ピン芸人 [3]


70 名前:ピン芸人@前692 ◆LlJv4hNCJI  投稿日:04/11/11 17:00:41

ゾッとして、ドアを見た。そんな気配は微塵もしない。
「川島殿と拙者を探しているのでしょう。拙者が合図したら扉を開けて頂きたい。」
静かにドアを見据える波田。
ピックを握る指が絃にかけられ、途端に空気がピリッと張り詰めたのがわかった。
俯いたまま流れるように指を動かし、波田はギターを鳴らす。
ギター侍お馴染みのあの曲だ。こんな時にネタ見せでもするんだろうか…。
川島の頭に一抹の不安がよぎり、どうしようかと思った瞬間、波田が叫んだ。
「今だ川島殿!!!」
一瞬呆けてしまったため反応は遅れたが、慌ててドアを開ける。
薄暗い部屋の中、ドアの隙間から漏れ出す桃色の光が川島の目を奪った。

「……!!!」
視界が開けてまず飛び込んだ光景に川島は声にならない声を上げる。
背筋が凍るような迫力。開け放たれたドアの向こうで、
真っ赤な目をギラギラ光らせた長井が自分たちを待ち構えていた。
「うぉおおおーーーーーーー!!!!」
長井は、目当ての獲物を見つけた獣のごとく、波田に飛び掛っていく。
「残念!!」
波田が叫んだのと同時、川島は振り返り、そして息を飲んだ。
そこに立っていたのは『ギター侍』では無かった。本物の『侍』の姿があった。
波田の腕の中にあったいかついギターはスラリと艶かしい刀に姿を変え、
その切っ先は真っ直ぐ長井を捕らえている。

長井の懐から、波田の首元から、眩い光が弾け飛ぶ。

「長井秀和…ッ!斬り!!」

勢い良く振り下ろされた刀は正確に長井の胸を貫いた。
長井の断末魔が部屋にこだまする。目を潰さんばかりの光の中、川島はよろめいてあとずさった。

光が消え、再び静まり返った楽屋内。川島は混乱する頭を抱えて短く息を吐いた。
斬りつけられ倒れ込んだ長井はぴくりともせず床に伏せ、
波田はぬらぬらと液体の光る刀を振り下ろしたままの姿勢で動かない。
川島は震える手足で長井に駆け寄り、その体を揺すった。足元に広がる血溜まりに波紋が起きる。
「…長井さん!まさか…死んでねぇよな!?長井さん!!」
「生きてますよ。」
振り返って見ると、波田が自分の体に似合わないいかついギターを肩からかけ直している所だった。
能力が切れたのだ。口調も戻っている。ふと見ると血溜まりも消えていた。
川島は長井を仰向けに起こしてみた。斬られたはずの傷も無くなっている。
ふと思い出し、川島は長井のスーツの内ポケットに手を突っ込むと、
さきほど光を発していたそれを引っ張り出した。
淡紅色に光るそれは、さっきの長井の瞳と同じ、毒々しい色をしていた。
「それが石です。俺が斬ったから、もう害は無いと思いますが。」
波田は、川島の手から石を取ると、首にかけた自分の石と照らし合わせ、
そしてそれをおもむろに懐へしまう。
「…どんな形であれ、石を使うとすごく体力消耗しちゃうんですよ。長井さん、今は気絶…して…」
ぐらり…ッ、
そこまで言った時、波田は突然支えを失ったかのように後ろに倒れ込んでしまった。
「え!波田さん、おーい!」
慌てて揺すぶっても反応は無い。
そのうち、すぅすぅ、と規則正しい寝息が聞こえ出した。どうやら眠ってしまったようだ。
思わず安堵のため息をつきそうになる川島だったが。



「か、川島さん、何があったんですか…?」
突然上から降ってきた声にハッとして顔を上げると、開け放たれたドアの前に野次馬が殺到していた。
好奇の眼差しが川島に、そして倒れている二人に注がれている。
「二人、ケンカでもしたんですか?なんだか最近みんなピリピリしてますし…。」
後輩の若手が青い顔をしてそう問いかけてきたので、川島は苦笑いを浮かべて言う。
「違う違う、ちょっとネタ見せしてたらさー、テンション上がっちゃって…」
嘘の得意な川島だが、とっさの状況では上手く舌も回らない。苦しい言い訳に冷や汗が浮かぶ。
「誰か呼んで来ましょうか?救急車…!」
別の若手がそう言う。なるべくなら事を荒げたくは無い。
「いいって!大丈夫だって!ほらみんな早く戻って戻って…」
大声でそう言う川島の頬に、不意に大粒の涙が伝った。
突然の出来事に、野次馬は息を飲み、騒がしかった廊下は水を打ったように静かになった。
―――あれ、俺こんなに涙腺弱いっけ?
実際一番驚いていたのは川島本人だ。
グイッ、と袖で拭ってはみるが、涙は止まる様子も無い。
目頭が熱くなり、喉が焼けるように痛い。発する声も歪んでいく。
「…大丈夫だって…、言ってんじゃないかぁ…!みんな早く戻れよ…!」
ここまで苦しいのに嘘泣きなわけがなかったが、マジ泣きにしては実感が無い。
俯いてがむしゃらに涙を拭う。すると突然、ザァと目の前から人の波が引いていく気配がした。
顔を上げて見ると、野次馬たちは皆虚ろな眼差しで、各自の部屋または廊下の奥へと退散していく所だった。
やがて廊下から人影は完全に消え、川島はわけがわからず首をかしげる。
そんな川島の後方、気絶している波田の懐の中で、
藍色の光が今まさに消えようとしている事など、川島は知る由も無かった。

涙はもう、止まっていた。


それから30分後、目覚めたのは波田の方が先だった。
ガバッ!と飛び上がる勢いで上半身を起こした波田に、川島は「おわぁ!」と驚きの声を上げる。
「おっどろいた…。大丈夫ですか波田さん。」
そう尋ねると、波田はきょろきょろと辺りを見回して納得したようにため息をついた。
「…すみません、ご迷惑をおかけしました。俺の能力のリスクは、使った後に猛烈に眠くなる事なんです。」
眉間にしわを寄せて不機嫌そうに長井を見る。
「長井さんはまだ起きないんですか。まぁいつかは起きると思いますけど…」
「あ、あの、」
そんな波田の言葉を途中で止め、割り込み入る。どうしても聞きたい事があった。
「波田さんの能力って、あれなんなんですか…?」
刀。血。斬りつけられたのに傷一つ無い長井。あれの全てが波田の能力なのだろうか?
「…俺も良くわかんないんですけど、多分相手の悪い部分を斬りおとす事が出来るんだと思います。」
首から胸にかけて下がる半透明なその石を、波田は目を細めて眺めた。
「良い石ですよ。長井さんの石とは違ってね。…まぁ、だからこそ長井さんは石に抵抗したんですけど。
 恐ろしい精神力ですよ。並の人間じゃ出来ない事です。」
呆れたようにして首をすくめると、波田は小さく笑って見せる。
あまりに現実離れした話についていけない。混乱する頭で問う。
「長井さんに、波田さんに、…他にもまだいるんですよね。石を持ってる人。」
波田は小さく頷いた。
「俺も何人かは知ってますし、かなりいると思います。ただ…魔力を封じ込めた石です。
 欲に目が眩んだ人間も、俺は何人か知ってますよ。そういう人間はまず他の芸人の石を奪おうとします。
 …用心してください。お二人とも、これからはいつ襲われるかわかりませんから。」
しっかり川島の目を見据え、真剣な口調でそういう波田の台詞には真実味があった。重苦しい空気が部屋を包む。
「…でも、俺たちは石を持っていない。」
押し殺したような声でそう言うと、波田は小さく首を振った。
「長井さんは、遅かれ早かれいつかは石を手に入れてしまうと思いますよ。
 こんな良い人材あまりいませんから。それと…、」
波田はそこで一度区切ると、懐から小さな巾着袋を取り出した。

口を開けて逆さにする。じゃらっ、と音がして、キラキラと光る石がいくつも床に散らばった。
一つ一つに不気味で妖しい魅力があり、川島はそのあまりの美しさに息を飲んだ。
キラキラ眩い石の中。そこには、さきほど長井を苦しめていた桃色の石もある。
波田は、その中から真っ黒で角ばった石を一つ選ぶと、それを摘み上げ川島に突きつけた。
「川島さんの石は、ここにあります。」
呆然と、目の前に差し出されたその石を見上げる。波田が何を言ってるのか川島はすぐには理解が出来なかった。
なかなか受け取らない川島に業を煮やしたのか、波田は無理やり川島の手を開かせると石を握らせた。
その途端、黒い石の中から透き通った青色の光があふれ出す。
「…ほら、やっぱり。これであなたも石の持ち主ですよ。」
波田は楽しそうにそう言うと、散らばった石を巾着へ戻し始めた。
手の上の黒い粒を見つめながら川島は小さな声で言った。
「波田さん、こんなにたくさん、石どうしたんすか。」
波田は答えない。無言のまま作業を続けている。

「…波田さんが、石をバラまいてんですか…?」

川島のその言葉にぴたりと手を止めると、波田は小さく首を横に振った。
「違いますよ。俺じゃありません。俺はただ、石を回収しているだけです。」
「石を…回収?」
最後の一つを丁寧に石を袋に詰め込みながら、俯いて波田は言った。
「…さっき言いましたけど、石を持った芸人の中にはね、悪用する人間もいれば、
 石を封印しようとする人間もいるらしいんです。
 でも俺はそれはもったいないと思うんですよ。
 …俺は悪用するほどずる賢くは無いし、封印するほどの勇気も無いですから。」
じゃり。小石が袋の中で音を立てる。
「…善にも悪にも興味は無いんです。俺は全部の石の能力が知りたいんです。それも、すごく強力なやつを。
 どうもこの石は、笑いの才能がある人間ほど強い力を授けてくれるようです。
 才能の無い芸人に渡った石を回収し、才能のある芸人に渡す。それが俺の今の生きがいなんですよ。」



淡々とそう話す波田の表情は虚ろで、何を考えているかはうかがえない。
「川島さんがどんな能力を持っているのか、期待しています。」
巾着袋を再び懐へ戻し、波田は立ち上がった。その足はドアの方へ向かっている。
「波田さん!」
黒い結晶を握りしめたまま、川島は叫んだ。
「俺はこんな石、いらない。長井さんも巻き込ませたくない。あんたのやってる事は…おかしい。」
顔を上げて波田を見上げる。背中を向けているため表情まではわからない。が、

「…何言ってんですか。…もう遅いですよ。」

波田は薄っすらと笑っているようだった。
ざりっ、と草鞋が床をこすり、足早に部屋を立ち去る波田の背中を、川島は無言で見送った。
何も言う事が出来なかった。
彼は何を考えているんだろうか。善にも悪にも興味は無いと言ったが、果たして本当だろうか。
キラキラと光り輝く黒い石を見つめる。魔力を含むと言われるその石は皮肉にも美しかった。
こんなちっぽけな石コロなんかに今芸人たちが踊らされていると思うと憎くて仕方が無くなる。
川島は石を握り締めたままの拳を思い切り床にたたきつけた。

こんな石を世に出回してはいけない。
きっと何か恐ろしい事が起きる。もしかしたら、もう始まっているのかもしれないが―――

「石を封印している人たち…」
その人達に会わなくては。
川島はそう決心し、長井の目覚めるのを待った。


※◆cLGv3nh2eAさん「劇団ひとり短編」/◆8Y4t9xw7Nwさん「毒舌家達の憂鬱」に続きます。
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