Phantom in August [8]

449 名前: Phantom in August  ◆ekt663D/rE Mail: sage 投稿日: 06/03/26(日) 23:40:57

【22:47 都内・居酒屋】

「…本当に彼も被害にあったのなら、災難としか言い様がないが。」
一つ、大きく息を吐いて。設楽は独り言のような調子で言葉を紡ぐと、で、と井戸田の方を向いて言葉を続ける。
「彼らはやはり、あれなのか?」
設楽があれ、と言ったのは『白い悪意』と鉢合わせ、抵抗した石を持つ芸人達に揃って起こった謎の症状。
彼らの持つ石は皆輝きを失い、芸人達は原因不明の意識不明に陥ってしまうのだ。
そのせいで、『白い悪意』に関しての情報が手に入りにくく、そして櫛の歯がこぼれ落ちるかのように徐々に石の持ち主が排除され、戦線に復帰できない状況にされていく事で、攻撃的な能力を持つ石の持ち主を揃えて『白い悪意』に備える作戦を『白』にも『黒』にもとりづらくさせていた。

『あの石は…芸人を憎んでいる。芸人だけじゃねぇ。芸人に力を貸す他の石も憎んでいる。』
だから、他の石を見つけると強引に封印を施そうとしちまうんだ。
小沢の脳裏に、先ほど土田に告げられた言葉が蘇る。
「…………。」
思わず目を伏せ、両の拳をぎゅっと握りしめる小沢だったけれど。

「それが……渡部さんが言うには、救急車に押し込んだ時点で、まだ意識はあったって。」
井戸田が答える言葉に、床に落ちた小沢の視線は跳ね上がり、井戸田の方へ向けられた。
「本当なの!?」
不意に上がる小沢の声は店の中の方にも響いたようで、何人かの芸人が怪訝そうに3人の方へ視線を向ける。
その目線に何でもない、と苦笑いと共にジェスチャーをして一旦彼らの関心を失わせてから、
設楽も興味深そうに井戸田の方を見やった。
「最初にダメージを負って気を失う前に、治癒魔法掛けられたのがデカイんじゃねーかって言ってたけど。」
「何処の病院に搬送されたかは、わかっているのか?」
「一応は。」
設楽の問いに井戸田は素直に頷いて、渡部が教えてくれた都内の病院の名を告げる。
それは全く知らない固有名詞ではあるが、設楽はふぅむと呻るように呟いて。
「あれを使えば行って行けない事も、ないか。」
ポツリとそう漏らす。


「じゃあ、行きましょう。」
すかさず、小沢が口を開いた。
「『白い悪意』に対抗するために何かわかる事があるかも知れない。」
きっぱりと言い切るその態度に、2人はそれぞれ小沢の方を見る。
井戸田は、石が絡む事になると本業の笑いの事に負けないぐらい積極的に関わろうとする小沢の態度にしょうがないなとでも言いたげに。
設楽は、立場こそ違えど『白い悪意』に手を焼いている同士である彼の判断に、その通りだと言いたげに。
2つの眼差しに同意が得られたとわかれば、小沢はようやく小さく嬉しそうな表情を浮かべた。


「…っと、お前ら。悪い。」
ふ、と小沢につられるように口元に笑みを浮かべ、設楽は店内の芸人達の方を向くと呼びかけの声を発する。
「ヤボ用ができたんで、俺達ちょっと出かけてくるわ。」
すぐに戻ってくるから、そこまで俺らに気にせず続けててくれ。
突然の展開にキョトンとする芸人達にそう付け加えて、身を翻して店から出て行こうとした設楽に。
「…俺は?」
日村が椅子から腰を浮かし、幾らか慌てたような声を上げる。
スピードワゴンの2人に設楽に用事が出来て、設楽の相方である自分が無関係というのもおかしな話であろう。
しかし、設楽は日村へ首を横に振ってみせて。
「日村さんは関係ない。俺も付き添いみたいなモンだし…だから、ハメ外さないようにこいつらの事見張っててよ。」
「でもよ……。」
「大丈夫だから。」
軽い調子で告げる設楽に、それでも不安げに日村が問い返そうとするけれど。
一言そう言い残すと、彼は店の扉を開けると小沢と井戸田を連れて外へと歩き出していった。
カランコロンカラン、とどこのコントの喫茶店だと言わんばかりに扉に付けられていたベルが虚しく音を響かせる。


「……日村さん。」
扉の向こうに3人の姿が消え、どさりと椅子に腰を下ろす日村に島田が声を掛けた。
日村のその柔和そうな顔に浮かんでいるのはどこか寂しげな表情で、設楽が言うところの「ヤボ用」に関われなかった事を少なからず残念に思っているだろう事は明らかで。
「日村さんの事、信じてるからあぁ言ったんだと思いますよ。」
「わかってる。けど、なぁ……。」
フォローのつもりかそう告げて、グラスにビールをつぎ足す島田に日村はぼそりとそう答える。
電話に出た井戸田が小沢と設楽を呼んだ時点…つまりはそこで日村を呼ばなかった時点で、この件に関しては自分はお呼びではないのだと言外に告げられていたのだろうけども。
今回のみならず、随分と前から自分だけ置いてきぼりにされるような事柄が多いような気がして、それが何とも面白くなくて。
島田につがれたビールを日村はぐいと流し込んだ。モヤモヤを一緒に流し去ろうとでもするかのように。





夜になり日中よりは気温も下がっているとは言え、冷房の効いた店内に居た身には酷く蒸し暑く感じられる。
居酒屋から少し離れた人気のない路地で立ち止まり、設楽は暑ぃと気怠そうにぼやいた。
「日村さん、納得いかないって顔してましたね。」
設楽について歩いていた小沢も立ち止まり、変に誤解されてないと良いんだけど、と店を出る前にチラリと見えた光景を思い出して小さく呟く。
「仕方ないさ。誤解されたらその時はその時だし、それはこっちの問題だからお前らが気に病む必要はない。」
心配げな小沢の言葉の響きに、設楽は小さく肩を竦めて苦笑を浮かべた。
誤解になるかも知れないとわかっていつつも、相方に対してソーダライトを使わないのは設楽なりの誇り。
今まで自分達で築き上げてきた物が、そう簡単には崩れないという過信に似た信頼。
「でもよぉ…。」
やっぱり気になるじゃん? とでも言いたげな井戸田の肩に手を伸ばし、宥めるように軽く叩いて。
設楽は携帯を取り出すと手慣れた動きでメモリーを操作し、電話を掛ける。


「…『スィーパー』か。四の五の言わずに今すぐこっちに来い。」
数コールで電話は繋がったらしい。クッと顔をもたげて設楽が告げた、その次の瞬間。辺りに石の力の気配が広がる。
それは小沢のアパタイトでも井戸田のシトリンでも設楽のソーダライトでもなく。
「………っ!」
何もない空間を引き裂くように現れた緑色のゲート。
そこからのそりと現れたのは、指のリングのブラックオパールを輝かせた土田だった。


「な…何だよこれっ!」
アスファルトの上に両足を付き、スッと手を振ってゲートを消去して。設楽の方を半ば睨み付けるかのように見やる土田の姿に井戸田が素っ頓狂な声を上げる。
『黒』の同僚としてその能力をこれ以上なく知っている設楽、そしてついさっきその能力を目の当たりにしたばかりの小沢と違って彼にとっては初見なのだから、驚くのも当然だろうか。
「…何の用だ、『プロデューサー』さんよ。」
しかしそんな井戸田などあっさりと無視して土田は設楽に問うた。
「こっちは『白』なんぞとキャッキャと遊んでたそっちと違って、仕事上がりで家に帰る所だったんだけど?」
「本当に仕事だけしてたのか? うちの小沢に手を出しといて、良くそんな事が言えたモンだな。」
不機嫌げに眉を寄せての土田の言葉にも構わず設楽はさらりと言い返し、先ほど井戸田に聞いたばかりの病院の名前を口にした。
「ここに『白い悪意』の被害者が運び込まれた。今夜のお前の越権行為は黙っててやるから、今すぐ俺らを連れて行け。」
『黒』の幹部同士のやりとりに、路地の頼りない街灯の明かりも手伝って彼らの回りにはうっすらと闇が集っているように見える。

小沢の名が出されて思わず舌打ちをする土田の表情が、続いて告げられた『白い悪意』という単語で劇的に変わった。
「…本当なのか?」
設楽に、そして傍らの小沢へ問えば、返ってくるのはそれぞれ無言での頷き。
土田の表情から機嫌悪げな色が一気に薄れ、真剣な面持ちで彼はリングに手を翳し、ブラックオパールを煌めかせる。
「それならそうと先に言え……ゲート、開くぞ。」
強い石の魔力…それは先ほど墓地で小沢の気配が消える直前に感じたそれと同じモノだ…が周囲に広がり、
しばしの間の後に、空間が赤い輝きをもって人一人が通れるほどの大きさに引き裂かれた。


「本当に『白い悪意』の話になると目の色が変わるな、お前は。」
幾らか呆れたように呟いた、設楽の腕を井戸田が肘でつつく。
何事かと傍らを見やれば、井戸田は不安げに視線をゲートと設楽の顔を往復させていて。
「…これに、入るんスか?」
「そうだ。こいつはどこでもドアみたいなモンで…そういやこないだの無観客試合もこれで覗きに行ったんだって?」
警戒心が見え隠れする井戸田に設楽は説明し、ふと思い出したかのようにそのまま土田に訊ねた。
「あン時は見つからねーようにって色々大変だったけどな。ま、そんぐらいの力はあるから、安心して飛び込んでくれ。」
まさかこのシチュエーションで土田達が井戸田達を騙そうとする事はないだろうけども。
それでも未体験の能力を目前にして、不安に思う気持ちもわからなくはない。
井戸田の警戒を解くべく笑う土田の様子につられるよう、小沢も小さく微笑んだけれど。
その笑みは長くは続かず、彼は不意にハッとしたように背後へと振り返る。

「……………。」
打ち上げ会場だった居酒屋から小沢達が歩いてきた道。そこに、一つの人影があった。
細身の長身。走ってきたのだろうか、呼吸を乱れさせたままそこに立っていた男は。

「…赤岡くん…どうしたの?」
「僕も、連れてってください。」
視界を遮る漆黒の前髪をそのままに、戸惑うような小沢の問いかけに男は…赤岡は答える。
「今さっき携帯に電話があって…多分同じ用件…『白い悪意』の…だから石の気配を追いかけて……。」
一歩二歩と歩み寄ってきつつ、もしここにグラスに入った水があれば飲ませてあげたくなるような口振りで赤岡は続けた。

「…赤岡くん。」
あまりに急いできたのだろう、土田がいる事にもゲートが開いている事にも気づく余裕のない赤岡の様子に
思わず小沢は呟いて、そばの三人の顔をそれぞれ見やった。
本来はドの付くほどのマイペース人間である彼をここまで駆り立てる理由も、小沢には決してわからない訳でもない。
だからといって、自分の権限でさぁどうぞという訳にもいかなくて。


「どうせ厭だといっても付いてくるんだろう。だったら勝手にすればいい。」
答えに困り、口を閉ざす小沢の傍らで。肩を竦めて設楽が赤岡へとそう告げた。
「そうだな。一人増えても問題ねぇし、それよりもゲートを維持し続ける方が疲れるんでね。さっさとしてくれた方が助かる。」
設楽の言葉に同意するように続けて土田も口を開けば、赤岡は苦しげながらも表情を綻ばせる。

「ありがとう御座います。」
彼にしては珍しい、殊勝な礼の言葉を紡いで。赤岡はようやく顔に掛かる前髪を指で書き上げた。
「…良かったな。んじゃ、行くとすっか。」
確かに土田の言うように、あまり長い時間ゲートを開けっ放しにしておく訳にもいかないだろう。
赤岡の他にもまた誰かが居酒屋から追いかけてくる可能性もない訳ではない。
ゆっくりと残りの距離を詰めてくる赤岡の腕を取って、井戸田は赤く輝くゲートの方へ向き直り、
半ばその中に飛び込むような気概でそのまま足を進めていった。

目の前の現象に疑問を持つ間もなく、井戸田に引っ張られるように赤岡の姿が光の中に消える。
一々改めて説明する手間が省けたかな、などと軽口を漏らし、設楽は落ち着いた様子でその後を追った。
続いて小沢。最後に土田。
五人の姿がゲートの向こうに消えれば、ゲートの赤い輝きは瞬く間に薄れていって。
辺りには元の静寂と、ブラックオパールが残した石の気配が漂うばかりとなるだろう。
まるで真夏の夜の幽霊か何かのように。




【23:09 渋谷・某病院】

真夜中のロビーは、夜の闇を、そしてそれが連想させるモノを払いのけんとするかのような輝い明かりに包まれていた。
その隅の方で俯いて椅子に浅く腰掛けていた男が、不意に耳に入る物音にビクリと肩を震わせ、頭を上げる。
医者が来たのだろうか。それとも。
思わず足元に転がした三つの荷物に足を取られながら彼は立ち上がり、物音のした方を向いた。

「…………!」
けれど、彼の視線の先にあったのは、虚空に輝く緑色の亀裂。
しかもそこから吐き出されるように、若い男達が次々とロビーに転がり出てきて。
その現象そのものにはもちろんのこと、男達のそれぞれ見覚えのある顔に、男はハッと息をのむ。

それは男達…小沢達にとっても同じ事で。
薄暗かった路上に慣れていた目がロビーの目映さに慣れるまで数秒ほどタイムラグが生じたけれど。
やがて見えてくる自分達の方を見つめる見覚えのある男の顔に、深い闇を思わせる彼の大粒の瞳に、言葉が詰まる。

「お前ら……」
やがて、頭に白いタオルを巻いた30代半ばの男はおもむろに口を開き、短いながらも西のイントネーションを帯びた
小さな呟きが辺りに響いた。
「こんな所まで何しに来た。」
「あんたを笑いに来た。…そう言えばあんたの気は済みますか?」
突然の訪問者への警戒を露わにしつつの彼の声に、他の四人よりも早く、わかってる癖にと付け加えて土田は言葉を続ける。
「『白い悪意』に対抗する為の、折角の情報源に接触しない手がどこにあるって言うんですか。」
「俺からもお願いします。そちらで…松丘さんに何があったのか…教えてください。」
土田に続いて赤岡も言葉を紡ぎ、男へと呼びかけた。

「……渚さん!」
名を呼ばれ、男…村田 渚はピクリと眉を動かす。
強張った表情を解きほぐそうとせんばかりに、彼はそのままゆっくりと息を吐き出した。
「お前ら此処を何処だと思ってる? 病院で大声出したら怒られるぞ。」