ラーメンズ編 [後編]


173 名前:新参者 ◆2dC8hbcvNA   投稿日:05/03/08 15:48:00 

かがみ込んだ片桐は、胸元にある粘土を回収してから、男Aの顔を覗き込む。
どこか生気が抜けている、立ったまま見下ろす小林でも分かるほど衰弱しているようだった。
前兆が無いまま戦いが始まってしまったため、男Aが何を意味して来たのかが分からない。
誘導尋問で口を割らせるか、綺麗とはいえない頬の肌を掻いてから目を横に逸らす。
シナリオを確認すれば展開の変化が記されていた。
空気が籠もっていて気持ち悪い。粘土の臭いで満たされてしまったらしい。
換気するため窓を探したが開けられない仕様になっている。せめてドアでも開けようか。
倒れたままの男Aを遠目で見やってから、重くて固いドアを開けた。
「賢太郎!」
危機迫った片桐の声が響く、振り返ればスピードを落とした線が顔に向かってきていた。
男Aが右手を上げ、首だけでこちらを伺いながら目を光らせている。
「大丈夫」
小林は、避けるわけでもなく呟いた。
「来客がある」
開いたドアの向こう側から水が飛んでくる。
長く続いた水鉄砲が、黒い線が顔に当たる寸前に方向を変えさせた。
顔や服に水が飛び散り、眼鏡に水滴が付着して視界が滲む。
拭いたレンズの先にいるのは、男にしては有り得ないほど細い体を持つ新たな登場人物。
白い肌に浮かぶ目の下のくまが異様な雰囲気を作っていた。同じ番組に出演しているが、
コーナーが違うので久しぶりに顔を合わせる。
無表情のまま部屋に入る菊地は、片桐と目を合わせて会釈してから小林の顔を見上げた。
小林は少しふざけたように頭を下げる。

「ありがとう」
「いえ、服濡らしちゃいましたし」
決められたような会話を交わしてから、外に出るように促された。気を失っている男Aの横、
不思議そうに眉を寄せていた片桐が、思いついた顔に変わる。
「ああ、黒側の話か」
急に指された図星に息を飲むのは小林だ。目は見開き、鼓動が脈打つのを感じながら口を開く。
「なんで」
「一緒に仕事してれば分かるよ」
事実を知っている片桐は怒りも失望も浮かべずに、散乱しすぎた髪を後ろで結んでいた。
何も言えない小林の顔を眺め、なんてことない表情で軽く笑う。
「賢太郎のことだから、ちゃんと考えがあるんだろ? なら別にいいよ」
急に許されても戸惑うだけだ。多数の芸人を手にかけてきた小林にとって、
むやみに信じられるのは心地好いことではなかった。しかし拒否するわけにもいかない。
微妙なジレンマに潰されそうになる。
「……なら、ここで話してもいいですね」
第三者である菊地は、どこか冷たい態度で目を伏せた。片桐は片桐で粘土の世界に浸っている。
一人だけ取り残された小林は、手にしていた紙切れを握りつぶした。
「明後日の夜、上部で話し合いがあるそうです。
 小林さんが出席しないと話が進まないんで、絶対に来るようにと」
簡潔に用件を告げた後、一番真剣な声色で訪ねてくる。
「シナリオはどうですか?」
言われてから存在を探した。床に落ちているノートには細い穴が空いている。
数枚めくれば専用のページがあった。菊地についてではなく、相方の山田が危険を回避するためのシナリオだ。

お互いに似た環境にあったため、このように協力するようになった。
小林がシナリオを提供する変わりに、菊地はこちらが危険な時に助ける。
お互いを支えるには打ってつけの交換である。
条件を破ったら、相方に真実をばらすというリスクを伴う事で釣り合っていたが、
今ではそれも崩れてしまった。
「特に変わったことは無い」
「本当に?」
「強いていうなら、君を助けに向かう可能性がある」
菊地の顔が歪んだ。詳しい話は知らないが、いつか有名なコンビと争っていたとき、
山田が途中で入ってきてしまったことがあったらしい。小林のシナリオには書かれていなかったので、
本当に突発的な行動だったのだろう。
今回に限らずこれからもずっとその可能性がある、そういった意味が込められていた。
真意を悟った菊地が再度目を伏せる。戯れで手元に水を出現させてから、小林のことを睨んだ。
裏切られた子供が見せるような鋭い目付きだった。
相方に許された小林が裏切り者として対処されてしまったのだろうか。
これから菊地がどんな行動に出るか分からない。こちら側のシナリオを書き直し、
菊地自体のシナリオを手にする必要がある。能力の多用による疲れを予想してため息をついた。
闇を背負う背中を見送りながら、心の中だけで謝罪する。
山田にとっての最高のシナリオはこうだったからだ。菊地が黒を抜ければ争いは極端に少なくなる。
そして、菊地が黒に残り続けた後の展開は、明るいものではなかった。
小林が真実を告げない理由は一つ。こちらの安全を守ってもらうため。勝手すぎるが仕方がない。
ある意味で全てを背負ってしまう小林の能力。責任の重さにため息をついてから、
必要なくなった伊達眼鏡を外す。倒れ込んだまま動かない男Aのポケットを弄り、
黒くて荒々しい石を取り出した。黒側の人間が発するような暗い色は放たれていない。

どこかで逆恨みを買ったことで襲われたのか。ノートを見やれば、確かにハプニングの可能性が記されていた。
対応しきれなかった失敗は忘れ、左手の石に力を送る。黒いが透明感のある光が瞬く。
右手親指以外から一気に線が放出された。四本は各々違う方向に直進し、壁に跳ね返って止まる。
人によって使える線の数が変わるらしい。男Aには合っていなかったのだろう。
線を消してから、粘土を捏ねている背中に石を渡す。手にした片桐は一頻り石を観察してから、
よく分からない力み声を出して両手を開いた。親指以外から、つまりは左右四本ずつの計八本が放出される。
何故か悔しくなった小林がひそかに口を尖らせた。
「それ持ってれば?」
「何で?」
「ちょっとは戦いやすくなるだろ」
「やだよ、使いにくいし」
提案はすぐに拒否される。保持を望んでいた小林が、黒い石の利点を探した。返してもらってから線を作り、
逆の手で掴んでから加工していく。
「狭い部屋なら相手が避けきれないまま終わるだろうし」
作り上げたのは平面の正方形だ。黒い枠を軽く持ち、遠くの壁に向かって投げる。
回転しながら進む正方形は、一瞬にして壁に突き刺さった。
「こういう使い方もある」
男Aが気づいていなくて良かった。実際にやられていたら勝てていたか分からない。
利点を並べられた片桐は、それでも首を横に振る。
理由を問えば、いつもの自分中心的な笑みを浮かべるだけだ。微妙な沈黙が流れたが、すぐに埋められた。
「俺はこれだけでいいよ」
翳した粘土は先程潰れてしまったガンダムの修復形。心なしかアレンジされているようにも見える。

呆れた小林も苦笑し、黒いセーターのハイネックラインを掴んだ。戯れで伸ばしてから石をポケットに入れる。
黒上部の更に上にいる彼に相談するべきだ。しかるべき持ち主を探してくれるだろう。
何となくシナリオを見て、次にやってくる災難に頭を抱えた。この黒い石には、もう少し活躍して貰う形になる。
ため息をついた。小林の表情で悟った片桐も、少しうんざりした表情に変わった。
開けっぱなしのドアの向こう側、気絶したままの相方を救う為に走ってくる存在を確認する。
身の安全を確保するためだ、シナリオでは男Bとの対決も予想されているから。
直線上にある男Bと向かい合う。
シナリオに縛られる生活は暫く続きそうだ。殆どの運命を握り、それでも自分達中心で事を考えている。
これからはどうなるのだろうか、遠すぎる未来まではシナリオ化出来ないので分からない。
とにかくこちらの安全が確保出来ればいい。出来るなら、いつもここからの二人も。
眼鏡を掛け直す。石は左手で握る。体は横に、顔だけドアの向こう側に合わせて。
右手をゆっくりと翳し、走る新たな登場人物に向かって四本の線を投げた。

End.


178 名前:新参者 ◆2dC8hbcvNA 投稿日:05/03/08 15:53:35

男A(仮保持)
黒曜石(オブジディアン)=深く光沢のある黒 古代、加工することで武器としても使われていた。
指先から線を放出させて操ることができる。
色は黒でシャープペンの芯位の細さ、釣糸より固く針金よりも柔らかい。
本人以外は切ることが出来ない。無限に伸ばせるが長いほど体力の消耗が激しくなる。
線は真っ直ぐ進むことしか出来ず、曲げる際は人為的な力(本人以外でも可)を加えなければならない。
また、曲げた後は二度と直線に戻らず、本人の手元から離れた線は数分で消滅する
(直進中に線を切れば本人の意思と関わりなく運動を続ける)、線を図形に変化させることも可能。
ダンボール程度なら貫通するが、ガラスほどの強度を持つ物体には跳ね返り、直進運動を続ける。
速度は一般男性のキャッチボール程度。
石に適合すればするほど操れる線の本数が多くなる(最大十本=両手の指のぶんだけ)
(この若手芸人は普段一本、限界で二本しか操れません。)

黒曜石の行方は皆さんの想像に任せます。能力考えるのって楽しいですね。
失礼します。

 [いつもここから 能力]

※「いつここ編2」に続きます。