ピン芸人 [1]


741 名前:ピン芸人@692 投稿日:04/10/01 20:18:18

長井秀和はぐったりと楽屋の壁にもたれていた。
―――一体いつまでこの生活が続くんだ…。
目の前の石は、そんな長井を嘲笑うかのようにギラギラと桃色の光を発している。
ゴツゴツとした形状。赤と白のマーブル模様。
常人の目から見れば美しいそれは、長井にしてみれば不気味な悪魔の石でしか無かった。

―――畜生!!
長井は乱暴に石を掴むと、その手を床にたたきつけた。
「…こんなもんに…ッ洗脳されてたまるか…!!」
振り絞るような声でそう叫ぶ。気がおかしくなりそうだった。
桃色の光はもはや熱気のように立ち上り、長井を飲み込まんばかりの勢いで渦を巻く。
長井の耳を、目を、五感の全てを光が奪っていった。
「…畜生…ッ!」
僅かに動く唇から漏れた言葉も掻き消されていく。
視界が真っ赤に染まっていく。やがて光も途切れ、長井も意識を手放した。



「劇団ひとり」こと川島省吾は大きくため息をついた。
今日は長井秀和と二人での収録の日だ。そのため長井と川島は、リハーサルの事も考慮して2時間前に
楽屋で落ち合う約束をしていたのだが、時間になってもまだ姿を表さない長井に川島は気を揉んでいた。
「…おっそいよー。何やってんだよあの人―。」
すねたような口調でそう言っても、ピン芸人である彼の言葉に答えてくれるような相方はいない。
寂しくもう一度ため息をつき、川島は横になっていた体を起こして携帯に手を伸ばす。
しかし電源が入っていないのか長井の携帯は留守電に切り替わっていた。
プツ。川島は携帯を放り出すと、畳の床にだらしなく転がった。
「なーんででねぇんだよー…」
長井が来るまで寝て待っていようかと目を閉じた瞬間、

コン、コンコン
ドアがノックされた。
「来た来た来た。」
何の警戒心も抱かずドアを開けると、なんだか寝起きのような表情の長井がそこに立っていた。
「おそいですよ長井さーん!…なんか顔色悪いじゃないですか。大丈夫ですか?」
「……」
低すぎるテンションで長井は小さく頷く。顔色が悪く、見た限り大丈夫そうには見えない。
とりあえずドアを閉めようと長井を部屋に促し、背を向けた。
その刹那、ガァンッ、という音とともに壁から僅かな振動が川島に伝わる。
慌てて振り返った川島の目に飛び込んで来たのは信じられない光景だった。

長井の腕が、深々と壁に突き刺さっていたのだ。
昔のアクション映画のセットのように壁はひび割れ、川島は一瞬これは夢なのかと思ってしまった。
だらりと上半身を垂れ、俯いているため顔色はうかがえないが
長井は笑っているらしい、独特の笑い声が漏れ、小刻みに肩が揺れていた。
「………長井…さん?」
呆然として長井に見入る川島。
だるそうにトロンと開いた目で川島を見据える長井。
「ひゃっはっはっははぁ!!」
突然体を大きく痙攣させると、長井は大口を開けて笑い始めた。大袈裟な音を立てて壁から長井の腕が外される。
哀れ壁には大きな穴が開いていたのだが、それを確認する余裕など川島には無かった。
次の瞬間には、手枷が外れた長井が猛スピードで体当たりを食らわしてきたからだ。
「…うッぇ…!!」
ガァンッ、と鉄製のドアが派手な音を立てる。思い切り叩きつけられ、川島は苦しそうにむせこんだ。
激しい痛みに体を震わせながら、川島は長井を見上げる。焦点の合わない虚ろな目が異様な光を発していた。
「なん…ッで…」
周りの状況が飲み込めない。
ただ、いつもとは明らかに違う長井の姿に川島は恐怖感を抱いた。