ピン芸人 [2]


787 名前:ピン芸人@692 ◆LlJv4hNCJI   投稿日:04/10/09 20:47:21

早く逃げ出さなくては。わかっているのに、腹から響く激痛がそれをさせてくれなかった。
そうこうしている間に、詰め寄ってきた長井の手が首に伸びてくる。
「…かわし…ま…」
不意に長井が口を開いた。

「川島…逃げ…」

しかしその言葉は最後まで聞き取られる事は無かった。
その声に覆いかぶさるようにして発せられた言葉が、川島の背筋を凍らせた。

「お前の石はどこだ?」

まるで地の底から響くような低くドスのきいた声。
突然の豹変に川島は悲鳴を上げそうになったが、首を強く絞められ大声が出ない。
ギラギラと光る目が川島を睨みつける。
「…い、石…っ……?」
「…とぼけるな。」
頭が霞み、耳鳴りがする。長井の指は、力も衰えず川島の首に巻きついているため逃げる事は不可能だ。
―――ああ、もうダメだ。
川島が死を覚悟して目を閉じた時、

「失礼致します。」

突然後ろから良く通る声が聞こえた。


「拙者、さすらいのギター侍・波田陽区と申します。長井秀和殿、お手合わせ願いたい。」



妙に堅苦しいその物言い、和服にギターという特徴的な出で立ちの小柄な体つき。
その男こそ、巷で話題のピン芸人、波田陽区その人であった。
ボロロン、ギターが小さく音を奏でる。
なぜ波田陽区がこんな所にいるのか。そんな事より、どう見ても頼りないこの男に今の長井が倒せるはずがない。
「逃げろ」と叫びたかった川島だが、キレた長井によって壁に叩きつけられ、それすらも出来なかった。
「ぐッ、ぅ…」
ゲホゲホゲホッ、首が解放された事により、急に送り込まれた大量の酸素に喉が詰まる。
「川島殿、下がられよ!」
突然そう叫ばれ、川島は反射的に身を引いた。見ると、波田がその小さな体で長井に挑もうとする所だった。
波田に向かって一直線に飛びかかってくる長井。それに対して波田はギターを盾にして身構えている。
まさかギターで戦うってのか?そんな馬鹿な。
しかしそのまさか。波田は「だぁッ!!」と叫ぶと、ギターを振り上げ長井の胸に強烈な一撃をお見舞いした。
もともと加速づいてしまった上、ヘッド部分が突き刺さったのだ。
長井の痛みは計り知れない。ダンッ、と床に倒れ込むと、胸を押さえてうずくまってしまった。
「今のうちに逃げまするぞ川島殿。」

ぐいっ、と腕を引っ張られて廊下へ引きずり出される。
「奥に使われていない部屋がありますのでそこへ…」
言われるままその楽屋へ飛び込み、しっかり鍵をかける。
途端に力が抜けて床にへたり込む川島。改めて、自分を助けてくれた目の前の男に深々と頭を下げた。
「…波田さん、ありがとうございます。」
波田は首を横に振り「気にしないでください。」とそう言って笑った。
その顔は控え室などで良くみかける、普段の波田の表情だった。口調も普段の口調に戻っている。
「俺、楽屋川島さんのいた部屋の隣だったんですよ。突然壁に穴が開いたから焦りましたよ。」
眉間にしわを刻み、波田は苦笑いを浮かべる。
「…何があったんだか…、長井さんがなんかおかしくなって…」
混乱し、そう問う川島に、波田は意外にあっさりとこう答えた。
「長井さん、拒否反応起こしてんですよ」
「…拒否反応?」
そう尋ねると、波田はちらりと川島を一瞥し、
「川島さんはまだ知らないんでしょうね。」とそう言った。
「石って、ご存知ですか?」
「石…」
「最近芸人の間で何者かによってバラまかれている、すごい魔力を秘めた石の事です。」
波田は、扉に寄り添うようにして座ると、ぽつりぽつりと話し出した。



「石を手にした人間は、石と共鳴することで特殊な能力を身につける事が出来ます。
 …しかし長井さんはそれを拒んだ。人格が失われてるのはその影響です。
 今、長井さんはあの体の中で必死で石に抵抗してるんですよ。」

長井はあの時、確かに「逃げろ」と言った。
あれは本物の長井の人格が自分の身を案じて必死に発した言葉だったのだ。
石に侵食されながらも、ただ自分のために。

「信じがたい話ですけど…」
波田は気を使っているのか、おずおずとそう言ったが、
「いや、信じますよ。…信じます。」
川島は力強い口調でそう返した。

「長井さんを助けることは出来ませんか?まさか、もうずっとあのままじゃ…」
その問いに対して、波田は懐から小さな石を取り出し川島の前にかざして見せる。
細い麻紐で括られ、ペンダントのように加工されたその石は、
うっすらミルク色で、薄暗い部屋の中でも独特の光沢を放っていた。
「これは俺の石です。俺の能力はちょっと変わってるんで…
 もしかしたら長井さんを助けられるかもしれない。」
波田はそう言うと、自分の首にそれをかけ、ギターをぐっと持ち直した。

「川島殿、扉を開けて頂けますか。長井殿が扉の向こうにおられる。」
「え…!」