Violet Sapphire [5]


727 名前:"Violet Sapphire" ◆ekt663D/rE 投稿日:04/09/30 13:31:12

余りの身体の動きの軽さに、意識が置いていかれそうになる錯覚。
未体験の速度で流れる視界、そして、全身に感じる躍動感。
「・・・ゃっほぉ!」
ただ走っているだけなのに、思わず声を上げてしまうほどにまで磯山の意識は高揚する。

「させるかっ!」
もちろん、男も自分の間合いに安易に磯山を飛び込ませるつもりはない。
インカローズに意識を集中させ、光の帯を磯山へと放つ。

けれど磯山は臆する事なく固めた右の拳を振り上げ、飛来する光の帯を逆にカウンターとばかりに殴りつけた。
ただでさえ磯山は肉体強化の石を持ちながら、さらに小沢から肉体強化の言霊を貰っているのだ。
青みがかった紫色の光に覆われた拳は易々と光の帯を破壊し、濁った緋色は眩く四散して消える。
「この程度で・・・足止めできると思ったのかよっ!」
高らかに響く磯山の声。
思わず男は身構えたけれど、その視界に磯山の丸々とした姿はない。
「・・・・・・・・・・・・っ!」
まさか。
男が前方に飛び退きつつ背後を振り返った、その瞬間。
ハンマーで殴られたのかと錯覚するぐらいの、重く威力のある中段の突きが男の腹部に命中した。

「・・・・・・ぐぅっ」
どうやら光の帯が破裂した時に生じた緋色の輝きに無自覚ながらも男の意識が向けられていた間に、
磯山に素早く背後に回り込まれたらしい。
「・・・わかったろ?今の俺に、お前の石は通用しねぇよ?」
何とか倒れないようにこらえ、男は腹を押さえながら呼び掛けてくる磯山を睨み付けた。
バイオレット・サファイアから沸き上がる紫の輝きに包まれたその姿はどこか漫画のヒーローめいていて。
男の内側で怒りが燃える。

「・・・・・・嘘だっ!」
「真実、だ。」
男の叫びと共に、すかさず深紅の光のヘビが磯山に向かって放たれるけれど。
今度も磯山にダメージを与えるには到らなかった。
しっかりと男を見据えながら、磯山は光の帯を裏拳で軽く払い落としたのだ。

いくら今まで石を使い続けたために男も精神的にも疲弊して、本来の威力に及ばなかったとはいえ。
よりによって・・・裏拳で。
・・・馬鹿にされている。
そう感じると同時に、男の持つインカローズから、ジワジワと幾筋もの光の帯が漏れ出だした。
それは今までのシマヘビのような下手すれば手にも乗りかねない小ぶりな帯ではない。
「知らねぇぞ・・・俺がちょっと本気を出したら・・・貴様らなんて・・・!」
呻く男の眼差しは、今まで以上の濁りを帯びていた。
石と男の負の感情が共鳴して、やがてインカローズの発する輝きの中から九本の帯・・・
いや、九つの鎌首を持つ大蛇が喚び出される。
いずれもその口から舌を出し、シャーシャーと威嚇する音が聞こえてきそうなほど。

「磯・・・気を付けて。」
今まで何発も光の帯を放ち、男も消耗している筈なのに。
まだこうした大技を隠し持ち、そしてそれを放とうとするだけの余力が彼にはあった・・・・・・
それだけでも充分に脅威である。小沢の言葉のどこにも冗談めいた調子は見られない。
「・・・はい。」
小沢の方は向かず、ただ短く磯山はそう返す。
「でもさ、何か今の俺・・・かめはめ波だって撃てそうな気がするんだよね。」
その表情に怖れはない。無謀や慢心に憑かれていないと言えば嘘になるけれども
ただ、凛として揺るぎのない自信が磯山の顔には満ちていた。

ギュッと拳を握り直せば、青紫の輝きが拳を守るように・・・そしてその威力を増すように表面を覆っていく。
「死ねよぉっ!」
「よっし、バッチ来ーいっ!」
男と磯山、上がった咆吼の方向性は真逆にも思えるが、ともあれ深紅の大蛇は磯山に動き出した。
拡散して放たれた大蛇の頭部が、同一の目標目掛けて一斉に襲いかかる様は
不気味でありつつどこか美しくもあるけれど。

それでも、磯山は屈さなかった。
意志で石の力を引き出し、渾身の一撃で大蛇の頭部を一匹、また一匹と潰していく。
体躯の割には運動神経が優れている方ではあるが、決して格闘技を習っていた訳ではなく、
芸人仲間とプロレスを嗜む程度。
地表を蹴り、跳躍して空中の大蛇の頭部を殴り倒そうとする磯山の姿を
いつもここからの山田などが見たら、アドバイスの一つもしたくなるだろう我流のスタイルである。
けれど蛇の頭部が弾けた時に生じた衝撃にも退かず、磯山は襲いくる大蛇の頭部に立ち向かっていく。
その様はギリシャ神話に伝えられるヒドラと闘うヘラクレスのよう。


・・・彼の小さい背中が、どうしてこんなにも頼もしげに見えるのだろう。
また一匹の大蛇の頭部が潰れ、放たれた衝撃波に蹌踉めきながらも小沢はそんな事をふと思う。
彼はついさっき、己の石を手にしてその扱い方を身に付けたばかりなのに。
こうして戦う事が、怖くはないのだろうか。これが、若さというモノなのだろうか。

「違う・・・。」
小沢のアパタイトが有する石を封じる力。
磯山や野村のバイオレット・サファイアには無いこの力が澱み暴れるインカローズを封じ、
この戦いを終結させてくれる事を願っているから、信じているから。
だから、彼は全力で戦えるのだろうか。
相方や他の芸人からのツッコミやフォローがある事を信じているから、
アドリブでボケられるのと同じように。

ならば、その期待にはきちんと小沢も応えなければならない。
チラッと男を見やれば、彼の意識は磯山と大蛇の制御にのみ向けられているようだった。

・・・今なら、封印できる。

  「もうこんな遊び、終わりにしない?」

封印の言霊を口にして、小沢は指を鳴らそうとする。
言霊の発動の瞬間を待ちわびるかのように、アパタイトから青緑の輝きが漏れる。

しかし。
「・・・・・・・・・っ?」
男の方に向けた手の、指が、小沢の意志に反してピクリともしなかった。
肘から先だけが金縛りにあったかのように、小沢の思う通りに動かす事が出来ない。

「・・・小沢さんっ?」
小沢が違う言霊を放とうとしたために、磯山を覆う青緑の輝きは薄れている。
しかし、男のインカローズを封印できた様子は目の前の大蛇が健在な事からも伺えず、
磯山は小沢に呼び掛けた。

「おかしいんだ、指が鳴らせない・・・封印が・・・出来ない・・・。」
「え・・・っ?」
大蛇から意識を逸らしたつもりはなかった。
けれど小沢からの返答に、一瞬だけ磯山に隙が生じたのは事実だろう。

「そこだぁっ!」
男の咆吼が磯山に伝わった瞬間。
一匹の大蛇が磯山の腹部に喰らいついていた。