トラスト・ミー [8]


73 :歌唄い ◆4.Or.2D2Hw :2006/01/27(金) 19:41:20 

夜風が強いな。と川島は思った。 
風に乗って、ぎすぎすとした気配も摩天楼という狭い空間に舞っている。 
掃除されていないこの場所には枯れ葉が散乱している。 
それが吹き荒れる風の不規則な動きを明らかにした。上空に一気に舞上げられたかと思えば、 
くるくると小さな竜巻のように回転し、力なく元の場所に落ちてくる。 
気分が悪い。一刻も早く此処から立ち去ってしまいたい、そんな感じだ。 
「終わりにするぞ…。今度こそ。全部、や」 
目はしっかりと目の前の人物を見据えたまま、後ろで顔に飛んでくるゴミと格闘している田村に告げる。 

何でこうなったんだ。と田村は思った。 
目も開けていられないほどの突風に、思わず身体を庇うように俯く。 
細く目を開き、空を見上げると、厚い雲が見たこともない早さで渦を巻いて移動している。 
(俺、まだ死にたないんやけど) 
不吉極まりない。それでも何故が、田村の中には妙な安心感があった。 
威嚇する凛とした態度で、向かってくる風にも憶さないその背中を風除けにしつつ、思った。 
自分よりもずっと前から、幾つもの修羅場を抜けてきたのだと聞いた。 
川島が本気モードで「終わりにする」と言っているのだから、絶対大丈夫なんだ。 


ふと、川島の表情が僅かに変化した。予想外な二人の姿が飛び込んできたからだ。 
蹲るように膝を着いている男と、それを心配そうに見詰めている男。 
―――あの二人…! 
「何でやられてんねん」 
と、不思議そうに田村が言った。 

向こうもこちらに気付いたのか、吉田が顔を上げ、「あっ」と声を漏らした(ように見えた)。 
少し遅れて阿部もこちらに目線を向けた。何か伝えようとしている。 
大変やーみたいな事を言っている気がするも、 
離れている所為で、上手く聞き取れない。 

「石に呑まれかけてる、早く止めないと…」 
阿部がそこまで言いかけた途端、 
「うるさい、余計なこと言うなっ!」 
バシッ、と音がするくらいに、陣内の平手が飛んできた。 
阿部は二、三歩よろけて地面に倒れ込む。 

「ちょっと、何てことしてるんですか!」 
一歩前に踏み出し、勇猛果敢に田村が怒号を飛ばす。正義感だけは人一倍あるだけに、
今の行動を許すわけには行かない。 
「あの人、前よりおかしなっとるな。ここは少し様子見て…」 
川島が言い終わらない内に、真っ直ぐ駆けだした。 
「…って言うてる側からオーイ!」 
待て!と川島が珍しく、酷く慌てた声を出した。 
「猪突猛進とかお前らしいな!」 
陣内が手を振り上げた瞬間。 
田村の石が独りでに光った。四方八方に広がった光はやがて一点に集まり一本の光の束になる。 
主を護るための一種の「防御反射」というものだろうか。 

光は振り上げられた腕に貫通するように当たった。 
「あ…っ!?」 
陣内の腕は時間が止まったかのように空中で止まった。ぐいぐいと引っ張ってみても動くことは無かった。 

「こっちや」 
自分を守ってくれた白水晶に感謝しつつ、その間に吉田と阿部に駆け寄り、
力任せに二人の身体を引っ張り起こす。 
初めは助けに来た事に若干戸惑っていたのか、二人は不可解な顔をして、
田村に手を引かれるままに走っていたのだが、 
何時しか警戒も解け自分たちの意志で走り出していた。 
そして田村は見事、二人を救出し、川島の元へ戻ってきたのだった。 

「はっ…やるやないか」 
率直な感想が川島の口から漏れる。 
「…この間は、よくもやってくれましたね」 
まだ痛むのか、腕を押さえ俯いたまま、吉田が言った。 
この間、というのは。いつだったか、さくらんぼブービーの二人を黒に入れる入れないで乱闘していた所を、 
いきなり乱入してきた川島が止めた、というやつだろう。 
「おい、今は争ってる場合や無い…」 
呆れたように言う田村の言葉に被さるようにすかさず「分かってます」と吉田。 

「手を組むのは、今回だけですから」 
「上等」 
少々の間を置くと、薄く笑って川島が返した。 
「………」 
その後ろで、ちらり、と田村と阿部はお互い神妙な顔を見合わせ、また目線を戻した。 


「遊びにきてくれたん?あははは…」 
ようやく自由になった腕をくるくる回しながら黄色い目玉を向け、
狂気とはまた違った、無邪気とも取れる笑い声を上げる。 
ボン、とくぐもった音と共に、近くのフェンスの網が千切れ大きな穴が空く。 

「遊ぼう、遊ぼう」なんて、彼が何時も言ってくる台詞じゃないか。 
散々誘っておいて、自分が飽きたら、いけしゃあしゃあと「帰っていいよ」言い放つのがいつもの陣内だ。 
それなのに妙に何処かおかしいのは、何故だろう。恐怖に似たものを感じるのは。 
目の前に居るのは良く見知った先輩。何かやらかしても「天然だから仕方ない」と許されていたあの先輩の姿だ。 
「…まあ少なくとも、俺は許しません」 

黒水晶を握り、影に潜る。 
遠くにいても何も始まらない。多少の怪我は覚悟しなければ。 
「…!」 
陣内は舌打ちをして辺りを見渡す。夜ということもあって、川島の移動できる範囲は限りない。 
(離れているとねらい打ちされるなら…) 
もう一度捕まえるまで! 
最初、あの公園で陣内を落ち着かせた時のように、背後からぬっと身体を出現させる。 

「止めろ、触んな!」 
振り向きざまに睨みを利かせ、陣内は二重人格のように口調を一変させて叫ぶ。 
その声は副音声のように別の声も重なって聞こえた。 

公園の時とは比べものにならないくらい大きな負の力。 
瞬間的に、空気が大きく震える。 
磁石の同極が近づいた時と同じ要素で、川島の身体は引っ張られるように後ろに飛ばされた。 
がしゃあん、とフェンスに押し付けられる。バネに衝撃を吸収され、痛みこそ感じなかったが。 
ギギ、ギ、と嫌な音を立て針金が軋む。支えていた柱が根本から折れた。
身体がぐらりと傾き、フェンスと共に屋上からゆっくりと傾いていく。 
はっ、と気が付いた時に見えたのは、雲や排気ガスによる澱みが無くなった、満天の星空。 
“落ちている”事を理解した瞬間、身体は重力に引かれ急速に落下速度を速めた。 
「っ!」 
咄嗟に田村が駆け出し、届く訳のない手を伸ばす。
叫び声が出ないほど驚いたのか、目の前で起こった事が理解できていないのか。 

「俺は大丈夫や!心配するなー!!」 
既に視界から外れてしまった相方に向けて川島も渾身の力で叫ぶ。聞こえただろうか?と思う間もなく。 
川島の身体は夜の闇の中へすうっと消えていった。 

耳をつんざく派手な音を立てて地面へ叩きつけられた大きなフェンス。 
意地悪く吹き荒れる風に流された声。 
そして、少しの沈黙。 
その場にいる全員が息を呑んだ。 

「か…川島…えっ、嘘やろ!?」 
混乱のスイッチが入り、田村は慌てふためいた。すると、 
「待って」 
と、抑揚の無い口調でそう言われ、吉田に腕を掴まれる。 
この短い単語の中には「うるさい黙れ」という意味も含まれているのだが。 
何が待てやねん。俺の相方が落ちたんやぞ。と、田村は一向に落ち着きを取り戻さない。 
まあ、それが妥当なのだろうけど。心の端で、うざいなあ、と思いつつ吉田が続ける。 
「聞こえない」 
彼の台詞はいつも端的だ。それほど見知った仲でもない田村には何の事だかさっぱり分からない。 
「何が!」 
「人間がこの高さから落ちたんなら、潰れた音が聞こえる筈でしょ」 
「あーそれ分かる。“グシャー”とか“ベチャ”とかねえ」 
「怖いこと言わんといて!」 
こんな状況でも淡々と会話を広げる吉田と、
口を開けば妙な言葉しか出てこない阿部に多少の不謹慎さを覚えるも…。 
ん?待てよ?と首を傾げ、考えること数秒。一つの確信的な答えが舞い降りる。 
「…音、聞こえへん…。ちゅうことはー…」 

川島が落下した場所へもう一度、三人が同時に顔を向ける。 
そこだけぽっかりとフェンスが引っこ抜かれたように無くなっていて。 
陣内が隣のフェンスの端を掴み、屋上の端に足を掛けて下を見詰めているのが見えた。 
「何処行った…」 
真下には、バラバラになったフェンスのみ。 
何だ何だ、とごく僅かな通行人が一度立ち止まって、避けるようにして足早に立ち去っていくだけだ。
期待していた光景ではない。 
川島の姿は、無かった。 


あーもう。 
苛々する。 
イライライライラ。 


『宿主さま、あなたの嫌いな物は、みんな私が消してみせます』 

「え?………ううっ…!」 
“声”が聞こえた瞬間、息が止まった感覚に襲われ、心臓付近を押さえて蹲る。 
ムーンストーンを握っていた方の手が、自分の意志とは反して血が滲むくらいに固く握られていた。 
力の入れすぎで白くなった指の間から微かに光が漏れている。 
開こうにも何か強い力で押さえられているようで。 
ざあっ、と下から吹き付けるつむじ風が起こると、足下のコンクリートに僅かな亀裂が入った。 
片方の手で閉じられた指をこじ開ける。 
「何…?」 
手の平を見た瞬間、驚愕の表情を浮かべた。 
石が、手の平に根を張り、半分ほどめり込んでいた。 
それはどんどん手の中へと沈んでいき、ついには完全に身体の中へスッと入り込んでいった。 
手の平には傷一つ無く、何事も無かったかのようだ。 
陣内は目を見開いて、手の平を凝視した。 


身体の中で起こった異変には、直ぐに気付いた。 
一つひとつの機関の感覚がなくなり、頭の中が真っ白になっていく。 

その様子のおかしさに田村たちも感づき、一歩たじろいだ。 
「…俺らさあ…、止められるんかなぁ…この人」 
「さあ」 
「嘘でもええから“はい”て言うてくれや…」 
絶え間なくビリビリ震える空気に、もはや背を向けて逃げ出したい気分だった。 



――今まで生きてきて、階段がこんなに憎く思えたことはない。 
「あいつ、天然やからって何しても許して貰える思うなよ!殴ってでも謝らせたる!」 
「あっ、礼二…ちょお待て。昨日の酒戻しそう…」 
「うおーもう何やねーん!」 

剛と礼二、屋上まであと二階。