竹山短編

599 : ◆PUfWk5Q3u6 :2006/05/26(金) 17:13:07

 真夜中の闇の空間に、一筋の亀裂が走っていた。
 ――目の前に現れた男について竹山は考える。
 仲間、だったはずだ。
 同じようなポジションにいて。
 同じ先輩を慕っていて。
 番組で共演した時は、二人で協力して場を盛り上げた事さえある。
 しかし今、緑色のゲートの向こうから現れた彼は。
 左手に宿る黒い光を、まるで見せつけているようで。
「……土田、さん」
 その名を呟いた声は、微かに震えている。
 対する土田は、まるでテレビ局の廊下で擦れ違ったかのような気安さで、片手を挙げて「よう」と言った。
 しかし彼の出現は偶然ではあり得ない。何故なら彼は、石の力を使ったのだから。
 竹山は挨拶を返さず、ただ、短く問う。
「どういう事……ですか」
「どういう、って?」
 土田は口角を僅かに持ち上げ、笑みを作って答える。
「理由を訊かれても困るよ。……黒だから、じゃ駄目なの?」
 竹山は息を呑む。脳裏に蘇るのは、黒の欠片に憎しみを増幅させられ、自分に襲い掛かってきた相方の姿。
 “黒”は土田まで巻き込んだのか――その思いは怒りとなり、胸元の石が熱を帯び始める。
 止めなくては、と思う。それは、彼と近しい自分の役目なのだと。

 眼前に出現した炎が、夜の闇を紅く切り裂きながら土田へと飛ぶ。しかしその炎が体を焦がす前に、土田は自らの作り出したゲートの向こうへと消えた。目標を失った炎が、空間へと拡散する。
「どこやっ!」
 焦りで思わず敬語を忘れ、竹山は叫ぶ。
 答える声は、背後から聞こえた。
「――こういう何もない空間には、その力は向いてないよね」
 振り返っても土田の姿は見えない。ただ、闇の向こうから、少しずつ近付く足音がする。
「かといって狭い場所で使うのも危険だ。炎が燃え広がったりしたら、敵どころか自分まで、命を失う危険性がある」
 ゆったりとした足取りで迫る土田。僅かな石の光に照らされたその姿は、まるで闇から浮かび上がるかのように見えた。
「ルビーが本来の力を発揮するには、サファイアの補助が不可欠なんだ。でも、そのサファイアの使い手は今はいない。という事は――この状況で狙われたら、竹山君は圧倒的に不利って事だ」
 こつ、と最後の足音を響かせて、土田は竹山から三歩の距離で足を止める。
「黒に入らないかい、竹山君」
 笑みを浮かべたまま、土田は言った。そして拒絶の暇すら与えずに続ける。
「なにも竹山君一人のためにそう言ってるんじゃない。俺は、この石を巡る争いを止めるために言ってるんだ」
 訝しむ表情の竹山。しかし土田は、そうなる事を予測して台詞を用意している。
「“白”と“黒”っていう二つの勢力があって、しかもその二つは、ほぼ均衡している――だから戦いが起こってるんだ、とは思わない?」
 竹山は答えなかった。満足そうにひとつ頷いて、土田は続ける。
「ここで強力な石を持った竹山君が黒に入る。するとこのバランスは大きく黒に傾く。黒が有利と見て、白を離れて黒に入る芸人もいるだろう。そうすれば更に黒の勢力が大きくなる。同じ事が続いていけば――ほら、戦う事なく争いが収まるじゃないか」

 竹山は、どこか力のない視線で土田を見詰めていた。ややあって、普段の彼らしくもない掠れた口調で呟く。
「全ての芸人が……黒に?」
「そう」
「皆、あの黒い欠片を植えつけられるって事ですか?」
「そうなるだろうね」
 土田は当然のように言い切った。あの黒い欠片がどのような影響を及ぼすか、知らないはずがないのに――その表情には、迷いも恐れも見えない。
 竹山は目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。この石を手に入れてから起こった様々な出来事――仲間だった者や敵だった者、それから何より大切な相方の事を思う。
 しばらくして竹山は顔を上げた。その視線はある決意を込めて、土田を見据えている。
「俺は……黒の力が、許せん」
 別段驚いた様子もなく、土田は視線を返す。
「中島を苦しめたあの欠片が許せん……」
 怒りに呼応して、ルビーが眩い光を放った。迷いを振り切るように握り締めた拳を、炎の熱が覆っていく。
「土田さんにそんな事言わす、黒の欠片が許せないんや!」
 竹山は地面を蹴り、拳を振り上げた。ゲートが開いてから閉じるまで、数瞬のタイムラグがある。そこに一撃を捻じ込むのは、不可能ではないはずだ。
 対する土田は――動かない。ただ、シルバーリングをはめた左の拳を、竹山の拳に合わせるように持ち上げただけだ。
 二つの拳が激突する。硬い衝撃と共に、火の粉が飛び散り空気を焦がした。
 立ち込めた熱気を、風がゆっくりと吹き散らしていく。竹山は、戸惑いの表情で土田を見ながら拳を下ろし――そして目を見開いた。

「残念だけど――ルビーの力でも、浄化は無理だよ」
 土田の左手に輝くブラックオパール。その黒い光に衰えはない。
「そもそも俺は操られているんじゃない。協力してるんだ、自らの意志で」
 その言葉に同意するかのように、ブラックオパールは小さく瞬いた。それがまるで闇に潜む魔物の眼のように見えて、竹山は怯んだように一歩後退する。
 しかし土田は、竹山を追撃せずに拳を解いた。
「だから“俺の意志”で、今日の所は矛を納めておく。別に倒しに来た訳じゃないからね」
 土田は左手を、ちら、と一瞥して下ろす。その視線を追った竹山が小さく声を上げた。ブラックオパールには全く通用しなかった竹山の炎だが、生身である土田の拳には、はっきりと火傷の痕を残していた。
 敵であるはずの自分を気遣うような竹山の表情に、土田は苦笑する。 
「俺の心配はいらないよ、いざとなったら回復の能力者に頼むから。それより、自分の心配したら?」
 強すぎる己の力によって、竹山もまた火傷を負っていた。余り戦闘向きの能力ではない土田との戦いですらこうなのだ。弱点を突かれたり、不利な状況での戦いとなれば、このダメージは少なからず響く事になるだろう。
「これは警告だよ。その内黒の組織としても、本気でルビーを狙ってくるだろうからね」
 土田は個人的な理由としても、非常にルビーの力を欲しているのだけど、それは口には出さない。出来れば竹山に、自身で黒に入る事を決めて欲しいと思っているからだ。
 “土田の意志”は、今でも派閥とは関係なく、竹山を仲間だと思っている。だから、無理強いはしたくない。
「じゃあ……お大事に」
 土田は再び片手を挙げて、軽い別れの言葉を告げる。同時に土田の背後の空間が裂け、赤色のゲートが出現する。
「今度会うときは、味方になっている事を願っておくよ」 
 最後まで飄々とした笑みを崩さないまま、土田はゲートの向こう側へと去っていった。

 竹山は暫くの間、呆然と土田の消えた空間を見詰めていた。信じられない、という思いが頭の中に渦巻いていて、思考がそこから先へと進まない。
 しかし一方で、全て事実なのだと認めている自分もいる。あの石を手に入れた時から、緩やかに変化してきた日常の、これが一つの到達点なのだろう。
 何もない所では無力な火種も、一度火薬庫の中に放り込めば、たちまち全てを焼き尽くす炎となる。そう――火種を落とした者すら巻き込む程の。
 浅い痛みを発し続ける右手を左手でそっと覆いながら、何かで冷やさなくてはな、と思う。
 彼の中の火種を消してくれるはずの中島は、しかし今、彼の隣にはいないのだった。

 [カンニング 能力]
 [土田晃之 能力]