Violet Sapphire [9]


879 名前:"Violet Sapphire"  ◆ekt663D/rE   投稿日:04/10/28 03:44:01

完全に平穏を取り戻した夜の公園。
井戸田に手当てを施したように、医者のコスチュームをまとった野村・・・白衣ではなくナース服を
呼び出そうとした彼をみんなで止める一幕もあったが・・・によって磯山の怪我はひとまず処置が施され。
小沢が結界を解けば、間近の東京タワーの淡い輝きが鮮明となる。

「今度こそ・・・もう、大丈夫かな。」
周囲にはもう他の石やそれを持つ芸人の気配は感じられない。
口に出さずに小沢は呟いて、ふぅと息を洩らした。
それから井戸田達の方を振り向けば、そこには石を使い続けたために、どんなにハードなネタをやっても
こうはならないだろうといった様子で地面に座り込む三人の姿。
特に井戸田は大の字になって寝そべってしまっていて、それだけでも今回の戦いのキツさが
伺えるといった話であろう。
・・・もっとも、赤岡が小沢の腕を金縛らなければ、もう少し早く決着したかも知れないけれど。

石との繋がりの深さの差か、それともアパタイトが他者を欺く石ゆえに、
逆に他の石が人を欺こうとする力に対しての耐性が強いのか。
何度それとなく三人に話を振ってみても、この四人の中で号泣の二人と遭遇した事を覚えていたのは
小沢だけであった。
あまりの彼らの忘却ぶりに、もしかしたらあの二人と出会ったのは小沢だけが見た幻なのか。
そんな事もふと脳裏を掠めるほど。

けれど、去り際に島田が放ったエネルギー波が地面に作った痕はしっかりと残っていて。
これは決して幻なんかではない。小沢にはそう断言できる。
とはいえ、今は三人に号泣の二人に出会った事を説明して納得させる必要はない。
今度、もっと万全な状態の時に探りを入れて、そこで彼らの石を封じるかどうか判断すればいいだけで。

「でも、本当に今回は・・・磯達がいて助かった。」
だから。小沢は小さく微笑んで素直な思いを口にする。

「・・・ありがとう、磯。野村くん。」
「どーいたしまして。」
数時間前にこぼした感謝の言葉を再び発する小沢に、せっかく巻いた包帯が湿ってしまいそうな勢いで
汗だくとなった磯山がへらっと笑って応じた。
「つーか、野村はそれほど役に立ってなくねぇ?」

「そんな事ねーよ!」
幾分冗談混じりの口調ではあったのだけど、磯山の言葉に野村がすかさず反応した。
確かに磯山や井戸田ほど疲労困憊といった様子ではないけれど、地面に座り込んだその姿からは
しっかりと石を用いた反動を感じている事が察せられる。
「俺だって大変だったんだからな?井戸田さん乗っけて爆走したし。今だってお前の手当てしたし。」
それで役に立ってないと言われたらたまったモノではない。
ねぇ、と同意を求めるような仕草を井戸田に向かってみせつつ、野村は磯山に反論する。
バイク便のドライバーのコスチュームを身にまとった野村は井戸田を荷物に、宛先は小沢に。
渋谷の駅前からここまでかっ飛ばしてきたお陰で、いざという瞬間に二人が間に合ったのだから。

「・・・お前のは、爆走しすぎ。」
ま、結果オーライだけど。地面に寝そべったままハハと笑って井戸田が野村に言った。
もしも小沢が野村の後ろに乗るとして。そこで井戸田の後ろに乗っている時のように
ウトウトなどした日には、即振り落とされてしまう事だろう。
しっかり目を見開いて掴まっていた井戸田でも、何度か危ないと思う瞬間があったのだから。
そういう経験をしてしまえば、いつぞやかに聞いた、磯山がカーブで振り落とされたという話も
信憑性があるというモノである。

「それよりさ、これからどーする?俺ホントばらく動けねぇ・・・。」
「さっき潤が言った・・・日村さんちに行く、で良いんじゃないかな。」
ちゃんこ鍋は無理でも、もしかしたら例の飴ちゃんを分けて貰えるかも知れないし。
そう付け加えながら小沢は井戸田に・・・そして江戸むらさきの二人に告げる。

「でも、アシはどーするんスか?」
野村も磯山も井戸田と小沢の提案に異論はないようだったが、
ただ、「タクシーでも呼びつけます?」そんな事を言いながら野村が小沢に問いかければ。
小沢は無言のまま、指先を野村の方へ突き付けた。

「・・・・・・・・・・・・まさかぁ?」
半疑問形で訊ねつつ自らの顔を指さす野村に、小沢はニヤッと笑ってゆっくりと首を縦に振る。
すかさず野村は磯山と井戸田の顔を見るけれど、二人も小沢とほぼ同じような表情を浮かべていて。
これはもう逃れようがない、と野村はガックリと項垂れた。




問答無用に交通手段にされたせめてもの嫌がらせのつもりか、コスチュームと共に
白い軽トラックを呼び出した野村が荷台に三人を乗せて日村の家を目指し、走り出してから間もなく。
JR浜松町駅の近くの路地で、一人の男・・・若い芸人が目を覚ました。
「・・・・・・・・・・・・。」
まだ意識がぼんやりしているのか、焦点の合わない目が揺らめいて。
やがて捉えるのは、彼を覗き込む人物の顔。その奥にはそっぽを向いた人影も見えるようで。

「あ、気が付いた?」
茶色の髪のその人物が表情を綻ばせて呼び掛けてくる。
一瞬の間を置いてそれが誰であるか気付いた男は、バッと身を起こした。

「え・・・あ、あっ、おはようございます!」
彼の口調が慌て上擦ってしまうのも仕方がないだろう。目の前にいる二人は事務所が違う上に
芸歴的にも幾らか差のある先輩。そう馴れ馴れしくできるような相手ではない。
「大丈夫?どんだけ酔っぱらってたのかはわからないけど・・・こんな所で寝ていたら、風邪引くよ?」
そんな彼に茶髪の男は更に声を掛ける。
「いえ・・・その・・・もう大丈夫、だと思います。」
心配そうなその響きに、男は思考が明瞭にならないままに言葉を返した。
その回答に、茶髪の男・・・島田は傍らの赤岡と共に安堵の笑みを漏らす。

一度同調した石が封じられれば、同時にその所有者は石とそれにまつわる記憶をも封じられる。
そして島田の白珊瑚による浄化も手伝って、先ほどまでインカローズを操り、そして呑み込まれていた男は
インカローズを手にする前のようなおとなしく礼儀正しい若者に逆戻りしたようであった。
たとえまた、その内側で激しく狂暴的な嫉妬心が燻っても、今まで通りに理性で押さえつけられるぐらいに。

「良かった。どこかで見覚えのある顔が倒れてたから・・・心配で。」
この様子なら、重ねて虫入り琥珀で記憶を消さなくても大丈夫なようだ。
その事に改めて安堵し、けれど表では嘘を重ねる島田に男は心底申し訳なさそうな表情を浮かべた。

・・・そんな顔をされたら、辛くなるのはこっちだよ。
口に出しかける、言葉を呑み込んで。島田はニコリと微笑むと男の手を取って立ち上がらせてやった。
石による疲労からか蹌踉めきはしたけれど、ちゃんと男は両脚で立てているようである。

「また今度・・・ライブのゲストに呼んでくださいって、何なら誰かに伝えといてくださいね。」
図々しくも、どこか冗談混じりに告げる赤岡の言葉に男は頷くと、一言二言、二人と会話を交わした後に
お礼の言葉を残して駅の方へと歩き出していった。



「・・・・・・・・・・・・。」
ネオンの明かりが差し込む角から男の背中が見えなくなった途端。
赤岡と島田のどちらからともなく溜息が漏れた。

男はすっかり忘れてくれているようだけど、そもそも彼にインカローズを渡したのは赤岡。
石と同調し、扱い方を覚えた男にスピードワゴンの二人を襲うようそそのかしたのは、島田。
罪悪感を全く感じない、といえば嘘になる。

「・・・あの石も、駄目だったね。」
それでもアスファルトに一度視線を落とし、島田が呟いた。
「あぁ。」
赤岡は気のない返事を返し、そっと左の頬に触れる。
「今日はあの人達にも気付かれるし・・・野村達も力ある石を手にしたみたいだし・・・最悪だな。」
磯山に殴られたその箇所は強い熱をもっていて、指で触れただけでもズキッと痛みが走り、
赤岡は思わず顔を顰めた。
「痛・・・っ。」
「もっと良く冷やしておいた方が良いと思うけど・・・自業自得だよ。」
まぁ、野村達が『黒のユニット』側に身を置く事を思えば、まだスピードワゴンの二人も付いてるし、
『白のユニット』に近い立ち位置を取れて良かった方だと思うけど。
肩を竦めて島田は言い、赤岡の顔を見やる。
殴られた時に口の中も切ったのか、唇の端に滲む赤が痛々しいけれど。
それだけで済んで良かった・・・そう思わないとならないほど、二人の歩む道は裏通りに伸びていて。

「確かにそうだけど・・・あそこをお前に任せたら、絶対ボロが出ると思ったから。」
「・・・まぁ、ね。」
力無く赤岡の言葉に頷いて、島田は彼のネックレスから下がる黒珊瑚に視線を移動させる。
彼の持つ白珊瑚と対になる石。
虫入り琥珀を除けばあまりにもそれは微弱なモノであったが、二人にとって唯一石を巡る戦いから
自分達の身を守るために行使できる力であろう。

「僕の石も、こんなクズ石じゃなくてもっと強い石だったら。」
良かったのに、と祈るように呟く島田の言葉に抗議するように、白珊瑚がシャツの胸ポケットの中で瞬く。
「だから・・・見つけだすんだろ。」
シャツの生地を透けて見える輝きに、僅かに苦笑を浮かべて赤岡は島田に告げた。

ライブの楽屋や稽古場、友人からのメールや電話から日々届けられる、芸人の持つ石を巡る戦いの情報。
表向きは急病やバイク事故などと報じられつつ、実は・・・という芸人がちらほら見受けられる中で。
石を巡る戦いに怯えず、漫才に専念するためにも、彼らに必要なのは戦いに耐えられる強い石。
戦いから逃れるために戦いを引き起こす・・・他人を傷付けてまで本末転倒な行動を取らざるを得ない弱さを
人よ、笑いたくば笑えばいい。

「じゃ、そろそろ僕達も帰ろうか。」
「・・・そうだね。」
またお互いに溜息を付くと、そんな会話を最後に残し、二つの背の高い影は闇の中へと消えていった。




やがて東京タワーを照らすライトが薄れ、夜も明ければ。
きっと、何事もなかったかのように一日が始まるのだろう。
一見いつも通りに見える、その裏にそれぞれの想いと願いと期待を秘めたまま。


                                          ――― fin


※「Black Coral&White Coral」に続きます。