トラスト・ミー [5]


39 :歌唄い ◆sOE8MwuFMg :2005/07/31(日) 15:53:29 

田村の額から、ほんの少しだけではあるが、うっすらと血が滲んでいる。
鞄をひっくり返し、バンソウコウを取り出すと、その額にぺたっと貼り付けてやった。
「わっ、タンコブ出来てる。……吉田は変な所で乱暴やなー!」
吉田達がちゃんと待ってくれているのかを確かめるのを兼ねて、
聞こえよがしに駐車場の外へ向けてわざとらしく叫んでみると、少しして、
「陣内さんに言われたくないです」と小さく返事が返ってきた。
ああ。いるいる。意外と律儀なんや。
怒っているのかすら分からない吉田の口調に苦笑いを浮かべ、立ち上がる。
石を見ると、また黒さが増していたのが分かった。
汚い色、と呟き握りしめる。自分の石ながら、なんだか気味が悪くなりポケットの中に乱暴に突っ込んだ。
そして近くに停めてあった自転車のサドルに腰掛け、田村に視線を移した。

「よっしゃ!じゃあ、頑張ってな。俺の“タムラロボRX”!」
「「ださっ」」
馬鹿馬鹿しすぎるそのネーミングセンスに、ベンチに座ったまま思わず吉田と阿部の突っ込みが入った。
意識を失ってしまった人間は、動かない人形と同じだ。
陣内の言う、随分と高性能な“おもちゃ”と化してしまった田村の目が人形のごとく、ぱちっと開いた。
陣内は相変わらず、世間に『癒される』と評される、作り笑顔でない自然な笑みを浮かべていた。

「…眠た…」
ガタゴトと危なげに揺れる古いエレベーターの中で、川島は壁に背を預けていた。
手にはコーヒーやジュースやらが入ったビニール袋を提げている。
エレベーターの振動が心地よく、目をつむった。
(そういえば、あのときも…。)
あの時。田村の力が覚醒したとき、二人で一緒に戦ったとき。妙に心地よかった。
少なくとも独りで戦っていた頃よりずっと良い。この感じはきっと、…安心感だったと思う。
“光”の田村と“影”の川島。能力を上手く使えば無敵になれるかもしれない。
「これからは…二人で戦うのも、悪ないかな」



エレベーターが開くと、そこには先ほどまで考えていた人物が居た。
「ぅわっ…え、田村?」
ドアのすぐ近くに、長身の相方が立っていた。
どこか様子がおかしい。話しかけても返事をしない。
うつむいた顔をのぞき込もうと足を踏み出すと、どん、と突き飛ばされエレベーターの壁に背中が当たった。
チキチキチキ…と何処かで聞いたような嫌な音がした。田村の右手には、カッターが握られている。
「……っ!」
川島は目を見開いて息を飲んだ。手に握られているカッターの刃が電球に反射して妖しく光る。悪寒が身体を走った。
突然、田村が顔を上げ、川島向けて突進してきた。狭いエレベーターのなか、ましてや壁際にいては逃げる術がない。
バンッ!―――顔の真横に片手を付かれ、いよいよ身動きが取れなくなる。
そのままの勢いでカッターをもった手を振りかぶり、川島の顔を一突きにする要領で振り下ろした。


ばきんっ。と壁にぶち当たったカッターは根本から折れ、床に落ちた。
田村の目の前に、川島の姿は無い。


(んっ?)
柱の影でこそこそと隠れて様子を見ていた陣内が眉をしかめた。
「はあっ、はあ…」
田村の背後に伸びた影から川島が現れた。カッターが振り下ろされる瞬間、
自分に覆い被さる田村の影を利用し、影の中を通り抜けていったのだ。
田村は振り向きざまに再びカッターの刃を出すと、ゆっくりと川島の方へ歩き出した。
閉まり掛けたドアに身体を挟まれるも、肘を広げて無理矢理こじ開ける。
田村が襲ってきた事が理解出来ないのか、川島は腰が抜けたように座り込み呆然肩で息をしている。
(ははっ、これで終いや!)
陣内は小憎たらしい笑顔で小さくガッツポーズをする。
田村のカッターが再び川島に向け振り下ろされた。
―――ぶしっ、という音を立てて、田村の服に液体が散った。
惨劇を見ないように顔を背け、耳を塞いでいた陣内は、こっそり柱から顔をのぞかせてみた。
可哀相な川島。まさか相方に殺されるなんて、思っても見なかったやろうなぁ!あはははっ!

「あ…あっぶな〜……」
――――はっ…?
口を開いたのは、川島だった。その手には、盾に使ったコーヒーの缶。
それにカッターの刃が突き刺さり、そこからコーヒーがぽたぽたと滴り落ちる。
歯を食いしばり、缶ごと田村の身体を押しかえすと、カッターは缶から抜け、田村は二、三歩後退した。
慌てて座り込んだ体制のまま手足をばたつかせズリズリと後ろに後退し、
じっと田村に目線を合わせたまま手探りで掴む所を探し、指先に触れたパイプを掴んでゆっくりと立ち上がった。

川島はあることを思い出した。昨晩、陣内が呟いた「酷い目に遇わす」という台詞。
まさか、石の力で相方を操って襲わせるなんて器用な真似が出来るとは考えもしなかった。
何て外道な……いや、それよりも、「光」という、陣内の石の効果を掻き消す力を持っていながら
簡単に操られてしまっている間抜けな相方の姿に、川島の怒りのボルテージは上がっていった。
仕方ない。この川島様が目を覚まさしてやる。

(ほんっっっまに!殺しても死なへんなぁあの男!!)
陣内の黒目がちな大きな瞳がギラリと光るとそれに同調するように何も映さなかった田村の虚ろな瞳の奥が光った。
(これでも、くらえ!!)
瞬間、田村の身体が強い力に引っ張られるかのように川島の方へ向けられた。
その距離は一気に縮まったが、川島は逃げなかった。きっ、と目の前に迫った田村を持ち前の鋭い眼孔で睨みつけると、
左手に持っていた缶を田村の顔に向け、プルトップを開けた。

ブシュウウウウ…
缶からこれでもかという位の勢いで中身が飛び出し、相手の顔面にクリーンヒットする。
「っぶはぁっ!?」
現実に引き戻され、叫び声を上げた。
振り上げた手から力が抜け、カッターが堅い床に落ちた。
突っ立ったまま、濡れた顔を犬のようにぶるぶると振る。
何があったか分からずぱちくり開いた目には既に虚ろさは無く、いつもの輝きを取り戻していた。
「え…えーと…何?」
眼前30Bまでに迫った相方の恐ろしい形相を見て、機嫌を伺うように尋ねた。
途端、カコンっ、と軽い音を立てて田村の頭に空き缶が投げつけられた。
綺麗に跳ね返ったそれはコンクリートの地面に落ち、数メートル転がった後壁にぶつかりやっと停止する。
缶のラベルには“炭酸飲料”の文字が。
「痛〜…つか、かゆい…」
「お前の名前は?俺は?仕事は何や?」
「…田村裕…で、川島明。…漫才師」
「おう、目ぇ醒めた?」
「……醒めた」
ごめん。とジュースのせいでべとべとになってしまった髪をいじりながらも、ぺこりと川島に頭を下げる。

「死ぬかと思った。今度こんな事あったら、もう相方やって認めんからな」
「ご、ごめんて!気ぃ付けるから許してや!」
「分かったから触んな!そこジュースをなすりつけない!」
すっかり糖臭くなった田村の上着を無理矢理脱がせ、鞄から取り出したタオルを投げつけた。
「あのな、川島、気絶する前…俺見たんや。陣内さんが…」
いつになく真剣な表情で、タオルで顔を拭きながら言葉を噤む。
「分かっとる。俺も感づいてた所や…」
言い終わらないうちに、ぱたぱたぱた…と後ろで逃げるような足音が聞こえた。
「ああ!やっぱ隠れてたんか!」
「もう追っても無駄やろうな…諦めろ。」
――どさっ
「…あ、こけた」
「まあとりあえず…陣内さん、大丈夫すかー?」
何処に居るのか分からないが、遠くで陣内の声がした。
「うるさい!!黙れ、悪者め―っ!!」
「「……“悪者”?」」
田村と川島は、互いに顔を見合わせて、首をかしげた。陣内が襲ってきたのは、個人的な恨みだけではなかったのか?



勢いよく自分たちの前を通り過ぎた陣内に、吉田は声を掛けた。
「陣内さーん、どうしたんですか?」
急にブレーキをかけ、前につんのめりながらも踏ん張って体制を戻し、ぐるっと振り返り陣内は叫んだ。
「もーっ!!また負けたぁ!転んだし!もう痛い!」
「負けたんだってさ」
「あー、そういうこと」
吉田と阿部が何かぼそぼそと短い会話をすると、吉田がゆっくり歩み寄ってきた。
手には小さな小瓶が握られている。その中には、あの黒い破片。
眩しいくらいの月明かりも反射しない、何も映さない、奇妙なカケラだった。
「これ、残り全部あげます。今度こそ成功すると…いいですね」
そう言って、陣内の手にぎゅっと握らせる。

「いいんか?」
「もちろん」
「……」
「いらないんですか?」
「えっ、いや、いる。サンキュー」
「どういたしまして」


陣内と別れ、吉田と阿部も細い路地を歩いていた。
「吉田も悪だね」阿部が独り言のように会話を切り出す。
「そっ、ありがと」
「悪っていえば…聞こえた?陣内さんが叫んでた声」
「“黙れ悪者め”ってやつ?」
吉田の足が止まる。それに気付いて阿部も振り返った。
「うん。完全に俺たちの言ったこと信じてるっぽかったね、何かかわいそ…」
「可哀相なんて言うなよ。まるで俺らが嘘吐いたみたいじゃん。
実際黒のユニットにとって麒麟の二人は“悪者”になるわけだし」
吉田のその言葉に、恨めしそうなジト目を向ける阿部。
吉田はただ、阿部の顔を見ないようにそっぽを向いて、その視線に気付かないふりをするばかりであった。
「陣内さんは…あの人はもう駄目だ。見ただろ、あの石。暴走し始めるのも時間の問題だ」

空を見た。綺麗な月は厚い雲に覆われ、今にも消えてしまいそうだった。
悪い予感がする。明日、何か起こる。そんな気がした。