Snow&Dark 第一章〜ふぶきのよかん〜

744 : ◆8Y4t9xw7Nw :2005/07/26(火) 01:06:12

時間が流れるのは早いとよく言うけれど、ここ最近の自分の周りは特にそうだった気がする。
冬の始まりがつい先日のように思い出せるのに、もう寒さの一番厳しい時期だ。
木々はすっかり葉を落とし、細い枝先を冷たい風に晒している。
年が明けて一月余り経ち――つい先日山崎の誕生日が過ぎたばかりだ――すっかり普段に戻った街並を、山崎は楽屋の窓からほんやりと眺めていた。
昨年末の一大イベントで上位に喰い込んで以来、大阪での仕事だけでなく東京での仕事も大幅に増えている。
それは勿論喜ばしい事なのだが、急に――仕事だけが原因ではなく――慌しくなった日々には大きな戸惑いを感じていた。
抗えない大きな流れに流されていく事に、柄にもなく焦りと苛立ちが募っていく。
「…………」
楽屋には、先程から長い沈黙が訪れていた。
普段なら山里が喋り掛けてきたりするのだが、今日は手元の雑誌に視線を落としたまま何も言わない。
最近不意に流れるようになった沈黙の時間。ほんの微かに感じる、違和感。
延々と沈黙ばかりが続く楽屋は余り居心地が良いとは言えないのだが、かといってこちらから沈黙を破るのも憚られた。
チラリと壁掛け時計を見てみると本番まではまだ時間がある。
何となくじっとしているのが辛くなった山崎は、零れ掛けた溜息を押し込めるようにわざと音を立てて椅子から立ち上がった。
そのまま部屋から出ようとして、無言のまま出て行くのは悪いと思い振り返る。
「……ちょぉ出掛けてくるわ」
「行ってらっしゃ〜い」
山里は振り返らず頭の横でひらひらと右手を振った。
どこか気障ったらしくも見えるその仕草は、いかにも彼らしい――とも思えるのだが。

――刺さって抜けない棘のように、何かが引っ掛かっている――


――カツン。

厚めの靴底が、少し大きい足音を立てる。
他の出演者たちはそれぞれ楽屋で寛いでいるのか、広い廊下には人通りがほとんどない。
のんびりとした足取りで数メートル程歩いた山崎は、ふと立ち止まると押し込めていた深い溜息を零し、俯いた。
(……右を向いても左を向いても諍いだらけ、ってのがこんなに辛いとは思わんかったわ)
ここ最近芸人の間で繰り広げられている、異能の力を持つ石を巡る争い。
『白』や『黒』に大した興味はないのに、周りが放っておいてはくれない。
石を狙う『黒』の人間に襲われた事も何度かあるし、他の芸人が争っているところに遭遇した事もある。
興味がないからといって、どちらにも付かない今の自分達が宙ぶらりんのとても不安定な状態である事を理解していないわけではないけれど――『白』や『黒』、そしてそもそもの原因である『石』に関する知識が足りない状態でどちらに付くか決める 事も、余りに危険な賭けとしか思えなかった――いや、それは言い訳にすぎないのかもしれない。巻き込まれたくないから、自分たちのペースを乱されたくないから、逃げているだけなのかもしれない。

――でも、もう少しだけ。もう少しだけでいい、このままで居る事を許して欲しい。

そう誰にともなく許しを請うたあと、ふと随分長い間立ち止まっていた事に気付いて、山崎は顔を上げた。
何かを振り払うようにゆるゆると頭を振って、再び歩き出す。
(……まだまだ全快には程遠いな……)
今日は朝からそうなのだが、時折薄い靄が掛かったように思考力が鈍る事があった。
気を抜くと、ぼんやりしてしまったり取り留めのない考えに浸ってしまう。
理性を失って暴走する程ではないが、限界まで石の力を使った副作用だ。
無意識に、首に巻いたスカーフ――正確に言うと、その内側にあるペンダントのチェーン――に触れ、その存在を確かめる。
この短い期間で、すっかり癖になってしまった仕草。
天使の翼を模したペンダントヘッドの中央には、赤味がかった褐色の石が填まっている。
嘘のような話だが、ファイアアゲートという名前の高価なものらしいこの石――その時はまだ流線型にカットされただけの加工前のものだった――は、偶然拾った財布を交番に届けた時、 偶然その交番に来ていた持ち主がその場でお礼にとくれたものだった。
遠慮したにも関わらず半ば強引に渡され、仕方なく受け取った石だったが――この石が自分に与えた力を思えば、もしかしたらそれは必然と呼べるものだったのかもしれない。
(普通の宝石やった方が、まだ素直に喜べたかもしれんのにな……)
光を当てると水の波紋のような文様が浮かび虹色に煌く美しい石は、自分の心の中にあったちょっとした願望を叶えてくれる能力を持っている。
ただそれだけなら、自分は得体の知れない力を気味悪がりつつも大いに喜んだだろう。
だが、望まぬ争いに巻き込まれた今は傍迷惑だという思いの方が強かった。

エレベーターホールに着きパネルの表示を見てみると、二機のエレベーターは二つとも一階に停まっている。
数秒考え込んだあと、山崎はエレベーターで降りる事を諦め階段の方へと向かう事にした。
このままエレベーターを待つより階段で目的の階まで降りた方が早いだろう、という判断もあったが、それ以上に、軽い運動でもして少しでも苛立ちと頭に掛かる靄を晴らしたかった。
自分の中だけで抑え切る自信がないわけではないが、万が一相方に八つ当たりして本気で怪我でもさせてしまったら洒落にならない。
そう考えながら廊下から階段の踊り場に足を踏み入れ、一段目に足を踏み出そうとした、その瞬間。

――トン。

不意に背中に感じた、誰かの手の感触と軽い衝撃。
ぐらりと身体が前に傾ぎ、踏み出した足が空を切った。
「っ!」
慌てて手摺りを掴もうとしたが、間に合わない。
咄嗟に石の力を発動させた山崎は段に右手を突き、その腕を軸にくるりと一回転して着地した。
だが充分に勢いを殺し切れず前にのめり、そのまま最後の三段程を滑り落ちる。
小さく、鈍い音がした。
「いった……」
「だ、大丈夫ですか!?」
滑り落ちたところにちょうと通りかかったスタッフが、慌てて駆け寄ってくる。
一瞬ギクリとするが、一回転して着地した時点ではまだこのスタッフの姿は見えていなかったようだから、石の力を使った場面はギリギリで目撃されていないはずだ。
そこまで考えを廻らせると、まだ充分に回復していない状態で能力を使ったせいだろう、ほんの少し気が抜けた途端頭に掛かった靄が密度を増した。
滑り落ちた際に強打した右の膝を押さえながらも、心配そうな視線を向けてくるスタッフにとりあえずは大丈夫だと答える。
思考が曖昧さを増す中、山崎はどこかで不穏な予感を感じ取っていた。

――やがて吹き荒れる、強い吹雪の予感を。
 [南海キャンディーズ 能力]