Snow&Dark 幕間〜夢〜

29 :◆8Y4t9xw7Nw :2006/08/29(火) 17:14:10

――誰だって自分の無力さを知りたくはない、のに。

耳を叩く微かな風の音に、山里は重い瞼を開いた。
薄暗い白に染まった視界に一瞬混乱した後、
自分が雪の中に半分埋もれているのだと気付く。
随分と長い間倒れたままだったのか、冷たさも痛みも通り越し、
痺れたような感覚が全身を支配していた。
身体は鉛のように重く、起き上がる気力さえ湧かない。
寒さのせいなのか、頭の回転も酷く鈍かった。
ここがどこなのか、自分が何をしていたのか思い出そうとするのだが、
自分自身でも苛々してくる程に何も浮かばない――
まるで、頭の中までこの重苦しい白に、塗り潰されたような。
ただ朧げに、ここに来た覚えがあるという事だけを思い出す。
記憶を辿る事を早々と放棄した山里は、視界を覆う白から
少しでも逃れようと、ほとんど感覚のない右手を
のろのろと動かし、レンズに張り付いた雪片を払う。
だが、目に映る風景は少しも変わらなかった。
恐らく夜なのだろう、辺りが酷く薄暗い中、微かな光を反射して
鈍く光る、一面の白。
(――――)
なぜだか、ぞわりと背筋を悪寒が伝った。酷い圧迫感を感じ、
冷え固まった足や腕を半ば無理矢理動かして、身体を丸める。
遠慮なく心の奥に踏み込まれる事に比べれば、一人で居る事の方が
ずっと楽なタイプだと、そう思っていたけれど――この場所は。
誰も居ない。何もない。ただ、ひたすらに、白いだけの空間。
どうして恐れるのだろう。そんな必要は、ないはずだ。
この場所を、望んだのは自分自身なのだから。
――あぁ、そうだ。望んだのは自分だ。
空白に近い記憶の中に、それだけが余りに唐突に浮かび上がった。
けれどその不自然さには気付かずに、山里はぼんやりと考えを巡らしていく。

全てから逃げ出したくて。そう思う自分自身が酷く嫌で。
いっその事全て閉じ込めて、凍らせてしまえば。
――傷付かずに済む、ような気がして。

白い粉雪は音もなく、腕に、足に、頬に降り積もっていく。
ほんの少しの蟠りが、まだ残っていた。
けれど、自分を埋めようとする雪に抗おうという気は起きない。
もう、疲れた。
『――――!』
不意に、ノイズのように続いていた風の音が薄れ、代わりに耳に届いた
微かな声に、山里は閉じ掛けていた瞼を再び開いた。
何を言っているのかまでは、聞き取れない。けれど、呼ばれているような気がした。
聞き覚えがある。この声を、確かに自分は知っている。
ちらちらと脳裏を掠める、ぼんやりとしたイメージ。
誰かの首元、ひらひらと揺れている、あれは――。
「…………」
無意識に口に出そうとした言葉が、喉に詰まる。
なぜだろう、今まで何度もこの言葉を叫び掛けたような気がする。
――言ってはいけない。決して言ってはいけない。
その言葉だけは。己の弱さを認めるような、そんな言葉は。
既視感に似た感覚と同時に、理由もなくそんな思いが湧き上がる。
けれど、浮かび上がった言葉はそれ以上の強さで心を占めていく。
ぼんやりとしていたイメージを、やっと捉える事が出来た。
首元で揺れるスカーフを押さえて、空から舞い降りてくる鳥に、手を差し伸べているのは。

「…………しず……ちゃ…………」
――言ってはいけない。言っては――。
「…………た、す……け…………て…………」
再び聞こえ始めた風の音に掻き消されながらも、今度ははっきりと届いた。
自分を呼ぶ、声。

『――山ちゃん!』

その瞬間――何かが軋んで割れるような微かな音が、聞こえた。

あぁ――この場所には、もう、来ない。