トラスト・ミー [7]

394 :歌唄い ◆4.Or.2D2Hw :2005/11/20(日) 14:41:34

びゅうびゅうと音が聞こえるくらい、屋上には強い風が吹いていた。そこにいる三つの人影。やたらスタイルの良いのっぽの男と、その両隣にいる長髪と茶髪の小さな男。
茶髪の男…陣内は先程礼二にかけた携帯電話を乱暴にパチンと閉じた。
さっき、話していたとき電話口で、礼二以外の声が聞こえた。まあ、集団用の楽屋だからそりゃあ聞こえるだろうが、明らかに自分たちの会話を礼二と共に聞いていた。
一人は兄の剛だ。まあ一緒にいるのが当たり前だからそれは仕方ない。問題は…
「何であいつらまで一緒におるん…」
ちっ、と舌打ちをして俯き髪の毛をくしゃりと掴む。あいつら、とは麒麟の川島と田村のことだ。彼らの声が電話を通して微かに聞こえたのだ。
一応電話中は気付かない振りをしてやったが、ちょっとした事で彼らに憎悪の感情を持つようになった陣内は声を聞いた途端不機嫌な、冷たい顔になった。
「ほんま腹立つなあ…!」
普段滅多に出さないような、本当に苛々している時にしか出さないドスの利いた声でぐっ、と携帯を握りしめた。携帯がミシミシと軋む。
その険悪な空気に耐えられなくなった阿部が訴えるように吉田の腕をつつく。つい先程まで黙ったままだった吉田が渋々、陣内を落ち着かせようと手を伸ばしたその時―――。

バンッ!

という音と共に陣内の手に握られていた携帯は、壊れた。塗装も、アンテナも、液晶ガラスも、粉々に砕け散った。原型を留めていなく、もはやそれが元々携帯だったと言われても信じる者は居ないだろう。
陣内は尚も険しい目つきで、割れた破片で切ってしまい皮膚が切れ血が薄く滲んでいる掌を見詰めた後、手を服になすりつけて粉状になった破片をぱらぱらと落とした。
吉田は動きを止めその光景に目を見張った。
いくら怒りに任せていたとは言え、思い切り握っただけでこれほどまでに見事にバラバラになるだろうか。
(それに、…)
吉田は思った。携帯が砕けたときに聞いたあの妙な“音”。潰れたときに出るものではない。
……あれは間違いなく“破裂音”だった。

そっと、キーホルダーとしてズボンに取り付けられている陣内の石を見た。
「…っ…!」
思わず短い声が出た。石の黒ずみが、無くなっている。そのかわり、彼の石・ムーンストーンは今まで以上の強い輝きを放っていた。
だがその石からは初めて見たときに感じた“優しさ”は感じられなかった。明るい光。なのに、どこか刺々しく攻撃的で激しい。擬音で表現するなら、“ギラギラ”だろうか。
それとそっくりそのままのことが、今の陣内にもぴったり当てはまる。

「ん、おお。スマン、お前らに話があったん忘れるとこやった」
ころっ、と表情を一変させ、しゃがみ込んで後ろに置いてあったカバンの中を漁り始める。何かを取り出した陣内は振り返って立ち上がり、手に持っていた小瓶を差し出した。
吉田は困惑の表情を浮かべ、それと陣内の顔を交互に見比べる。吉田の脇からひょこっと顔を出した阿部も不思議そうな顔をした。
それは、ついこの間自分たちが陣内に渡した、黒い欠片の入った小瓶。あの時はまだ彼は微量の欠片しか使っていなかったので、黒に入れるためにはもっと欠片を取り入れてもらえという命令を上から受けていた。
しかし陣内はそれを使うことなく、今もその手に持っている。
「…何ですか」
と、心の動揺を悟られないように薄笑いを浮かべ態とらしく聞いてみた。
「これ、この欠片。お前らに返そう思ぉて」
瓶のコルクでキャップされた口を指でつまみ、小刻みに振ってみせる。中の欠片が忙しなく狭い瓶の中で跳ね、カラカラと不思議な音を立てた。
「こんなモンのーても、俺が願えばこの石何処までも強くなれんねんで」
陣内の言う“願い”、つまり“感情のエネルギー”をどんどん取り込んでいったムーンストーンは遂に黒い欠片の力までをも飲み込むほどに力が誇大してしまったのだろうか。
チェーンとこすれて軽い音を立てる石に目をやり、指で触る。石は相変わらず不気味なほどに光り輝いていて。―――光が目に映っただけだろうか。一瞬、彼の瞳も石と同じ色に光った気もする―――。
恐怖とはまた違った感覚がさっと身体を走り、額に脂汗が浮かぶ。目を離す事が出来ない。



「そうや。…こんなモン…頼るお前らと…、俺は…ちゃうんに…」
陣内の途切れ途切れの声が段々と独り言を言っているかのように小さくなる。口調は無機質なものになり、俯き加減の視線は真っ直ぐ石に向けられ縛り付けられていた。
―――(このままだとマジでやばいだろ、これ)
これはもう黒に入れるとか入れないとか、そんな事を考えている場合ではない。
吉田は陣内の腕を掴んだ。

「…その石を離してください!」
早くしないと…、そう続けようとしたがその言葉は出なかった。否、出せなかったと言って良いだろう――。
陣内が無言で、且つ強い視線を吉田に浴びせかけたその瞬間、石が大きく鼓動し、吉田の腕は何かに捻り上げられたようにひとりで関節がねじれた。
無理矢理捻られた腕から骨が軋む音が聞こえた。
「あっ…!?」
痛みと驚きから悲痛な叫び声が口から漏れる。膝をつき脈打つたびにズキズキと痛む腕を、眉間に皺を寄せ目を堅く瞑り押さえつける。
驚いた阿部が心配そうに駆け寄ってきた。これまでの怪我は切り傷や擦り傷などの外傷が殆どで、その度に阿部に治して貰っていた。だが今のように身体の芯や内側から来る痛みは、阿部には治せない。
痛みからぜえぜえと荒い息づかいになりながら、吉田は思った。
今までは「痛い」と感じる前に阿部が治してくれていたんだった。治す度に、自分の替わりに阿部が痛い思いをしてくれていた。彼はそんなこと一言も言わなかったが、顔を見たときその石の代償が一瞬で分かったのを覚えている。

(あー何か、久しぶりに凄え痛い思いした…)
段々と痛みが引いていく。思い切り捻れた腕はまだ痺れてはいるものの、骨に異常は無いようだった。

「…吉田、吉田」
阿部が小さな声で、地に片手を着いたまま俯いている吉田の肩を小刻みに揺らす。
顔を上げるとこちらを見下ろしている陣内と目があった。思わず息を呑む。月の逆光の所為で彼の表情は見えないが、その瞳の不気味な輝きだけは網膜にしっかりと映った。
人間のものではない、空に浮かぶ月と同じ白みがかった黄色い目。その中央の黒目がぎょろりと動く。
いつもの暖かい笑顔はそこには無く、小馬鹿にしたように薄く笑う表情は、暗くそして執念深い。
ああ、遅かったか。と吉田は目を伏せた。

突然、陣内が小さなうめき声を上げて頭を押さえた。
『………わたし、は……』
陣内の声に被さるかの如く、機械で変えたような女性の声が聞こえる。きっとこれが石の声だろう。吉田たちにもその声が聞こえたのは、石がいよいよ陣内の魂を支配してきている事を意味する。
「…痛った……何や…?」
米神ををさすりながら空を見上げて呟いた。
(そっか、ムーンストーンって女なんだ……怖えーなあ、全く…)
吉田は五月蠅いほど眩しい光を放つムーンストーンを睨んだ。




「川島、俺めっちゃ手汗かいてる。何か心臓もバクバクしよるし」
一段飛ばしで階段を駆け上りながら、田村が言った。
漫才をする前の緊張、とはまた違った…それとは正反対の、一言で言えば“嫌な予感”がする。
「おぉ、分かんで。凄い強い気配がする。何やろう、これ…黒い破片の気配や無い……何か、別の何かが…」
その時、ポッと頭の中に一つの答えが浮かんだ。

―――石自体の力?
はっ、と川島は息を呑んだ。自らの黒水晶を見るとチカチカと警告の合図のように瞬いている。

「川島…陣さんが、呼んどる…」
「…おー」
鉛のように重くなってきた足を引っ張りながら、最後の階段を上る。
屋上のドアに近づく度、心臓の鼓動が一層早くなっていく。
「何でや、何でこんな意味のないこと……!」
低い声で呟き、勢いに任せてドアノブに手を掛け扉を開いた。


屋上を吹き抜ける強い風が真正面からぶつかり髪の毛を踊らせ、スーツの裾を巻き上げた。