ロシアン・シュー [2]


289 名前:ロシアン・シュー ◆ksdkDoE4AQ 投稿日:2005/03/29(火) 23:51:06 

「それで、ライブ前のあの茶番は何だったんだよ」
 モツ煮込みを頬張りながら、藤田が大村をきろりと睨む。ライブ後の打ち上げと称して二人で早朝まで営業し
ている居酒屋に来たのはいいが、結局のところ今日のライブ前(ほんの数時間前)に石を使っていた大村の行動
の理由が気になるのだろう。あの時、石を使ってまで何をしたのか、藤田はそれを聞きたがっている。さすがに
冷静に考えてみれば、ジュースのオゴジャンのためだけに三回連続で石を使って成功率に細工をしたとは信じら
れない。
「おやおや…茶番呼ばわりとは穏やかじゃないねぇ」
「穏やかじゃなかったのはおめーだろ。ガラにもなくマジだった」
「…ま、確かに」
 さてどこから話し始めたもんかな、と一瞬間を置くと、藤田は間髪入れず、
「誰が居た?」
 いいところを突いてきた。
「…誰も居なかった」
「誰か居たんだろ」
「誰も居なかったのはお前も見たろう」
 居なかったのを見た、とはおかしな言い方だが、藤田は肯かないわけにはいかない。あの時の大村は、確かに
虚空を睨んでいたから。
「ただし、俺の目にはある男が映ってた」
「誰だよ」
「…俺らより知名度のあるコンビの、ボケの方」
「石は?」
「…持ってなかった」

 じゃあ丸腰の相手に向けて石を使おうとしていたのか?藤田が眉を寄せるのを見て、大村が続ける。
「俺の目には見えてたけれど、実際は居なかったって言っただろう。つまり、幻覚だ。幻覚が、石を持っている
わけはねぇ。それに、あの時点で俺は、相手が幻覚だとは知らなかった」
 そういうことだ、と言って藤田を安心させるようにひとつ肯く。
「つまり、どこからかその幻覚を操っていたやつがいたはずだ。石の力を考えると、多分すぐ近くで。…それが
誰か、俺には分かんねぇけど」
「…」
 藤田は、アフロの下の力強い眉毛をぎゅっと寄せて、何かしら考え込んでいる。
「藤田」
「…一人だけ、可能性がある。いや、俺自身はこれっぽっちもそんな可能性信じてねぇけど」
「…藤田?」
「今日はいつものライブじゃねぇよ。俺らのバンドのオンリーライブだぜ?」
「…藤田おまえ」
 驚いた表情の大村に、藤田がその人物の名前を告げようとした瞬間。
「もうええよ、藤田」
 額を寄せ合って話をしていたふたりの上に、影が差す。その人物は、大村の背後から近付いており、声を掛け
られた藤田が先に顔を上げて、その人物を見とめた。
 それはまさに、藤田が名前を口にしようとした人物。
「…樅兄…?」
 大村は振り向かないまま、藤田の表情だけを観察している。騒がしいはずの居酒屋の中で、自分たちを中心に
半径1メートルだけがぽっかりと音を無くしているような感覚。腰にぶら下がった石が、自分の鼓動を表すよう
に忙しなく明滅しているのが感じ取れる。
「ライブ前のアレは、俺の石の能力や」
 確かにそれは樅野の声。だが、振り向けばその瞬間から、樅野が白や黒のこととは別に、“自分とは違う側”
の存在になってしまうような気がして、大村は振り向く意思すら見せずに問う。
「…なんで、あんなマネしたんすか」
 別に、幻覚山崎にも、その操り手だったという樅野にも、身体的な攻撃を受けたわけではない。ただし、幻覚
と対峙した間、そしてその後、幻覚かどうか判然としない藤田を前にした時、言いようのない恐怖が胸に拡がっ
たことは事実だ。それは精神的な攻撃とも言えた。
「…理由は、あんまりたいしたことでもないよ。…大村、怖かったやろ?」
「…」

 背中越し、淡々と聞こえてくる樅野の言葉に、大村は応えない。否定も肯定もしない。
「石の戦いをどこ吹く風、って白にも黒にも属さんことはできるよ。現に、そういう立場を選んでる芸人もいっ
ぱいおるはずや」
 目のまえの藤田は、信じられないという顔で樅野を見ている。
「ただ、石の能力は千差万別。その戦いの途中で、今まで白か黒かなんてたいして気にも留めてなかった相方ま
で信じられんようになる時は来る。相方が自分と同じ考えなのか。実は自分はたった一人で戦ってるんじゃない
か。そもそも、相方は本当に昨日まで隣にいた相方なのか。…疑いが生まれたら、なかなか消えることはない」
「そのことを俺たちに教えてくれようとしたってことですか?」
「そんな優しい気持ちやったかな。どっちかっていうと、試したってのが正しいかもしれない。元々、仲の悪い
コンビやったらそれでも構わないやろけど、おまえらは仲いいから。どうするんかなって」
「俺たちを試して、あなたに何が残るんです、何か残りますか」
「何も残らんよ。何ひとつ、残ったらだめなんです」
 謎掛けめいた返答にも、思い当たる節はある。
「樅野さんは、白っすか黒っすか」
 ついに頭を抱えるようにして俯いてしまった藤田のアフロヘアーを眺めながら、大村は今日二度目になる質問
をぶつけた。この問いに、山崎の姿を借りた樅野は白だと答えた。
「…知りたいか?」
「知りたいことがありすぎるんで、手近なとこから知りたいですね」
「俺は、おまえらは白に入るべきだと思ってる」
 そんなことは訊いてない、と言おうとしたが、幻覚山崎のせりふを思い出して、言葉を飲んだ。
――…『おまえは白か?』って訊く人もいるんじゃないんですか。
――いるね。
――そういう人は?
――うーん…黒から改心した人か、芸人辞めた人か?…もしくは、どっちかをスパイしてる人。
 あの台詞で樅野が言いたかったことは、石を巡る戦いを知った人間で、且つその戦いから身を引いた人物…
『芸人を辞めた人間』は、石を封印することを願う、ということなのではないか。だから今も、彼は自分たち二
人を白のユニットにいざなっている。

「樅兄の考えはよく分かり…」
「待てよ、おーむ」
 大村の言葉の語尾にかぶせるようにして、いつの間にか顔を上げた藤田が手を差し出して「ストップ」と表す。
その目は、どこか怒ったように尖り、大村は思わず口を噤んだ。
「ねぇ樅兄」
「…何?」
「俺の今日のカッコ、イケてます?」
「ん?…いや、おまえその格好で家から来たんか、て思うけど」
「…おかしい」
 常に無い、真剣な声色。大村が尋ね返す代わりに眉をひそめると、藤田は苛ついた様子で居酒屋のテーブルを
ひとつ叩いた。周囲の客が一瞬こちらを注視したが、すぐに興味を失った様子でそれぞれの会話に集中を戻した。
彼らのその動きはどこか不自然で、もしかしたら石の能力の中には他人の自分への興味を失わせる、そんなもの
もあるのかもしれないと大村は頭の片隅で考える。
「…どうしたんだよ藤田」
「まず根本的なところがおかしいんだよ」
「…だから何がだね」
「今の樅兄が、石を持ってるはずがねぇ」
 石を持っているのは芸人だけのはずと聞いているから。
 これまで石を持っていたとしても、つい最近、樅野は石を手放していると考えてもいいはずだ。彼の肩書きは、
『作家』ではないか。
「…でもよ、石を手放すってのもすぐにはいかねぇだろ。解散してからだって、少しくらい猶予があるのかも」
「それより、この樅兄も幻覚だって考えた方がしっくりこないか?」
 藤田が、テーブル上にあった割り箸を大村の肩越し、樅野に向けて投げる。大村は振り返らなかったが、背後
の樅野から声は上がらない。普通、箸を投げつけられたら「わぁ」とか「何すんだ」とか、とにかく声を上げる
はずだ。
「…マジか…」
 …そう考えれば、さっき周囲の客がこちらを見てすぐに興味を失ったのもなんとなく分かる。大村が一切振り
向かなかったこともあって、傍から見れば、自分たちは“二対一で揉めてる集団”ではなく“ケンカモードのた
だの二人連れ”なのだ。二対一の状況なら多少目を引いただろうが、ツレ同士にしか見えない藤田と大村だけな
ら、さして注目することもあるまい。

 ライブ前、大村が“一人で”何かと対峙していたように、その場に居る人間が認識している人数から、実は
「一人足りない」。言い換えれば、一人は幻覚。
 大村が鋭く振り返る。そこには誰も居なかった。
「…幻覚の樅兄さ、ちょっとだけ笑って、フッて居なくなった」
 ずっと樅野(幻覚)が立っていたのを見ていた藤田が、ぽつりと呟く。それを口に出してみると、ひどく象徴
的な言葉になってしまったことに、藤田自身が驚いた。驚いたけれど、そのことが藤田にある確信を抱かせた。
「居るんでしょう?」
「藤田?…誰に話し掛けてる?」
 さっきから、藤田は千里眼でも持ったかのように大村の思考の先を行く。大村にとってみれば、いつもおちょ
くっている藤田の言動に驚くやら少しムカつくやらといったところだ。
「居んの、分かってんすよ」
「藤田ぁ」
 俺にも分かるように言いたまえ。
 大村がそう言おうとした矢先だった。
「…大村じゃなくて藤田に見破られんの、ちょっと悔しいな」
 聞き覚えのある、標準語と交じり合って柔らかな響きの関西弁。
 今、背後に立つ人物が、山崎・樅野、二人の幻覚を大村に見せたのであり。
 そして、振り返る前から分かった。その声は聞き間違えようもなく、
「や…まもと、さん?」
 樅野の相方だった、山本のもの。
「ライブ、実はこっそり見てたよ。よかった」
「…マジで山本さん?」
「大村は、びっくりしてるなぁ。…藤田は、いつから分かってたん?」
 穏やかな顔に、多少剣呑な表情を浮かべて、山本が藤田に向けて顎をしゃくってみせた。
「樅兄が出てきたところ」
 山本の問いに、藤田はお気に入りのおもちゃを取られた子供のような顔で答える。
「なんで分かった?」
「樅兄がこんなことすんのおかしいって思った。下手したら俺らが石使って抵抗してくっかもしれないのに、し
らっと出てきて、無防備過ぎんなぁって。幻覚って考えれば説明がつくでしょう。幻覚に俺らが反撃したって、
本体は傷付かない」

 それに、と言いさして、藤田は自分のスウェットを見下ろす。
「決定打はこのスウェット。樅兄は俺が今日なんでスウェット履いてんのか知ってるんですよ。おーむの悪戯の
せいで途中で履き替えたんであって、この格好は家からじゃねぇってことも」
 あちゃあ、と山本の茶化したような声がしたが、たいしてダメージを負ってはいないのは手に取るように分か
る。
「…それで、その幻覚の本体が俺やって、なんで分かったん?」
「…手放した石を、樅兄がどうしたか考えたんです。あんまり考えたくはなかったけど、もし俺が樅兄と同じ状
況ならどうするかってことも考えた」
「それで?」
「俺なら…」
 藤田はそこで一度言葉を切り、対面に座る大村に視線を合わせた。
「持たなくなった石は、きっと大村に預けます」
 山本の返事はない。おそらく、藤田の推察は的を射たものだったのだろう。樅野はもう自分で持たなくなった
(持てなくなった?)石を、元相方に預けた。
「石は、芸人じゃないと持たない。石は、俺らがコンビだったって証にもなるでしょ。だから俺ならきっと大村
に預けます。…同じように樅兄も山本さんに預けたんじゃねぇかなって」
 樅野が何を考えて、石を山本に預けたのかは知らない。山本にすら分からない。
 しかし、藤田の言葉は拙いながらもある種の説得力を持っていた。芸人にならなくては持つことのなかった石。
自分の笑いへの情熱に反応しているような石。それを『自分が芸人である間となりに居た男』に託したとしても、
驚くことではない。
「…おまえらを、試しただけや」
 拗ねたようにそう呟いて、山本が二人に背を向けた。くちびる噛んで黙っていた大村が、先輩の背中に声を掛
ける。

「ねぇ山本さん。俺の石はすげぇ弱っちくて、ひとりで戦ったりとか出来っこねぇんですけど、でもそれでも藤
田がホンモノかどうかぐらいは見破れるんです。俺はそれが出来ればまぁ十分かなって思ってます」
 その場に立ち尽くしたまま、山本は動かない。テーブルの傍らで微動だにしない山本を、店の客が胡散臭げに
見上げている。この山本は確実に幻覚ではなく、生身らしい。
「俺がホンモノかどうか、このモジャが分かんのかどうかアヤシイもんですけど、でもやっぱり俺のニセモノが
いたらちゃんと見破るんじゃねぇかなって、変に信じてる部分もあるんですよね」
 大村の言葉に、藤田が怒ったり照れたりしているのが見えたが、今は構っている場合ではない。
 山本は、彼らにじっと背を向けたまま黙っている。彼の傍らのテーブルの客が、立ち上がって、店を出て行っ
た。そのくらいの時間をじっとしたまま待って、それから山本はゆっくりと藤田と大村を振り返って。
「…相方のことが分かる、ゆうんか」
「そうですね」
「今日は俺が相手やったからそれも出来たかもしれん。でも、似たような能力の石を持ったやつが、俺よりもっ
と周到に相方のニセモン送り込んでくるかもしれん。しかも、その日がいつ来るかもわからん」
「そりゃそうですね。でももしホンモノ藤田の中に一人だけニセモノが混じってたとしても、俺はイヤでも気付
いちまうんだと思いますよ」
「なんかロシアンルーレットみたいだな」
 大村の今日の悪戯を思い出して、藤田が呟く。彼のジーパンをベットリとよごした、辛子入りのシュークリー
ムが脳裏をよぎったのだろう。
「俺の石の能力があれば、山盛りのシュークリームの中から辛子入りを選び出すことだって可能だからな」
 大村が、ニヤリと笑って藤田を見る。藤田は、これから先ロシアンシューの罰ゲームをすることがあれば、自
分は必ず『アタリ』を引いてしまうのだろう、と悲壮な覚悟を決めた。
「ホンマ…なんてか…お気楽なヤツら」
 山本が呟く。けれどその声音は十分に笑いを含んだもので、二人は安心する。

 お気楽結構。面白けりゃそれで結構。山本さんもそうでしょ?そんなことを考えながら、大村は続ける。
「それでですね。何が言いてぇかっていうとですね。…俺も藤田も、白とか黒とかぶっちゃけどっちでもいいん
ですけど、でも…白に入って石を封印できんのなら」
「そう。そんで、それが“いろんな人”の希みだってんなら」
 藤田の言う「いろんな人」には、今は作家として歩み出そうとしているギター好きの先輩も含まれるのであろ
う。そして、自覚の無いまま「元相方」の思いを汲み取ってトータルテンボスを白にいざなおうとしていた、目
のまえの山本のことも。
「俺らは、白に入ってもいいと思います」
「困ったことに、俺も大村とおんなじ意見でっす」
 アフロを揺らして、藤田が明るく挙手して賛同する。
 一瞬、あっけに取られた顔をした山本が、次の瞬間、泣きそうな顔をして、すぐにそれから弾かれるように笑
い声を上げた。大きな笑い声はしかし、居酒屋の中では埋没する。
 ひとしきり笑った後で、目じりを濡らすわずかな涙を指先で拭って、山本はウンとひとつ肯いた。
「頼むわ。俺はもうしばらくは、石使う気はないし」
「うぃっす!俺に任せてください」
「うーん、藤田に任すんは、ちょっとな」
「なんですかそれ!」
 笑い合い、居酒屋の喧騒の渦に飲み込まれていく感覚を味わいながら、藤田は思った。
 俺は今晩のことをずっと忘れないだろう。事あるごとに思い出すんだ。…辛子入りシュークリームを見た時な
んか、特に。