の弱点を看破する能力を秘めた石を持つ有田が幾度試しても
思うように結果を導き出せなかった『白い悪意』への対策方法を、彼の手を借りれば見つけ出すことも可能かも知れない。
そして。
今の土田からは『黒』独特の後ろ暗い気配が感じられないように小沢には思えたから。
そんな彼の言葉なら、信じられるかも知れない。そうした判断が、小沢の背中を押していた。

「ありがとう。」
小沢の返事に礼の言葉を口にし、土田は椅子から立ち上がる。妙に素直なその態度に、逆に小沢は少し戸惑うけれど。
「それじゃ余り長話してるとお互いややこしい事になるからな。ここからは手早く行くぞ。」
「…はい。」
1歩2歩と歩み寄ってきつつ、いつもの…小沢の知る彼らしい口振りで笑ってみせる土田に、
相手が自分達『白』と敵対する『黒』の人間である事など構わず、小沢は完全に警戒心を解いて彼からも足を進めていた。




【22:38 都内・居酒屋】

「……さん。……さん?」
「…………。」
「おざぁーさん?」
「…あ、あぁ。」
何度目になるだろう。真正面からの呼びかけに、ようやく小沢は気のない言葉で反応した。
「ったく、大丈夫か? さっきからボーっとしっ放しで。」
眉を寄せてそう告げるのは、テーブル越しに身を乗り出してくる井戸田。その手にはビールの入ったジョッキが握られている。
「ん、何でもない。」
へらりと笑って小沢はそう答え、更に山盛りにされた枝豆に手を伸ばした。
思考から現実に引き戻された途端に小沢の目に飛び込んでくるのは、小洒落た飲み屋の風景。
耳に飛び込んでくるのは、若者達のはしゃぐ声。所々呂律が回っていないように思えるのは、早くも酒が回ってきたからか。
「だったら良いんだけどさ。」
小沢の答えに小さく肩を竦め、井戸田は席に座り直すとジョッキに口を付ける。

小沢と川元が土田の元に引き寄せられていた頃、彼らが行方不明になっていた事を回りに伏せるため
墓地では肝試しにしては異例の『2周目』が行われていた。
人を驚かすポイントがばれている上での2周目は、芸人のサガも手伝って本来の肝試しの意図と大いに異なる
笑わせあいになっていたとかいなかったとか。
そんな墓地での肝試しは小沢達が発見された事で終わりとなり、島田の浄化の光によってお払いをした後は
参加者に店長の知り合いが居た関係で、とある居酒屋を丸々貸し切りにしての打ち上げに移っていた。
他の客に気兼ねする事なくはしゃげるのは元気盛りの若若手達にはちょうど良いようで。
元々注文していたコース料理に加え、ひっきりなくテーブルに運ばれてくる、自他とも認める料理好きの磯山と
料理人としてのスキルを石の力で入手した野村による特製料理の数々に舌鼓を打ちながら
アルコールが飲める者はビールやサワー、飲めない者はノンアルコールのジュースをぐいぐいと流し込んでいる。
「うーっし、お待たせ!」
「おぉー、待ってました!」
厨房から料理が盛られた大皿を両手で抱えながら磯山が姿を現すと、また今仁辺りを筆頭に野太い歓声が上がった。
その響きに、日村がのそりと席から立ち上がろうとする。

「やっぱり俺も鍋作るわー。」
一回石を使う毎に一度作った鍋が美味しくなるという、不思議な副作用を持つスモーキークォーツの持ち主である日村としては
折角のこの機会に己の鍋を振る舞ってみたいと思うのも当然の流れかも知れないが。
如何せん今の時期は鍋のシーズンの真逆である夏。たとえ確実に美味しいとわかっていても遠慮しておきたいし
この一部アルコール入りまくりの状況では、下手すれば具材を顔に当てたり背中に放り込まれたりという
画家でもある某大御所芸人に熱いおでんを振る舞う「お約束」のような大惨事になりかねない。

そのため。
「及川、ズドン、日村さんを止めろ!」
何度目になるかわからない日村のその宣言に対して鋭い声が井戸田から上がり、それに素早く反応した2人の小柄な若者が
日村を席に押さえつけようとした。
今まではそれで日村も落ち着いていたのだけれどさすがに今回はそれでは収まらず、日村は輝きを帯び始めた石を手に握りしめる。
「…えっ…ちょ…日村さんっ!」
「あどでー、ぼぐでー、パパみだいだ力士に……」
既に一日一度が限度である力士化の能力を使用しているにも関わらず、再びキーワードを口にしようとする日村。
しかしその口はキーワードを唱え終わる前に強張り、言葉はプツンと途切れた。
「…………。」
何か変な線が切れたのでは、と逆に心配になるぐらい唐突に訪れた日村の沈黙により不意に静寂が辺りを包む中、
ごくり、と喉が上下する音があがる。
その発生源は日村達の隣のテーブルの隅でウーロン茶のグラスを傾ける赤岡。
日村をじっと見据える彼の首元で、黒珊瑚が淡く暗い輝きを放っていた。
「お…サンキュ。」
金縛りという強引な手ではあるが、日村の暴走を押さえ込んだ赤岡に苦笑いを浮かべて井戸田が目線と短い礼の言葉を送れば
ふ、と赤岡の口元にも笑みが浮かぶ。

「まったく、しょうがないな。」
再び辺りに騒々しい声が戻っていく中で、こちらもすっかり呆れ果てた、しかしその中にも相方を微笑ましげに
温かく見守ろうとする笑顔を浮かべながら、小沢の方へと歩み寄ってきた設楽が彼の隣の椅子に腰掛け、小沢に囁いた。
「…貸し切りだから出来る事ですよね、これ。」
まさか他の客が居る前で、現実離れした能力を秘めた石を使うなんて真似は出来ない。
小沢が呟いたように、目の前で繰り広げられる騒ぎはここにいるのがほぼ芸人だけという条件があるからだろう。
「こういうのを見ていると…本来石って言うのはこういう感じで使われるべき物なんじゃないかって思いますよ。」
「かも、知れないな。」
戦うためではなく、楽しむために。小沢の言葉に設楽はうんうんと頷いて、短く答える。
「楽しいって事を知らないと…人を楽しませる事は難しいからな。」
その答えに、小沢は一度瞬きをし、それから設楽の方を凝視した。
「…どうした?」
「いえ、別に……。」
まさか己の言葉にこうも同意されるとは思わず、明らかに驚いた仕草を見せる小沢に設楽が問いかければ
小沢は首を横に振る。
そのままグラスへと視線を落とす小沢に、設楽は言葉を紡いだ。
「本当に今夜は良い物を見られた。『黒』も『白』も敵対しないって言うのも結構悪くないな。」
「…なら、設楽さんが『黒』を抑え込んでください。『黒』がなければ『白』も戦わなくてすみますから。」
わずかに口を尖らせる小沢に、設楽は浮かべた笑みを苦笑いに変える。
「『白』とその周りの連中がみんな抵抗をやめて『黒』に加われば戦う事もなくなるさ。」
「そもそも『黒』が馬鹿な事しなければ、抵抗もしませんよ。」
「みんな『黒』の方針に従ってくれりゃ、馬鹿な事もしなくてすむさ。」
「……………。」
テーブルの上のグラスを見据える小沢とその横顔を見やる設楽。
それぞれの立場からボソボソと交わされる言葉は接点を見つける事も出来ず。

「…平行線、かな。」
「……ですね。」
これからの事を思えば簡単に引き下がってはならないのだろうけれど、どちらともなく諦めるように言葉が漏れれば
2人は同時に肩を竦める。

「…近い内にこういう光景が日常な物になると良いですね。」
「……………。」
最後に付け加えるように小沢が口にした言葉に、設楽は答えなかった。
それが意図された物なのかどうか、小沢には知る術はない。
ちょうど小沢が言葉を言い終えたその瞬間、井戸田の携帯がけたたましい音を奏でだし、店中にいた芸人達の中で
深く酔っぱらっている者、そして酔いや疲れから早くも眠りに落ちている者以外の面々が一斉に井戸田の方を凝視したのだから。

「ったく、何だよこんな時によぉ……。」
折角の盛り上がりに水を差すかのような着信に愚痴りながら、手早く井戸田が取りだした携帯の開いた液晶に
映っていた発信者の名は『渡部 建』。
回りの視線から逃れるかのように一旦井戸田はテーブルから離れ、店の入口近くに向かってから携帯を耳に当てた。
「はい井戸田ぁ。今夜は用事入ってるから飲みの誘いならすんなっつったろ?」
相手は同じ『白』である以上に気心の知れた間柄とあり、砕けた口調で問いかける、井戸田。
しかし携帯の向こうから話しかけてくる渡部の声は井戸田のそれとは対称的に重く、そして切羽詰まっていて。
「……どうした?」
瞬時にただ事ではないと察し、声を落とす井戸田の表情が、告げられる言葉によって変わる。

「わかった。場所は? ……了解。毎回毎回ありがとうな。」
渡部から告げられる情報の数々に最初のトーンが嘘のように暗い面持ちになりながら井戸田は電話を切ると、
一つ深呼吸をしてからテーブルの方を向いた。
「…小沢さん、あと設楽さん。悪いけどちょっとこっちに顔貸してくんねーかな。」
不安げな心音を、内面の動揺をまわりに悟られないように。井戸田はテーブルを離れる前のテンションを演じながら、
ちょうど隣り合うようにテーブルに座っていた二人に向けて声を掛け、手招きした。

「………?」
井戸田からの呼びかけに一度顔を見合わせ、設楽と小沢は席を立つ。
招かれるままに冷房のさほど効いていない店の入り口に向かった2人に、井戸田は一瞬だけ演じた道化のテンションを捨て
真剣な表情を浮かべ、告げた。
「さっき、Dの近くに『白い悪意』が出た。抵抗した芸人が病院に送られたってよ。」
井戸田の言う『さっき』とは、肝試しではしゃいでいたり、『白い悪意』について土田と話したりしていた、ちょうどその時だろうか。
思わず両手で両頬を押さえる小沢に対し、設楽はふぅと息を吐いて、井戸田に問う。
「抵抗したって事は石持ちか。そいつは誰だ? 『白』寄りか『黒』寄りか…?」
「それが……。」
仮にも『黒』を束ねる幹部の一人とでも言うべきか。冷静さを失わない設楽の問いに、井戸田は少し困ったような表情を浮かべた。
その表情は、しばしの間をおいて井戸田が続けた言葉により設楽と小沢にも伝染される事になる。