Violet Sapphire [6]


774 名前:"Violet Sapphire" ◆ekt663D/rE 投稿日:04/10/07 05:42:41

「………っ!!」
頭部が相手に触れると同時に破裂し、至近距離からダメージを与える今までの蛇と異なり、
大蛇は磯山をその顎で捕らえてもその姿を保ったままである。
Tシャツや身を覆う肉をまったく無視した圧迫感が胴体に掛かり、
磯山は呼吸する事もしばし忘れてただ目を見開くばかり。

「な……磯っ!」
小柄ながらも重心が低く、安定しているかのように見える磯山の体躯が、
大蛇がもたらす圧力からズズ…と音を立てて後方へと押されていく。
小沢は叫ぶように磯山に呼び掛けると、アパタイトを磯山の方へ向けて指を鳴らそうとした。
しかし、相変わらず肘から先が石像にでもなってしまったかのように小沢の指は動こうとしない。

「あハ…はハは、まずは貴様からダ!」
手に握り込んでいるインカローズと同様に爛々と輝く目で男は二人を睨み付けながら、叫ぶ。
その声が変に裏返っているのは、戦いがもたらす興奮故か、それとも石の作用なのか。
ともかく、その指示を受けて大蛇は磯山と正面から力比べをするのを止め、その鎌首の向きを上へ変える。
何とかして大蛇の顎から逃れようと藻掻く磯山の足が、ふわりと大地から離れた。
「うぉっ…!」
「地面に叩キ付けられて…死ネっ!」
踏ん張り所を失って、思わず磯山の口からこぼれた音と、男の怒声が同時に響く。
僅かに生き残っている大蛇達も、磯山を咥える大蛇に協力してその身体を1m、2m、と持ち上げていく。
「クソっ…何で…この指…厭だ、厭だ、厭だぁっ!」
自由にならない腕をブンブンと振り回しながら、小沢が今にも泣きそうな声を上げた。

今まで、石を使っていた事で小沢の手足に痺れや感覚が通じなくなった事などは一度もない。
確かに今日は石の力を必要以上に使っているけれど、指が鳴らせないのはアパタイトのせいではないはず。
だとすれば、やはりこれはインカローズか、それとも他の石の力によるモノなのだろうか。
いや、今はそんな事を冷静に判断している場合ではない。磯山の身がとにかく危険なのだ。

「・・・・・・頼む、磯山を離せ!先に俺を殺してくれよっ!」
「遅イよ。」
数時間前に彼と同じように小沢の前に立って、インカローズの攻撃を受けた相方の姿と磯山が重なり
口をついて出る小沢の叫びを、男は鼻で笑って退ける。

「・・・殺レ!」
放たれる、短い命令。
下から上へ、磯山を持ち上げようと群がっていた大蛇達が一斉に彼から離れると、
当然のように重力に引かれて落下を始めた磯山を今度は上から下へ押しつけるように襲いかかる。
世の中には20数mもの高さから落下して生存してみせる人間も決して居なくもないが、
恋に落ちる時の落下速度もかくやという加速で地面に叩き付けられたら、さすがの磯山でもどうだろうか。

緋色のエネルギーの奔流が大地と衝突して破裂し、ドォンと鈍く重い響きと共に土煙が上がるのを
全身から血の気が引く感覚を覚えながら、小沢には見ている事しかできない。
「磯山ぁあっ!!」
ただ、悲鳴じみた叫び声が小沢の口から発せられた。

まだ彼のアパタイトを握る手の方は指先まで動くようで。
ギュッと力一杯拳を握りしめたら、アパタイトの発する力で皮膚が灼けるような痛みを感じる。

・・・そうだ。自分が痛い分には、いくらでも何とか耐えられる。
けれど、他人が痛いのにはどうしても耐えられない。
だから、戦う時は一人が良かった。戦う時は一人で良かった。
それなのに。

「磯・・・・・・っ」
こうなってしまったら一体どうやって野村の前にツラを出せば良い?
呻くように呟きを洩らした小沢の耳に。

「お・・・小沢さん、ちょっ、そこ、避けてっ!」
頭上からそんな声が降り注いでくるのが届いた。
ハッとして見上げれば、そこには何故か紫色の輝きを身に纏った磯山の体躯。
咄嗟に小沢が一歩後ろに飛び退けば、バタバタと両手を振り回して何とかバランスを取りつつ
磯山はドスンと地面に着地した。

・・・どういう事?
まだ土煙は晴れきっておらず、確かに大蛇達が小爆発を起こした事を示している。
しかし目の前の磯山は衣服こそボロボロになっているが、その動きに異常はないようで。
何があったのか理解できず、小沢は思わず目を擦ってみた。

「キ様・・・あレでくたバらないなんテ・・・何者なんダ・・・?」
驚いたのは男も一緒らしい。手応え自体はあったのに、とそんな言葉が彼の口から漏れている。

「へへ、ぶっつけ本番だったけど・・・何とかイメージ通りに上手くいったみてぇだな。」
照れたように小さく笑みを浮かべ、磯山は小沢に告げる。
右の手で何かを持ち、それを勢い良く地面に叩き付ける・・・そんな仕草をしてみせながら。
「・・・・・・・・・!」
そう言えば、江戸むらさきのショートコントの中で、そういった仕草をするネタが幾つかあったはず。
気付いた小沢は目の前の磯山を見た。そして同時に言葉が放たれた。
「・・・スゥーパーボォール!」



そう。
磯山は大地に叩き付けられる直前、バイオレット・サファイアの力で己の肉体に強い弾力性を持たせて
大蛇達のエネルギーが破裂する寸前に地面から跳ね返り、上空へ逃れる事で直撃を避けたのだ。

「お気にのTシャツは破れるし・・・身体も無傷って訳じゃねーけどさ。」
・・・まだこれでリタイアするには早いってもんでしょ。大丈夫。
涙目の小沢を気遣い、落ち着かせるためか磯山はそう告げて。
今度は一転して小憎たらしいほどの自信に満ちた笑みを浮かべ、男の方を向く。

「さぁて・・・折角の奥の手みたいだったけど、もう同じ技は喰らわねぇぜ?」
そう言い切ってみせる磯山の姿は小沢には頼もしくあるけれど。
彼の露わになった肌に尋常ではない量の汗が滲んでいるのも見え、やはり石を扱っている事での負担が
じわじわと磯山に忍び寄っている事は確かのようだった。

とは言え、男も最初に小沢達と戦った時とそして今の戦いとで十二分に消耗はしているはず。
特に二度目の今の戦いでは小沢の作った虚像を消すためにエネルギー弾を乱発したり、
九つの鎌首を持つ大蛇という大技を出してきているのだ。
これ以上男が石を使おうとするならば、いつ精神力や体力が途切れて気絶してもおかしくはない。
そうなれば小沢が指が鳴らせない今の状況でも、石だけ失敬して後でゆっくり封印する事も可能なのだが。


「・・・・・・・・・・・・。」

それでも、男の手にあるインカローズは輝きを失おうとはしない。
むしろ、この状況になっても尚どす黒い赤みを帯びた光が鉱石から湧き出して男の周囲を照らしている。

「・・・磯、気を付けて。厭な予感がする。」
戦い始めの頃は、インカローズはまだそれほどどす黒い輝きを発してはいなかった筈。
これは、もしや。小声で小沢が磯山に囁こうとした、その直後。

男を・・・いや、インカローズを中心にして、ドクンという鼓動が音というよりも衝撃波の形で
空気を伝わり、二人に届く。
「何だ・・・っ?」
「やはりあの男・・・石に呑まれたか。」

脈動を重ねながらインカローズから湧き出す輝きが男を飲み込み、なおも膨れ上がって
大蛇が可愛く思えるほどの、今までで一番巨大な蛇の姿を形作りだした。
全長が十数mもあるその蛇は体躯に見合った翼を持ち、広げられようとしたそれは
小沢の張った結界に遮られ、中途半端に開くのみに留まる。
それでもそれは並の迫力ではなく、これはハリウッド映画の一シーンかと現実逃避しそうになるぐらいで。

「こいつは・・・ケツァルコアトル・・・?」
所有者を呑み込む事で、所有者の精神力や体力を考慮する事なく本能のまま己の力を発揮し始めた
インカローズが形作る姿に、磯山がポツリと呟きをこぼした。
「何、そのケツアルなんとかって・・・。」
「ケツァルコアトル・・・アステカの神サマだ。漫画やゲームで、たまに出てくる。」
「『インカ』と『アステカ』は微妙に違う気もするけど・・・って、そんな事言ってる場合でもないか。」
インドア派らしい磯山の注釈に、小沢が納得する間も与えずに。
赤い翼蛇・・・ケツァルコアトルが吼え、空気が震える。

『・・・シギャァアアアアア!』
「・・・・・・・・・くっ!」
頭から突進してくる、それをまずは二人はそれぞれ跳び退いて避けた。
ここまで未知数の相手に、いきなりがっぷり四つに組もうとするほど、磯山も無謀ではない。

ケツァルコアトルの頭部が地面に激突した衝撃で、大地が揺れる。
やはり蛇や大蛇とは比べモノにならない威力はよほど封じられたくないらしい、インカローズの本気。
逆に言えば、これを凌げば小沢達の勝利なのだろうけれど。
どうやったら、こんな化物を押さえ込む事が出来る?
小沢の片腕はまだ指先まで力が届かず、アパタイトの力を発動させる事もできないのに。

「小沢さん!次、来ますよっ!」
「あ・・・あぁっ!」
鎌首をもたげ、すぐに次の動作に入るケツァルコアトルにはゆっくり策を練る時間すら貰えない。
磯山の呼びかけに応じ、小沢は開いている空間に逃げ込もうと走る、けれど。

アパタイトを乱用したお陰で疲弊している小沢に、そもそも普段通りの動きは期待できなかった。
急ぐ想いとは裏腹に足がもつれ、よりによって躓いてしまう。

「小沢さぁんっ!!」
磯山が叫ぶ声は、ケツァルコアトルが発する空気を震わす音でかき消される。
敢えて振り向いて見るまでもなく、近づいてくるのがわかる、禍禍しい気配。

・・・あぁ、俺、ここで死ぬのかな。
声にならない想いが脳裏を過ぎる小沢の目の前で。
太陽を思わせる光の矢が、今にも小沢を呑み込もうとしていたケツァルコアトルの胴体を貫いた。
エネルギーの流れに乱れが生じ、風が巻き起こって小沢の髪や衣服を煽る。


「・・・・・・・・・っ?!」
その山吹色の輝きに、小沢は見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんてモノではない。
思わず目を見張る小沢をケツァルコアトルから庇うかのように、2ケツする男達を積んだ
一台のバイクが飛び込んでくると、ブレーキ音を立てて止まった。

「・・・こんなバカみたいなデカブツ、アタシ認めない、認めないよぉっ!」
すかさずバイクの後部にまたがる男が声を張り上げた瞬間、男を中心として山吹色の輝きが障壁を作り、
再度小沢に喰らい付こうとしたケツァルコアトルの顎は無惨にも形が見事に歪み、
そのまま頭部ごと焼け溶けるように消滅していく。

「たとえ仕事に遅刻はしても、格好良いトコには決して遅れない。それが井戸田流・・・なんてな。」
紫色の粒子となって消滅していくバイクから飛び降り、ヘルメットを脱ぎ去った男・・・井戸田は
冗談めかして笑ってみせると、小沢に手を差しのべた。

「ったく、小沢さんはすぐそーやって全部自分だけで抱え込もうとする!」
「ゴメン。でも・・・あともう一押しだから。」
告げられる言葉が何故か嬉しくて。井戸田の手を借りて立ち上がり、答える小沢の目には
また涙がうっすらと滲もうとしていた。